Dialogue Tour 2010

第3回:MAC交流会@Maemachi Art Center[プレゼンテーション]

宮城潤/会田大也2010年10月01日号

twitterでつぶやく

プレゼンテーションディスカッションレビュー開催概要

前島3丁目祭(2004〜)

宮城──このビルを拠点にしていろいろと活動していくなかで僕が感じていたことは、前島3丁目という街は暴力団抗争があって寂れたけど、それが本当に問題なのか、なぜこうなるまでに歯止めをかけられなかったのかということです。僕らがイベントをやったりプロジェクトを起こしたりしたときに、こんなことをうちでもやって欲しいと他の地域からは言われたりしました。けれども、前島の人たちはのほほんとしていて、あんまりそうは感じていないような雰囲気があって、これはもともとの地域の力が弱いんだなと思ったりしました。でも、2002-03年にWanakioをやったり、子どもたちのワークショップや街を歩いていろんな歴史を辿るようなことをしていくと、地域の人たちもやっぱりノッてきて、自分たちでなにかをやりたいと思いはじめるんですね。それで、2004年に自治会が主催となって、お祭りを企画すると言いだしたんです。じつは歓楽街が栄えているころは社交組合が元気で、そこが中心になって三角の小さい公園で盛大にお祭りをしていた時代があった。40-50代くらいの人たちはそれが頭に残っていたようです。子どものころすごく楽しかったと。50代くらいって仕事と生活に追われて忙しいから地域の活動にうまく関われない年代なんだけど、前島アートセンターに刺激されたようでした。これはチャンスだと思って協力するつもりでいたのですが、結果的に僕らがあまり関わることができませんでした。それもあって、中心になった人が疲れてしまったのか、もう次はやらないということになってしまって、でも自治体としてはやらないとはいいたくないので、一年休んで2006年にまたやりますということになりました。でも、やる人がいないのであれば、これはもう絶対自然消滅するなと思ったので、前島アートセンターとして「祝・前島3丁目祭り──まえのまつり、あとのまつり」を企画しました[図5]。こちらは前島アートセンターのアートプロジェクトとしてやったのですが、「前島3丁目祭り」は自治会の祭りなので、そこに僕らがお手伝いに行きますという関係にしました。ビルに入っているそれぞれのテナントとアーティストたち同士のつながりも深めたかったので、両者をつなげる企画も一緒にして、さらに実際のお祭りにも関わってもらえるように仕向けました。


5──「祝・前島3丁目祭り──まえのまつり、あとのまつり」風景

 地域の人たちは前回のイメージだけで「これとこれを押さえたらこんな祭りができるだろう」と進めているので、僕らが押しかけて行ってより楽しくなるような提案をしました。たとえば、会議の場所だと堅い感じになるので、実際に会場で話をしようといって公園へ行ったり。やっぱり自治会の会議って、最初から結論が決まっていて意見も出ないような雰囲気なんですけど、そうではなくてファシリテーターがいて、自由に意見を出せるような雰囲気をつくって意見を出してもらう。そしてその意見を次の会議までにちょっとずつ実現させるということを丁寧にやっていきました。提灯なんかも、オリオンビールから「オリオン」と書いてある提灯を借りてくるのが定番なんですが、そうではなくて自分たちでつくろうといったり、当日遊ぶゲームもアーティストが関わって一緒につくったり、ポスターづくりのワークショップをしたり……。と、一つひとつを毎回ワークショップ仕立てにして、ちょっとずつ実現させていきました。アーティストにアートプロジェクトとして関わってもらうというよりも、地域の人たちが主体になるようにアーティストがそれぞれのスキルを持って協力するというかたちです。こういう関わり方もあるのかなと思いながら少しずつ試しました。それが2006年の夏の話です。


6──前島3丁目祭りのためにつくられた「前島3丁目音頭」

おきなわ時間美術館(2007)

宮城──その後、2007年の1月にオーナーの事情でビルは閉鎖されます。僕らがこの場所を出て行かないといけないときに、嬉しいことに前島の人たちが前島3丁目内で僕らが使える場所を探してくれて、大家さんに掛け合ってくれて、家賃激安で貸していただけることになりました。前のビルの隣の建物なのですが、場所が移ってからは、これまで紹介したような自分たちのスペースを使った展覧会やイベントがなくなるんです。というのも、Wanakioは街のなかでやっているし、なにか展覧会をしたりプロジェクトを起こそうと思ったら別の場所でもできる。だから事務所、倉庫、ミーティングする場さえあればいいという考えでスペースを借りたのですが、そうなるとここではなにも動かないんですよ。そんななか、2007年の11月1日に、当初予定されていた現代美術館が博物館と統合するようなかたちで沖縄県立博物館・美術館としてオープンすることが決まりました。最初にお話ししたように、僕らの設立の背景には美術館の開館が関わっていて、地域コミュニティだけではなくて沖縄県内全体のアートコミュニティを活性化させたいという思いもあって動いてきたので、その機会になにかしないといけないだろうと思いました。
 東京の「AIT(アーツイニシアティヴトウキョウ)」というNPOとは以前から「なにか一緒にできたらいいね」という話をしていて、彼らが以前からやっていた「時間美術館」というプロジェクトを沖縄で美術館の開館に合わせてやらないかと持ちかけられました。いろいろ話をして、美術館が2007年の11月1日オープンだったので、その1週間くらい前から前後するようなかたちで「おきなわ時間美術館」というイベントを2週間くらいやりました[図7]。話があった当初、AITとしては、「時間美術館」という彼らがやっているプロジェクトの枠としてやりたいという提案でしたが、沖縄サイドから考えると、「時間美術館」の概念がちょっと沖縄的ではないなという印象を持っていました。美術館というシステムがきちんとあって、そうではないかたちの時間限定の美術館を出現させるのが「時間美術館」のコンセプトですが、沖縄にはそもそも美術館はなかったし、沖縄と東京の時間感覚はまったく違うので、たぶんその価値観でやるのは無理だろうということです。そこで相談して「沖縄時間の美術館」にしたらいいのではないかということになりました。たとえばイベントの告知が「今日のトークは7時頃」とか。終了時間も「12時頃」、でも本当は明け方までやっていたりとかね。オープン自体が夕方くらいから夜11時とか12時までのイベントなんだけど、お客さんがいたら3時、4時くらいまで開けてることもあったり。
 イベントをした場所は、栄町市場というところです。おきなわ時間美術館にあわせてオープンさせたスペースですが、その後も前島アートセンターの新拠点として機能することになって、われわれはいまもここにいます。市場の中心でいいところです。すごく密な市場で一店舗が本当に小さいんです。一時は寂れかけていましたが、家賃も高くないということもあって、ミュージシャンが居酒屋やバーををやっていたり、昼間のお店も入ってきて、いまは空き店舗がほとんどないような状態です。でも自由な表現活動がなんでもできるかというとそうではない。人の距離が本当に近すぎて、ちょっとそこの苦労もあります。でも逆に市場から学ぶことは非常に多いです。本当にのびのびしていて、前島アートセンターのスペースで子どもたちがただ遊んでいたりとか、そういう状態も面白いなと思っています。


7──栄町市場でのおきなわ時間美術館

プレゼンテーションディスカッションレビュー開催概要

▲ページの先頭へ

  • Dialogue Tour 2010とは

宮城潤

1972年生まれ。前島アートセンター理事、アートNPOリンク理事。沖縄県立芸術大学院修了(彫刻)。2000年「前島3丁目ストリートミュージア...

会田大也

1976年生まれ。ミュージアムエデュケーター。東京造形大学、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)卒業。2003〜2014年山口情報芸術センタ...