現代美術用語辞典 1.0

大阪万博デザイン

Osaka EXPO Design
2009年01月15日掲載

1970年、日本万国博覧会は、大阪・千里で開催。通常、パリ万博、ベルリン万博などと都市名が冠されることが多いが、「日本」としたのは、大阪だけでなく、日本全体で開催されるのだということを印象づける必要性があったためであると柏木博は言う。60年代に噴出した高度成長期のゆがみやヴェトナム戦争など、戦後資本主義の矛盾があきらかになりはじめ、国家への批判、あるいは近代への批判をかわそうという意図もあった。とはいえ、マークロゴは永井一正、基幹施設プロデューサーは丹下健三、会場のシンボル「太陽の塔」は岡本太郎など、東京オリンピックからつづくクリエイターの活躍は、長野五輪の凋落ぶりに比して健康的ですらある。黒川紀章らメタボリズム・グループの生み出した会場は未来都市の展示場といった趣きであり、限り無い未来への夢が最後の華を咲かせたイヴェントであったといえる。イメージソングは三波春夫と、「国家規模のお祭り騒ぎ」であったが、万博はその後「科学博」「花博」「デザイン博」など、経済活性化のための手段となっていく。

[執筆者:紫牟田伸子]

現代美術用語辞典 2.0

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