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2021年04月01日号のバックナンバー

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フォーカス

国際婦人デーを祝して──イルクーツクの女性作家たちの功績とシベリア・アートの再発掘

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[2021年04月01日号(多田麻美)]

世界中で猛威を振るった新型コロナの流行は、イルクーツクのアートをめぐる環境にも大きな打撃を与えた。そんななか、この春、息を吹き返すように開かれたいくつかの展覧会は、限られた条件の下で地元のアーティストたちの蓄積してきたものをさりげなく発信しつつも、アーティストがこれまで取り組んできたテーマや題材をより広い視点から比較考察しようという意欲を感じさせた。

キュレーターズノート

その土地の芸術──「段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者」展

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[2021年04月01日号(坂本顕子)]

「段々降りてゆく」よりほかないのだ。飛躍は主観的には生れない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちる所へ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギイがある
──谷川雁「原点が存在する」(1954)

谷川雁(たにがわ・がん、1923-95)という熊本出身の詩人、思想家を知っているだろうか? 1960年代、吉本隆明らと同人誌『試行』を発刊して活動し、「東京へゆくな ふるさとを創れ」、「連帯を求めて孤立を恐れず」に代表される谷川の言葉は、全共闘や新左翼をはじめとするさまざまな運動に影響を与えていった。熊本市現代美術館で3月27日(土)から始まった「段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者」展は、そのタイトルに谷川の「原点が存在する」の一節を借りている。

視覚言語と生成する身体──『夢の男』と千葉正也個展から

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[2021年04月01日号(田中みゆき)]

視覚言語、と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろう。人は8割あまりの情報を視覚から得ていると言われている。文字や記号、服の色や人の表情といった非言語的なもの、さらにはモノの佇まいや場の空気感という、目には見えないけれど伝わるものまで、世界を構成する視覚的要素の幅はとんでもなく広い。私たちはそれらを無意識にしろ意識的にしろ、日々選択的に見ることで、メッセージを受け取ったり発信したりしている。それらをすべて視覚言語といってしまってよいのだろうか。曖昧で捉えどころがない視覚言語とは一体何なのか。
私は、企画している「視覚言語がつくる演劇のことば」というプロジェクトをとおして、視覚言語とは、発信者/受信者という境界なく、それを共有するものの「あいだ」で生成されるものであると考えるようになった。生成という行為によって、鑑賞者もイメージのつくり手にしてしまうのが視覚言語であると定義してみたい。

居心地、居場所、排除と公共空間──尾花賢一《上野山コスモロジー》と岸幸太写真展「傷、見た目」から

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[2021年04月01日号(町村悠香)]

1月初めから3月下旬にかけて新型コロナウイルス流行のため、首都圏では再び緊急事態宣言が出された。再び休館した美術館もあるなか、筆者が勤める町田市立国際版画美術館は今回休館にはならなかった。しかし、2回目の緊急事態宣言の期間は去年春の臨時休館期間中から考えていたことを反芻する時間となった。

デジタルアーカイブスタディ

創造と併走する、現代の美術におけるデジタルアーカイブ

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[2021年04月01日号(平諭一郎)]

「デジタルアーカイブ」と聞くと、その対象になるものとして古い文化財や書籍などをまず連想しがちだが、その対象には、現在進行形で生み出されているメディアアートやアートプロジェクト、日本画、工芸などといったジャンルの美術作品も広く含まれている。展示形態と作品本体が表裏一体であることも多い現代の美術作品は、どのようにデジタル化され、保存・活用・継承されていくべきなのだろうか。デジタル技術と現代のアートの保存、メディアアートの保存・修復といった分野で研究を推し進める東京藝術大学アートイノベーション推進機構 特任准教授の平諭一郎氏に、その未来予想図についてご執筆いただいた。(artscape編集部)

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