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早春のパフォーマンス2つ──黄鋭の「八卦磨」と何雲昌の「十世」

多田麻美

2012年05月01日号

 3月後半から4月にかけての北京では、まるで暖かい日差しにいざなわれるように、展覧会のオープニングが増え、その充実度もアップする。そして今年は、社会や世界の現状、および構造をめぐる直観的、哲学的思考に満ちた2つのパフォーマンス作品が、北国の春らしい自然のダイナミックな変化と見事に呼応しつつ繰り広げられ、筆者に深い印象を残した。

円状に回り続ける

 この春、北京では著名作家の個展がいくつも開かれた。2009年に突如引退してしまった作家、顧徳新の現役時代の作品を網羅的に集めたユーレンス現代アートセンターでの回顧展やペース画廊における、中国現代彫刻の大家、隋建国の大規模な個展などだ。また4月21日にはすでに恒例となった草場地の春の写真祭も大盛況のうちに開幕した。だがここではあえて、単独の作品からなる2つのパフォーマンスについて取り上げたい。いずれも雪解けを待つ春の花のように粘り強い、持久力が際立った作品だった。

 まずは草場地の芸門画廊でのグループ展、「RAZE」の一角で行なわれた黄鋭のパフォーマンス《八卦磨(八卦の臼) Rumor Mill》から。
 3月24日の午後3時、多くの観客がひしめく会場で、石臼がゆっくりと回り始めた。動力となるロバとそれを追いたてる農民が中国を代現する5種類の穀物や豆を順番に挽いていく。挽き終わるごとに穀物は片づけられ、特製の瓶の中へ。黄鋭のサインが入ったそれら合計100本の瓶は、会場で即売されたのだった。


写真1・2 「八卦の臼」パフォーマンスの初日の風景[撮影:張全]


写真3 穀物を入れたサイン入りの瓶[撮影:張全]

 このパフォーマンスが公開されたのは、初日と次の土曜の2日間。2回目の公開日には観客も自ら挽くことができる、インタラクティブなかたちがとられた。だがパフォーマンス全体は、かなりの長期に。各40キロの穀物を5種類分、つまり合計200キロをすべて挽き終えるまで続いたためだ。終了したのは4月16日。つまり3週間以上かかったことになる。
 黄によれは、当初は毎日8時間、8日間連続で臼を挽き続ける構想だったという。もっとも具体的な長さはそう重要ではないのだろう。作品をめぐる説明のなかで黄鋭は「芸術は、理論上のいかなる極限にも達することはできず、また達する必要もないが、幸いにして任意の極限に達することができる」、「抽象性は具象によるどんな現実的条件の限界ももたない」と述べている。
 同解説によれば、穀物を挽きつぶすローラーの軸は、直線で進むべきところを、常に「誤り」によって、放射線状に広がる円形の台座の上に引き戻される。だがこの誤りこそが穀物をこすり合わせ、砕くという「正しい結果」を生む。つまり「誤り」は結果のうえでは「正しい」のだ。そしてロバがこの誤りを繰り返すことが、効果的な生産を生んできた。それこそが中国の歴史であり、現状である、というのである。

寓意の構造

 穀物を挽くロバは、茶色を意味するゾンゾンという名の10歳の雌ロバ。ロバは古来、人類に忠誠を尽くしてきた動物でありながら、往々にして「愚か者」というレッテルを貼られ、中国では罵り言葉にもよく使われている。そして哀しいことに、ロバのような、黙々と働く誠実な存在をかえって軽んじる風潮や社会構造は、まだ中国、ひいては日本を含む世界の多くの国で目立つ。
 もちろん、比喩の構造はそこまで単純ではなく、ロバはより多様な存在を象徴しうるだろう。だが、このように動物に社会への寓意、とりわけ庶民の苦労を重ね合わせるやり方は、筆者に中国古来の詩歌の伝統を想起させた。筆者は常々、中国の現代アートが往々にして持っている強いシンボル性は、中国の漢字文化、あるいは典故を多用する古典文学の伝統とつながっているのではないか、と感じているためだ。
 この臼とロバも含め、黄鋭の作品にはしばしば、茶や漢字、真珠など、中国的シンボルが登場する。それは「中国文化の文脈のなかに身を置いてこそ、芸術家は芸術史のなかに身を置くことができる」との考えからだという。

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