駅前の庭とディエゴ・テオ(シエンプレオトラベス)

シエンプレオトラベスのドローイング

「シエンプレオトラベス」のドローイング

地下鉄駅前広場の庭

突然ですが思い切って語ると、私の夢は過去に美術や音楽や踊りが生まれたみたいに、現代の社会に暮らす人々のふるまいや思想の中から試みられかたちを現すような文化や芸術の生まれたり育まれる場に立ち会うことです。
今回渡墨するにあたって、民衆による革命、壁画運動のような社会運動と結びついた芸術の歴史を持つメキシコでは、民衆のニーズから文化芸術が生まれるシーンに出会えるんじゃないか、という漠然とした期待がありました。
実際には今、第2回ブログで書いたリサーチ目標の「コミュニティの中に内在している文化や芸術を発見すること」は、正直言って難しいと感じています。当事者が文化や芸術と認識したり表明したりしていないようなものについて情報を集め、文化芸術だと認識することがとても難しいからです。

なんですが、こういうことかもと思える風景が私の家の近所にもありました。

私が今住んでいるエリアは、メキシコシティの中心街より南にあるディビジョン・デル・ノルテという地下鉄駅のそばにあります。大通りの両側には地下鉄の入口と広場があって、一方の広場にはよく見かける街路樹が、もう一方の広場には明らかに種類も色どりも多い植物があります。その風景がやけにインパクトがあるなあと思っていたところ、昨年末に同じアパートに住むアーティストのディエゴ・テオとその広場を通りがかったときに、彼がその広場のことについて教えてくれました。

それらの植物は60年くらい前からこの路上で物売りをしている先住民の家族たちが植えたもので、今や彼らの庭のように見えるこの広場には、彼らが食べるためのフルーツや野菜、バナナ(葉っぱでタマーレスを包んで蒸すため)や薬草、そして彼らに馴染み深い植物の竹などが植えられているのだそう。さらに地下鉄駅の周辺にはいくつかの先住民の家族が物売りをしていてずっと路上に暮らしていたのだけど、25年くらい前に目の前のビルが空いてからは、集まって秘密にそのビルに暮らしているのだということ。

「まるでここらは彼らの自治区みたいだろ?」とディエゴは言います。メキシコ市によって管理されている土地を彼らは着々と耕し、拡げ、食べ物を植え、それらはますます視覚的なインパクトを放っています。
彼らにとってこの庭はアートではないけれど、水をやったり丁寧に葉を間引いたりしている彼らを見ていると、この庭が彼らの生活を心身ともに豊かにしていることをひしひしと感じます。

都市の一部分を侵略しているようにも見えるけど、彼らにとってはごく自然な自律的な生活のあり方だったんだろうな、でもそれにしてもすごいね、いいねと、ディエゴと話しました。

先日、このブログを書くために、もう一度この庭をディエゴと訪ねたところ、最近彼らの家である空きビルに買い手がついたために、バリケードが立てられて取り壊 しが始まっていました。住み処がなくなって、自分の村に帰ってしまった一家もありますが、今も90歳のおばあさんをはじめ、その娘家族や叔父家族らが、彼らの庭のある路上に住んでいます。

地下鉄駅前広場の庭。彼らの中でも特にこの庭に腕をふるっているのがこのフェデリコ・フェルナンド(右)。3年以上かけてこの植樹を作り上げてきた。雑多に見えるけど、それも含めて庭としてすばらしい

左=地下鉄駅前広場の庭 右=彼らの中でも特にこの庭に腕をふるっているのがこのフェデリコ・フェルナンド。3年以上かけてこの植樹を作り上げてきた。雑多に見えるけど、それも含めて庭としてすばらしい

ディエゴ・テオ(Diego Teo)とシエンプレオトラベス(SIEMPREOTRAVEZ=いつでももう1回)

この庭のことを教えてくれたディエゴ・テオは1978年メキシコ市生まれのアーティストで、2002年から工業製品を使った立体作品やインスタレーション作品を発表し、活動初期からメキシコの現代美術ギャラリーや美術館、アートフェアで活躍していた一人です。ここ数年はギャラリーや美術館で個人として作品を発表することはすっかりやめてしまい、最近ではウイチョル族やラカンドン、オアハカ州の先住民などの村を訪ねて儀式やデモに参加したり、ジャングルでビデオを撮ったり、村の廃墟で壁画を描いたり、といったことを先住民たちと一緒に行っています。それらのビデオや壁画は、そのまま展覧会として発表されることはほぼなく、主にディエゴと先住民たちにとってその時その場所のための遊びや創作として行われています。

ディエゴに、なぜ以前のような作品を作ることをやめたの?と聞くと、「いくつか理由はあるけど、もっとアートの外の人と話したいと思ったから」と言います。今の彼の興味は、それまで創作していたようなアート作品が媒介しなかった人たちと対話することにあるようです。つまり自分とは民族も社会背景もアイデンティティも生活や文化に対する考え方も違っていて、現代美術に全く関心のない隣人である先住民たちと、何を共有したらどんな対話が可能なのか、どんな対話が必要なのかということを考えています。
そして頻繁に先住民の集落を訪れる一方で彼が続けているアート活動の一つが、「シエンプレオトラベス(SIEMPREOTRAVEZ=いつでももう1回)」です(ウェブサイトがかっこいい!)。これはアンドレス・ビジャロボスとディエゴ・テオのコラボレーション名/プロジェクト名で、ラジオ番組や映画の創作、デモでのパフォーマンス、ドローイングセッションなどに友人たちを呼びかけ、ワークグループを作って1日限りのセッションを行います。ディエゴにとって、先住民たちと行われる上記のような対話の試みに対して、「シエンプレオトラベス」の活動は主にアーティストの特定多数の友人たちとの瞬間的な共同作業で生み出されるアートのかたちにフォーカスしています。
「シエンプレオトラベス」は、その日その場に集まっては何かをやって消える繰り返しで後日その記録がウェブサイトなどに公開されることもないのですが、唯一その活動を目にすることができるメディアとして新聞を発行しています。ファンタズマ(幽霊)のように現れては消える彼らの活動から「PERIÖDICO FANTASMA(ペリオディコ・ファンタズマ=幽霊新聞)」と名付けられたその紙面には、日々彼らが描きためている小さなドローイングとテキストがみっちり詰まっていて、おそらく彼らが今後具現化していくであろうアートのための断片的なエスキースになっているんじゃないかと思います。そんなディエゴと「シエンプレオトラベス」の日々のプラクティスには、先住民達の庭に似た、熟成されていく戦略的でない戦略のようなものを感じています。

最後に彼の作品などを紹介します。

Diego Teo, "Emigración" 2004(ディエゴ・テオ《移民》、2004、立体作品、マッチ棒)

Diego Teo, "Emigración" 2004(ディエゴ・テオ《移民》、2004、立体作品、マッチ棒)

SIEMPREOTRAVEZ, 2010(シエンプレオトラベス、2010):メキシコ近代美術館でのワークインプログレス

SIEMPREOTRAVEZ, 2010(シエンプレオトラベス、2010)……メキシコ近代美術館でのワークインプログレス

SIEMPREOTRAVEZ, 2010(シエンプレオトラベス、2010):メキシコ市内のホテルでの1日ショップ販売。ワークグループでTシャツやCD、シールなどを作って販売した

SIEMPREOTRAVEZ, 2010(シエンプレオトラベス、2010)……メキシコ市内のホテルでの1日ショップ販売。ワークグループでTシャツやCD、シールなどを作って販売した

SIEMPREOTRAVEZ, 2011(シエンプレオトラベス、2011)……メキシコ市のガリバルディ広場にて。映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーが呼びかけた、メキシコ麻薬戦争による死者を慰霊するためのデモでのパフォーマンス

SIEMPREOTRAVEZ, 2011(シエンプレオトラベス、2011)……メキシコ市のガリバルディ広場にて。映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーが呼びかけた、メキシコ麻薬戦争による死者を慰霊するためのデモでのパフォーマンス

SIEMPREOTRAVEZ, 2011(シエンプレオトラベスへの招待状、2011)

SIEMPREOTRAVEZ, 2011(シエンプレオトラベスへの招待状、2011)

「ワークショップを共有する
知り合うための対話をする
すると、たぶん何かが起こる。
探索し続けること
交換、友情、戦い、変化、衝動、瞬間的、陽気な叫び、
いつもいつもいつでももう一回。」(日本語訳)

PERIÖDICO FANTASMA(幽霊新聞)

"PERIÖDICO FANTASMA(幽霊新聞)" SIEMPREOTRAVEZ

“Emigración” , photo by Diego Teo

“SIEMPREOTRAVEZ”, all photo by SIEMPREOTRAVEZ

ブロガー:内山幸子
2012年2月29日 / 18:12

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