現代美術用語辞典 1.0
タブラ・ラサ
Tabula Rasa
2009年01月15日掲載
「拭われた石版」。人間は先験的な知覚を有さない状態で産まれてくるという経験主義の立場から説かれた概念で、哲学史的にはロックの『人間知性論』の草稿で提起されたとするのが定説。もっともその立場は依然不徹底であるとコンディヤックより批判され、当のロックも決定稿の時点ではこれを「白紙」(white paper)とあらためた。後天的な観念連合の成立と対になっているこの立場は、以後「白紙」を批判的に検討したカントの「表象」概念や、ダーウィニズムの立場から遺伝の獲得形態を種の議論へと展開したスペンサーらの進化論などを経て、さらに厚みを帯びていく。美術の領域で、この「白紙」が注目を集めるようになるのは、M・デュシャンの《泉》やJ・ケージの《4分33秒》といった、20世紀前半における一連の前衛的な「白紙還元」の実験を経てのことである。作者による知覚の具体化が一切放棄され、ただ署名を付されただけで投げ出されたこれらの作品は、観者の先験的な知覚をも「白紙」へと還元する側面があるという仮説によって検証されたのだ。そしてこれらの作品は、美術館のホワイト・キューブが逆に抑圧的な側面をもつことをも明らかにしたのである。
[執筆者:暮沢剛巳]