フォーカス

考えるコピー・マシーン 夏星「四年」展

多田麻美

2014年02月01日号

 現代社会では、模倣し、反復する行為はいたる所で数限りなく行なわれている。工場は同じ製品を大量生産し、車や電車は同じ区間を繰り返し往復している。人々もそれらに受動的に巻き込まれるだけでなく、しばしば自ら進んで、模倣や反復を行なっている。だが、自分がいっそのこと社会のコピー機かスキャナーになってしまい、物事の上っ面だけを毎日コピーせねばならないとしたら、どんな気分だろうか?
 昨年の10月から12月にかけて北京で開かれた夏星の個展、「四年 夏星2009年から2012年まで」は、そんな不気味な想像を誘う展覧会だった。

カラーインクを絵具に

 二つの展示室を埋めた作品たちはすべて均一の大きさ。2009年から2012年まで年代ごとに分けられ、1年分は60点ほどだった。いずれも北京の大衆日刊紙、『新京報』の報道写真をそっくりそのまま模写したもの。水色(シアン)、赤紫(マゼンダ)、黄色(イエロー)の三元色だけを使って描かれている。


写真1:「四年」展の展示風景[筆者撮影]





 

 
写真2:2009年の『新京報』の掲載写真を模写。テーマは「生存の状態」[提供:夏星]

 テーマに『新京報』を選んだ理由を夏はこう語る。
 「『新京報』は2003年の11月11日の創刊。私は2004年から描き始めたので、ちょうど制作のスタートと重なった。それ以前の新聞はプロパガンダ性が極めて強かったが、『新京報』が出た頃、新聞のニュースはある種の娯楽になり、社会の現実と緊密に結びついていないものも多くなっていた。そんななか、発刊当時の『新京報』は、独自の取材に基づいた読み応えある記事で知られる南方報業伝媒集団の傘下にあったため、論評が豊富だった」。
 もっとも、かつては気骨ある報道で知られていた『新京報』も、その後、権力や既得権益を持った勢力に煙たがられるようになり、2011年からは北京市党委員会宣伝部の管轄の下に入った。その結果、特色ある報道や論評が減り、他の政府系新聞との差がほとんどなくなっている。その傾向を反映してか、夏星の描く写真も2012年のものはプロパガンダ性の強いものが目立つ。夏自身も「自分と新聞との距離感は、色合いに表われている。2012年は赤だらけだった。それは、これからもずっと赤くなっていく、という予感もはらんでいる」と語る。





 

 

 

 

 
写真3:2012年を描いた作品[提供:夏星]

模写と反復の意味

 コピー、模倣、反復といった行為には往々にしてマイナス・イメージがつきまとう。しばしばオリジナリティの欠如、権利の侵害などといった要素を伴うからだろう。だが現代アートの分野では、ポップアートを例に出すまでもなく、しばしば現代社会を反映、批判する意味で、コピー、模倣、反復が表現の手段として大胆に活用される。本作からは、そんな反復と模倣の要素とともに、一年間、同じ場所、同じ格好でタイムカードを打ち続けた謝徳慶の作品に通じる、パフォーマンス・アートとしての要素も強く感じられる。
 「新聞を描くことを選んだ理由」を夏はこう語る。「中国の新聞は現実と関わりの深い事件を伝えていても、外側を見せるだけで、裏側の真相までは見せてくれない。解釈や分析のできる条件がないんだ。つまり私たちには発言権、物を言う権利がない。だから、絵を描くことは、『中にあることは見えない』という無言の表現だ」。
 つまり、夏星の制作行為は、中国の国内メディアの現状、ひいては程度の差こそあれ「報道」が必然的に抱える問題を告発したパフォーマンスだと捉えることができる。
 そしてその表現行為は9年間にわたるものとなった。なぜなら夏はこのシリーズを2004年から2012年まで描き抜いたからだ。

三つの時代を描く

 もっとも、2004年から2008年のオリンピックまで、夏は『新京報』の一面を飾った写真を描いていた。2008年、筆者はウルス・マイレ画廊で2006年の作品を展示していたのを観たが、その時の作品からは、『新京報』の果敢な報道姿勢への共感も感じとれた。事件の裏にある真実が見えづらい、という意味では当時の『新京報』も同じ限界を抱えていたものの、当時はまだ、何らかの形で探り出し、ほのめかしたいという記者たちの意気が感じられたからだろう。当時の『新京報』の報道写真のレベルの高さは、日本の大手新聞社のカメラマンも感嘆の声を漏らすほどだった。
 2009年から夏星は、同じ『新京報』を描きつつも、一面にこだわらず、毎年異なるテーマを設けて描いている。2009年は「生存の状態」、2010年は「自らの権利を守ろうとする人」、2011年は「権利を守ろうとする人々をコントロールしようとする人々」に関する記事を選択した。絵の大きさは三種類。2004年から2007年までは縦横が70×100センチ、2007年から2008年までは140×200センチ、2009年から2012年までは35×50センチだ。つまり縦横が北京オリンピック前に倍になった後、また縦横が1/4に縮んでいる。その理由を夏星はこう語る。
 「大きさは、大きくしても観る者が受け入れやすいことを基準にした。北京オリンピック前の時期は、中国という国が自分を大きく誇張して見せようとしていたので、おのずとサイズも大きくなった」。
 制作は2012年11月の第18回全国代表大会で打ち切られた。「2004年より江沢民から胡錦濤、そして習近平へと政権が移るなかで、三つの時代を描けたことになるから」と夏星は語る。また、「繰り返し描き続けることが耐えがたくなった」とも漏らした。

  • 考えるコピー・マシーン 夏星「四年」展