『アンフォルム』の翻訳を終えて(1)

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先月、翻訳の仕事が一段落しました。近藤學さんと高桑和巳さんと一緒に翻訳していたイヴ=アラン・ボワとロザリンド・クラウスの『アンフォルム 無形なものの事典』の校正がほぼ終わりました。3人で翻訳しようと言い始めてから随分と年月が経ってしまい、その間お待ちいただいた方には大変申し訳なく思うと同時に、ようやく出版できそうでほっとしています(月曜社から出版されます)。本来なら、こうした文章は、刊行されてから書いたほういいのでしょうが、このブログも4月末までですので、今の時点での思いを書かせていただきます。

この本は、アメリカで活躍する二人の美術史家が、バタイユの用語を方法論として練り上げながら、主として第二次世界大戦後の美術を論じたものです。もとは、二人が96年にパリのポンピドゥー・センターで企画した展覧会「アンフォルム 使用の手引き」の図録として出版されました。翻訳は97年に出版された英語版に基づいて行いましたが、フランス語版にも一通り目を通して異同もチェックしています。

著者のボワとクラウスは、それぞれプリンストン高等研究所教授とコロンビア大学教授で、アメリカを代表する美術史家です(ボワはアルジェリア生まれのフランス人ですが、80年代半ばからアメリカで活動しています)。ともに学術誌『オクトーバー』の編集委員を務め、様々な理論を援用して美術史の方法論を変革しつつ、主に20世紀の美術作品について画期的な解釈を行ってきました(二人については、林道郎さんによる優れた紹介が『美術手帖』の1996年2月号と5月号に載っています)。

この本は、タイトルにある「アンフォルム(無形なもの)」から分かるように、第一に、クレメント・グリーンバーグが提唱したフォーマリズムに対する批判を目指しています。フォーマリズムに対する批判はその同時代から始まって、1980年代半ば以降は理論的に再検討する作業が進みました。ボワもクラウスも、それぞれの著書や論文の中で幾度となく論じています。本書は、さまざまな論者によって行われたフォーマリズムの再検討を踏まえつつ、これまでの二人の議論を集大成したものと言ってよいでしょう。

それと同時に、この本は、90年代前半に注目を集めていた「アブジェクト(おぞましいもの)」に対抗することも目指しています。松井みどりさんが『アート "芸術"が終わった後の"アート"』にまとめている通り、90年代前半には、アブジェクトと多文化主義に対する関心が高まりましたが、前者に対してはこの本が、後者に対しては1996年夏の『オクトーバー』77号のヴィジュアル・カルチャー特集が、否を突きつけたことになります(当時クラウスははっきり "I hate visual culture." と言っていました)。ボワとクラウスは、フォーマリズムだけでなく、反フォーマリズムの文脈で注目された「アブジェクト」に対しても批判の矛先を向けたのです。

この本を最初に読んだときに印象深かったのは、方法やその対象に対する姿勢の慎重さでした。実は、ボワもクラウスも、一般的に思われているほど、新しい理論や方法に関心をもつような美術史家ではありません。本書に出てくるのは、バタイユだったり、精神分析だったり、記号論だったりと、とても「古くさい」理論ばかりです。フォーマリズムに一時期慣れ親しんでいた二人は、この本において、自分たちが依拠してきた方法を再検討して批判するという、地味な作業を行っています。丸山昌男が『日本の思想』で論じたように、新しい理論が出てくると、それまでの理論は古くさく見えてしまい、新しいものに取って代えようという動きがよく起こりますが(これは日本だけの現象ではなくアメリカのアカデミアでも一部見られます)、そのように意匠として理論を扱うのではなく、自らが依拠してきた方法を愚直なまでに検討し続けているところに新鮮な思いがしました。

そして、それと同時に、彼らが最終的には作品の解釈を豊かにすることを目指しているところも印象的でした。本書はきわめて理論的な書物で、フォーマリズムやアブジェクトに理論的に対抗するという側面もありますが、他方で、彼らの大きな関心が、どうしたら作品をこれまでとは違ったやり方で見ることができるかというところにあることも事実です。二人は、一般的に思われているのと違って、作品分析を重視しています。美術史でもホミ・バーバの議論が注目を集めたこともあり、昨今、作品そのものよりはそれが生産・流通・受容された時代や地域、状況の分析に重きを置く論文が増えましたし、私自身そうした論文を何本か書いたことがありますが、絶えず作品に還っていこうとする二人(とくにボワ)の姿勢を見ると、いつもハッとさせられる思いがします。

ブロガー

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