藤川哲: 2009年2月アーカイブ

ヴィクトル・I ・ストイキツァの講演会へ行ってきました。

演題は「集中そして/あるいは蒸発――肖像・自画像・『現代生活』」。ストイキツァは、現在、スイスのフリブール大学で教えている美術史家で、日本では2001年に『絵画の自意識』が翻訳・刊行されて話題になりました。その後も『ゴヤ』、『ピュグマリオン効果』、『影の歴史』、『幻視絵画の詩学』などが邦訳されています。

2003年に続いて2度目の来日で、今回は2月22日(日)に福岡市美術館、24日(火)に京都大学吉田キャンパス、27日(金)に東京大学駒場キャンパスと予定が組まれており、ちょうど今国内を移動中です。福岡と京都の演題は同じで、東京では「カラヴァッジョの天使たち」となっています。私が出掛けたのは福岡会場でした。

福岡では「レオナール・フジタ展―没後40年」の記念講演会としての開催でした。冒頭に藤田嗣治の自画像がプロジェクターで数点映写され、「フジタの眼鏡は、単なる視力補助の手段ではなく、視覚世界を探究し、絵画化する画家の存在様態を象徴的に示す役割が与えられている」という、ストイキツァらしい言及がなされました。『絵画の自意識』にも同じように眼鏡に着目しているくだりがあります(415頁)。

「フジタは重要な作家だと思うが、彼について語る準備が自分は十分でない。彼が参照することが出来たであろう、パリで一世代前に活躍した2人の画家、マネとドガについて私の考えを述べたい」とストイキツァは話を切り替え、ボードレールのアフォリズム集『赤裸の心』にある「自我の集中と蒸発について。すべてがそこにある」という言葉を参照点として、肖像画や自画像における顕在化(≒集中)=マネ、隠蔽(≒蒸発)=ドガという整理をもとに、両者の対照性や複雑な影響関係を読み解きました。

特徴的な例は、競馬場を主題とした2人の作品で、マネは競走馬が走ってくるトラック内に画家の視点を据え、こちらへ向かってくる馬の様子を描いているのに対し、ドガは休んでいる騎手たちを描いて、画家はどこか物陰からそうした光景を眺めているように感じられる、と説明しました。

両者の関係は、単に対照的であるにとどまらず、複雑な入れ子構造として読み解かれていたため、メモをとりながら聞いてはいたのですが、全体を細部まで思い出すことはできません。それだけ濃密な内容で、いつか再び、本としてまとめられたものを読んでみたい、という気にさせられました。

そうした中でも、1832年生まれのマネと、1834年生まれのドガは2歳しか違わない、という事実は強く印象に残りました。この2歳違いという近さと隔たりが複雑な磁場を象徴しているように思えます。


講演会終了後に見たフジタ展では、同館所蔵の《仰臥裸婦》とその下絵《腕をのばした大きな裸婦》の比較展示や、ウッドワン美術館所蔵の油彩作品《イヴ》とフランスの個人蔵による版画連作「イヴ」をまとめて展示した一画が大変興味深いものでした。

前者では、特に顔に注目すると、油彩作品で理想化されていることがわかります。
また後者の見どころも油彩作品における理想化ですが、その違いは目覚ましいものです。鼻の稜線に隠れていた右眼や、左手の後ろに隠れていたもう片方の乳房をはっきりと描き、髪の毛に躍動感を与え、花々からなる髪飾りをより豊かにする、などが主な変更点ですが、両者を見比べる楽しみは、展覧会ならでは、と言えるものでした。

20090222blog.jpg福岡市美術館講堂(壇上右=ストイキツァ氏、同左=松原知生氏) 2009年2月22日14時43分(外は雨) 提供:福岡市美術館

*講演会写真についてストイキツァご本人にウェブ掲示の許可を頂くにあたり、担当学芸員の三谷理華さんと、西南学院大学準教授の松原知生さんに迅速なご対応とご協力を頂きました。心よりお礼申し上げます。

2009/2/27追記
東京での講演会は、2/28(土)にも日本橋公会堂(主催:京都造形芸術大学ほか)で予定されていました。そこでの演題はやはり「集中そして/あるいは蒸発――肖像・自画像・『現代生活』」です。

山口圏

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学生たちと津和野へ行ってきました。

毎年この時期、卒業生の「追い出しコンパ」を兼ねて、1泊2日の小旅行へ出掛けています。企画は研究室の3年生の担当で、2007年は萩に泊まって山口県立萩美術館・浦上記念館を見学したり、高杉晋作誕生地などの歴史的な街並みを散策し、2008年は三隅町立香月美術館を見学して、湯免温泉につかりました。

津和野へは、山口から電車で約1時間20分。街全体にくつろげる雰囲気があって、小旅行にはぴったりの場所でした。

初日は朝10時頃出発してお昼前に旅館にチェックイン。五大稲荷の1つと言われる太皷谷稲成神社へお参りし、西周旧居、森鷗外旧宅を訪ねて、杜塾美術館を見学しました。
杜塾美術館は、津和野藩の筆頭庄屋屋敷を修復した美術館で、同地ゆかりの中尾彰・吉浦摩耶夫婦の作品のほか、マドリード国立銅版画制作室によって1983年に制作された、ゴヤの「闘牛技」40点が展示されています。

帰り道、本町通りで地酒の味見ができました。初陣、魁龍、華泉と銘柄ごとに造り酒屋が並んでおり、普段はお酒を飲まない学生も、少量ずつ味の違いが比べられる機会を楽しんでいました。

今日は、津和野町立安野光雅美術館と葛飾北斎美術館を見学しました。

安野光雅美術館は2001年開館と比較的新しく、2つの展示室のほか、昔風の小学校の教室や安野光雅のアトリエ、プラネタリウムなども併設されています。
故郷というものが、誰にでもある子ども時代のことだとしたら、そうした「故郷」へと通じる道が津和野にはある、といった趣旨の安野光雅さんの言葉が紹介されていて、心に残りました。

葛飾北斎美術館は、初刷りの『北斎漫画』が津和野で発見されたことを機縁として設立された美術館で、肉筆画や浮世絵版画、門人の作品や資料などが展示されています。


学生たちと一緒にこうした美術館を巡りながら、私は、安野光雅さんについて卒論を書こうとした学生がいたことや、私が着任してからの過去7年間に葛飾北斎について2本の卒論が提出されていることなどを思い出していました。

津和野は島根県、という意識ではなく、山口から1時間ほどで行ける「山口圏」と考えて、北斎についての研究室蔵書や、学生に紹介する機会を増やしていこう、と考えたのでした。

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津和野町立安野光雅美術館 2009年2月20日14時31分(曇りまたは小雨、のち晴れ)

東京出張

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今日は、東京のホテルからの投稿です。

主たる用事は、16日の委員会への出席ですが、1日早く山口を出て、神奈川県立歴史博物館で「アジアとヨーロッパの肖像」展を見て、記念講演会も聞いてきました。

前回ご紹介した通り、同展は大阪、福岡を経て神奈川へと巡回してきた展覧会で、大阪と神奈川では博物館と美術館の2会場で開催されています。会場ごとに出品作品に独自性を持たせている点が、国内では異例の試みで、同じ内容が巡回している、というものではありません。

それでも、国立国際美術館で「美術館分」を見た私にとって、神奈川県博で開催中の同展へ再び足を運ぶことは、見逃していた「博物館分」を補う意味がありました。図録の最初の見開きページを飾っている、狩野探幽《東照大権現霊夢像》とトーマス・マレー《ウィリアム3世像》を見ることができて、ようやくこの展覧会の内容が自分の中で1つのまとまりを成した気がします。

東照大権現=徳川家康と、イギリス国王ウィリアム3世の肖像画の対比は、東西の権力者像の表現の違いを見比べるというだけでなく、こののち、アジアとヨーロッパの交流が盛んになって、それぞれの伝統様式が変容していく歴史をたどる基点ともなっています。国立国際では、作者不詳の《東照宮御影 元日拝礼》とゴドフリー・ネラー郷の《ジェームズ2世》が展示されていました。

会場には、西洋から日本への影響だけでなく、ジャポニスムのような日本から西洋への影響、あるいは、日本以外のアジア諸国で生み出された西洋風の肖像画や、アジアに滞在した西洋人による東洋風の肖像画なども展示され、一口には語れない複雑な「乱流」(同展図録、161頁)が存在したことが示されていました。

企画代表の吉田憲司さんの講演会では、各会場で展示作品が異なることについて、「中心となる1人か数名のキュレーターによるストーリーによってパッケージ化された展覧会が巡回するのでは、共同開催とは言えない。18カ国の共同作業であることから、コンセプトだけを巡回させて、各館のキュレーターが独自に内容を組み換える多声的な展示方式へと至った」という説明がありました。

従来、日本発の国際巡回展に対し、アジア諸国から文化帝国主義的であるとの批判がありましたし、また、逆に日本では、欧米のキュレーターが監修した展覧会が国内を巡回することが、現在でも少なくありません。巡回館の各学芸員が主体性を発揮する同展の方式を、県博の嶋村元宏さんは「競催」という言葉で表現されていました。

また、「移動する都市」展を参考にされたのか質問してみたところ、独自に到達した、ということがわかりました。

この展覧会には、以前話題にした「2人の肖像画」も数点見られます。
日本の《本木良永夫妻像》や、韓国の《文官夫妻の肖像》など一幅の掛け軸に描かれた夫妻像は、それ自体、珍しい作例だと思います(3/1までの展示)。
また、《五州大薬房ポスター》や《ローラースケートをする二人の女性》など、20世紀初頭の中国で制作された商業ポスターは、「双美人図」と言うべき興味深い作例です。

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神奈川県立博物館での展示風景 2009年2月15日13時22分(外は曇り)
山口大学では、普通講義と特殊講義の区別があります。

講義の最初にアンケートをとると、「私は美術に詳しくないのですが大丈夫でしょうか」という相談をよくもらいます。
そこで、普通講義は入門的な内容にし、専門的な内容は特殊講義で話すようにしています。前回紹介した概論が、普通講義です。特殊講義では、前期に国際美術展について、後期では国内で開催される展覧会について、内容紹介や、企画趣旨、背景の解説などを行っています。

美術展を講義で紹介するねらいは、学生の足を作品のもとへ向けることです。
教室では、作品の画像をプロジェクターで投影することしかできません。それで理解したつもりになって欲しくないので、なるべく開催中の展覧会を紹介して、レポートを課し、実際に展覧会へ出掛けてもらうようにしています。また、学芸員資格の取得を目指す学生にとっては、学芸員の企画業務について実例に即した学習になる、と考えています。

すでに終了した展覧会の中にも取り上げたい企画があったりするので、必ずしも開催中の展覧会だけで構成するわけではない反面、今期紹介した展覧会の中では「アジアとヨーロッパの肖像」のように、講義での紹介と展覧会の会期が、とてもうまくかみ合った例もあります。同展は、講義で紹介した11月4日時点で、まだ大阪での会期を残していましたし、年末年始にかけては隣県の福岡へと巡回し、現在、神奈川で開催されています。大阪、福岡で見たという学生も、春休みに東京へ出るついでに見るという学生もいました。

「アジアとヨーロッパの肖像」は、2008年9月に国立民族学博物館国立国際美術館の2館で開幕しました。福岡では福岡アジア美術館の1会場でしたが、神奈川では再び、神奈川県立近代美術館神奈川県立歴史博物館の2会場で開催されています(3月29日まで)。

美術館、博物館で同時開催することに込められた主催者たちのメッセージの一端は、「『美術作品』『歴史資料』『民俗資料』の境界を取り払うこと」という言葉に集約されていたように思います(同展図録、206頁)。

ニューヨーク近代美術館で1984年に開催された「20世紀美術における"プリミティヴィズム"」展や、ポンピドゥー・センターで1989年に開催された「大地の魔術師たち」展に連なる問題意識だと思われます。非欧米圏で生み出された諸物を歴史資料や民俗資料と位置づけてきた欧米中心の「美術」観に対する問い直しです。「アジアとヨーロッパの肖像」の企画代表をされている国立民族学博物館教授の吉田憲司さんは、『20世紀美術におけるプリミティヴィズム』(淡交社)の監訳者でもあります。

私は、昨年10月、国立国際美術館で同展を見ました。関西空港から山口へ帰る途中だったので、国立民族学博物館まで足を伸ばせなかったのが大変心残りです。
というのも、同展は巡回展とはいっても「各会場で展示される作品や資料はそれぞれに異なったものとなる」(8頁)特殊な形式の展覧会で、ざっと数えてみたところ、民博のみで展示される作品が69点、国立国際のみの作品が78点、以下、福岡26点、神奈川県美39点、同県博37点と、その館でしか見られない作品が随分あったからです。他方、地域単位では大阪、福岡、神奈川の各地を巡回する作品は110点あり、単館出品の作品数を遙かに凌いではいるのですが。

このように巡回先で展示内容が変わる形式について、私はウィーンの分離派館から世界巡回した「移動する都市」展(1997-99年)を思い出します。ハンス=ウルリッヒ・オブリストとホウ・ハンルの企画で「成長し続ける展覧会」として話題になりました。

「アジアとヨーロッパの肖像」もまた、日本を皮切りに、マレーシア、シンガポール、フィリピン、スウェーデン、イギリスへと世界巡回するようです。成長の様子がウェブ等で公開される日が楽しみです。

20090210blog.jpg山口大学人文学部研究棟(左)と講義棟(正面)2009年2月10日10時34分(晴れ)
大学はいま、学期末です。

先週と今週は期末試験でした。2008年度後期は、1年生から受講できる概論の内容を大きく変更しました。これまで、時代順に西欧美術史を紹介したり、美術史研究の方法論の変遷を解説していたものを、毎回1都市を取り上げて、代表的な美術館のコレクション10点を紹介するという方式に変えたのです。

ローマから始めて、ヨーロッパを反時計回りにめぐるという筋立てで、フィレンツェ、ミラノ、チューリッヒ、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドン、マドリードの美術館を紹介しました。パリとロンドンは、ルーヴル美術館やオルセー美術館、ナショナル・ギャラリーやテート・ブリテン/モダンがあるので、2週連続で取り上げました。

初期ルネサンスからバロックまでの美術を1都市で紹介したり、中盤にゴシックや初期フランドル派を紹介するなど、時代の幅は集中したり、前後することになりますが、繰り返し登場することで、学生の記憶の強化につながったと思います。終盤のロンドンで紹介したウッチェロの《サン・ロマーノの戦い》は、ナショナル・ギャラリーのほかに、ルーヴルとウフィッツィに1点ずつ所蔵される3部作である、ということは、すでに他の美術館について紹介済みだったので、学生にとって具体的にイメージし易かったと思います。


ロンドンを紹介するにあたって、桜井武さんの『ロンドンの美術館』(平凡社新書)を読みました。
ホルバインの《大使たち》とホックニーの《クラーク夫妻とパーシー》はもともと取り上げる予定でしたが、両作品をイギリス美術史におけるダブル・ポートレートの系譜としてつなげてあった記述には、思わず膝を打ちました(29頁)。ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》も、この系譜との関連で考えてみたい作品です。

ダブル・ポートレートは、西洋美術の研究書では「二重肖像画」と訳されています。
他方、平凡社の『日本美術史事典』で肖像画の項を見ると、夫婦や友人を組み合わせた絵を「二人肖像画」と称しています。写楽の役者絵の解説にも「二人大首絵」という言葉が見られますから(『原色浮世絵大百科事典』8巻、23頁)、日本語では「二重」よりも「二人」の方がしっくりくるのだと思います。

実際、友人の日本美術史研究者に、この件で相談してみたときも「左甚五郎だけど画家の自画像」みたいな1人で2人分、という意味で二重なのかと思った、と言われました。


私は、当初「ダブル」を「双」や「両」に置き換えて日本語化できないか、と思案していたのですが、いまだにうまい訳語に行き当たりません。そんな流れで、第1回目に書いた「史記を読みなさい」というアドバイスを頂いたのでした。

 「読書」は、レ点をつければ「書を読む」となります。これが、漢語センスのある明治期の学者たちが造った訳語だ、という話を聞きました。これに対して、国際美術展(International Art Exhibition)や多文化主義(Multiculturalism)のような訳語は、欧米語に対応する漢字を機械的に積み上げただけで、「センスが感じられない」日本語だと言えます。

 
最近、高階絵里加さんが訳された『シャガール』(岩波書店)で、ポンピドゥー所蔵のシャガールとベラの肖像画が「2人の肖像画」と訳されているのを見つけました(122頁)。

あえて漢字を積み上げて1語にしないのも、手かも知れません。

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山口大学吉田キャンパス正門 2009年2月5日12時21分(曇り)

藤川 哲です。この2月から4月末まで、加治屋健司さんと一緒に「アート日報」を担当することになりました。
どうぞよろしくお願いします。
普段は、山口大学人文学部で美術史の講義を担当しています。
森司さんとは、私の前職、群馬県立近代美術館学芸員時代からのご縁で、声をかけて頂きました。このような素敵なコーナーを任せてくださって、本当に有り難うございます。


このコーナーのお話を頂いて、最初に考えたのは、「自分なりに名前をつけてみよう」ということでした。念頭にあったのは、某新聞の「天声人語」や「夕陽妄語」です。

ここ数年、私は国際美術展の調査や研究をしています。artscapeに発表の機会を頂けたのも、そうした脈絡からかな、と推理しています。しかし6月や9月であれば、海外の国際美術展を巡る予定があるので、そうした見聞をご披露することもできますが、普段、私が生活している場所は山口ですから、読者の方々にどのような情報を提供できるのか、気後れする部分もありました。

そこで思い出したのが、雑誌『国際交流』で読んだ、オクタビオ・パスの言葉でした(第100号)。「独楽の落つるところ、すべての場所が世界の中心になる」といった内容が紹介されていたと記憶していますが、この言葉は、ネットで調べてみると「子供がそれを投げるたびに/独楽はまさしく落ちる/世界の中心に」という、俳句に影響を受けた3行詩からきたものでした(出典サイト=「松山宣言」)。
独楽が回っている。しかし、独楽の方へ視点を移せば、独楽の周りで宇宙が回っている、と、この詩人の想像力を追想できます。

この着想を借りて、ここ数日、漢字辞典とにらめっこしながら「落錐旋天」、「一言回天」といったような言葉を案出していたのですが、結局、今日に至るまで、ぴたりとくるものに到達できませんでした。ちょっと大仰な感じがして、気恥ずかしいというのが主な理由です。

漢語のセンスがないことも痛感します(最近、中国哲学や日本思想史の先生方から、辞書を頼りにするのではなく、『史記』を読むよう、助言を頂きました)。

結局、今日、四字熟語の辞典をあたり、「天高気清」、「事上磨錬」、「覧古考新」、「北窓三友」など、パスの詩想から離れて、自分の気分に合う言葉を探したところ、「行雲流水」が一番しっくりきました。
あれこれ理屈っぽい割に、最期はフィーリング勝負、という辺り、いかにも私らしい、と納得しています。


「行雲流水」で日々の考えを綴っていきます。3ヶ月間、どうぞよろしくお付き合いお願い申し上げます(4-5日に1回ペースで更新の予定です)。

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道場門前大駐車場の屋上から小郡方面を望む 2009年2月1日16時46分(晴れ時々曇り)

ブロガー

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