フォーカス

鼎談「アジアで、しなやかなネットワークを築く」

大友良英/相馬千秋/崔敬華

2015年01月15日号

大きな歴史と個人の歴史

相馬──「r:ead」は、レジデンス・東アジア・ダイアローグ(residency east-asia dialogue)の略で、第1回目は崔さんにもキュレーターとして参加していただいたんですけれども、東アジアに特化して、日・中・韓・台湾から、アーティストとキュレーターを2人ずつ4組招聘して、みんなが同時期に東京で対話をベースとしたレジデンスをするという企画です。
 ここでのレジデンスの本質は、アウトプット、つまり作品をつくることではなく、その前の段階での問いを深める作業なんです。そのためのリサーチであるとか、あるいはふだんはわざわざ選ばなければ直面しないような他者とあえて一緒に居させられる、対話をさせられるということを仕組んでいます。東アジアというと、当然歴史認識の問題であるとか、あるいは今でもさまざまな国際的な問題が、政治レベル、経済レベルであるわけですけれども、それこそ国家とか歴史という大きな枠組みでは大雑把で解像度の粗い回路でしか相手を見ることができない。もっと個人レベルで対話ができるようなチャンネルを複数つくって、「近くて遠い他者」であり、「内なる他者」でもある、東アジアの同世代の表現者たちと向き合うことが必要なのではないか。そして、いつもの自分たちの問いを掘り下げる過程でそういった他者と向き合わざる得ない環境をつくることが、表現者にとってすごく有効で意義があることなんじゃないかと思って、この企画を始めました。
 最初の2回を東京でやって、今年(2014年)は台湾でやることになりました。5年継続を前提にしていた助成金が不採択になってしまい、今年度日本で継続することが不可能になってしまって困っていたところ、去年キュレーターとして参加をしてくれていたゴン・ジョジュンさんが、じゃあ、自分のところでこの企画を丸ごとやるよと言ってくれて、プロジェクトごと台南に移動することになったんです。
 結果的には、企画者でありながらも、招かれる立場になって見えてきたものがあって、非常によかったと思っています。それが対等な関係の第一歩になったというか。で、来年以降も、できれば韓国とか中国とか、ほかの国の都市でやれたらいいなと思いますし、日本の中でも、例えば沖縄とか、東京ではない場所にこのプロジェクトがある種流浪していくというのはすごくおもしろい展開じゃないかなと思います。

 今までやってきた「F/T」は東京都が主催で、政治的な意味も含めて、強い、インスティテューショナルな枠組みだったのに対して、「r:ead」というのはすごくインディペンデントで、私や何人かの関わっている人間が、もうやめたと言ったら明日にでも終わってしまうような弱小企画なんです。でも逆に、このプロジェクトの必然性を信じていれば、いろんな恊働者、協力者が次々と現れ、フットワーク軽くおもしろいことが展開できるという強みがある。こういうものをしぶとくやっていくことにすごく意義があるんじゃないかと思っています。
 結局、私はプロデューサーなので、社会や時代に対して何かを問いかけたい作家や表現者と寄り添って、彼らの欲望や、彼らのイメージするプロジェクトや出来事を、いろんな形で一緒に実現していきたいという気持ちが根本にあります。でも、今のアートシーンだと、とにかくアウトプットの質と量が問われがちで、しかもすごく性急に成果が求められてしまう。その背景にはやはり、フェスティバル乱立時代と私は呼んでいますけれども、猫も杓子もフェスティバルというか、町おこしや観光と結びついたアートフェスティバルが増えたということもある。あるいは、アジアの都市間競争の切り札として文化イベントが位置づけられているということもあると思うんですけれども、下手をすると、アーティストがそういう大きな枠組みの中で、言葉は変だけど、業者化しちゃうというか、この枠組にフィットすることをやって下さいというオーダーにただただ応じていく。そういう類のアウトプットの質と量ばかりが求められるということが、起こってしまいかねない状況なんじゃないかと思うんです。
 こうした状況も意識し、「r:ead」では、規模はとても小さいけれども、アウトプットをあえて前提としないということを徹底しています。実際参加したアーティストも、アウトプットのために割くエネルギーを全部プロセスにとっておけるわけですよね。ただ、滞在の最後にこれからやっていきたいプロジェクトについて発表してもらいます。問いかけでもいい。そこに行き着くまでに、中国人とか、韓国人とか、台湾人のアーティストやキュレーターから、これは違うんじゃないか、そっちの立場から見るとこうだよねみたいなことをずっと議論するプロセスが、なかなか刺激的なんです。もちろんそこでのコミュニケーションの中身は非常に重い。しかも議論は日・中・韓・台、4カ国語でやっているんですよ。

大友──4カ国語? 英語を共通語にしていないんですね?

相馬──しないんです。原則として、全員がそれぞれの母国語を話し、それを逐次通訳するという形をとっています。アジアでもある程度海外経験があれば英語でコミュニケーションできるんだけど、そんなにアジア人の英語って精密じゃないじゃないですか。もしかしたら、英語を経由しないで、母国語どうしで、すごくバイリンガルな人を通して対話したほうが、実は直接的につながることができるかもしれない。あるいは、東アジアは漢字文化圏なので、うまく通訳さえ機能すれば、漢字でやりとりができるところもあると思うんですよ。あるいは、非常に言語的に近い日本語、韓国語のような関係を前提にして対話をしたほうが、実は精度は上がるんじゃないかと考えたんです。
 そして、今回台湾での第3回「r:ead」では、中国語がハブ言語になったんです。つまりすべての議論がいったん中国語を経由して、日本語や韓国語に翻訳されていく。これは大変です。何しろ現実的には、プロの通訳を2週間も拘束できないので、留学生に手伝ってもらうなどしながら、なんとか皆が理解できる状態にもっていくので、恐ろしく時間も労力もかかる。ただ、コミュニケーションに3倍時間がかかったとしても、すべての人が母国語で話せる権利を確保することが対等であることの第一歩のような気がするんです。

崔──私もそれをすごく感じました。アジアでは英語が共通語って考えがちじゃないですか。でも、実は英語がそんなにうまく話せない人って多いし、実はそこにアジアのアーティストの間での格差が生まれてしまう。

大友──大学出と大学出じゃない格差がそこに出ちゃう。

崔──そういう格差をフラットにしたいんですよね。

相馬──今まではアジア言語の通訳って、アートが専門ではない方が多かったと思うんですけれども、これからは崔さんのように、キュレーションやコーディネーションと通訳も兼ねられるようなスペシャリティを持っている人が増えていけば、大分シーンは変わってくるんじゃないかと思います。


第3回「r:ead」のようす

──普通はキュレーターがアーティストを選ぶのですが、「r:ead」は逆にアーティストがキュレーターを選ぶ。それはどうしてですか。

相馬──「r:ead」という場では、作品の問いを深めるための対話をしたいわけです。ですから、あくまでもアーティストが自分の問いを深めるために組みたい人を連れてくるというロジックにしたかったんですよね。それで、例えば崔さんの場合は、小泉明郎さんが、自分の作品を考えるには崔さんが必要だといって声をかけたんですよね。正直、必ずしもすべてのパートナーシップがうまくいっているわけではないんです。後から入ってきたキュレーターから、何やっていいかわからないというふうに言われちゃったりとか、課題もあります。

──呼ばれたアーティストに対してだけではなく、他のアーティストに対しても意見したりするんですよね。

相馬──そうなんです、そこがおもしろいところなんです。プレゼンの後にフィードバックの時間をとるんですが、だいたいすべての参加者が自分の問題意識と絡めて積極的に発言するんですよ。そうすると、ある側面から見るとこう見えるけれども、ほかの国から見るとこう見えるよみたいな批評があったり。双方向の対話は非常に刺激的です。
 それから、東アジアには様々な理由によって複雑に入り組んだアイデンティティを持つ方が大勢いて、それもまた東アジアの歴史と現在を構成しています。そういう個人のアイデンティティや複雑な歴史について再考できる場をつくりたいということで、そうした問いを発しているアーティストにも参加していただいています。例えば、今回ですと作家の温又柔さん★11 。温さんは台湾生まれでご両親も台湾人ですが、ずっと日本で育って、日本語で生活している。そして、日本語で小説を書いている。彼女が「日本の代表」というポジションで台湾での「r:ead」に参加して、最終プレゼンテーションでは、自分の亡くなった台湾人のおじいさんに向けて、台湾語で詩の朗読をしたんですね。それが非常に感動的で、ディレクターのゴンさんが突然、自分の父親が蒋介石とともに軍人として中国から来て、というような話をしだしたんです。台湾ではそうした個人のルーツについて話すことは、見えない分断線を引くことにもなりなねず回避されがちですが、「r:ead」の最終日にはそれを乗り越えていこうとする意志や信頼関係が参加者同士の間で生まれたのを実感しました。実際、個人のルーツと東アジアの歴史はどうしても密接に結びついている。誰でも自分の祖父母が戦前、戦中にどう生きたかをさらけ出せば自ずと東アジアの歴史が浮かび上がってくるようなところがある。しかし、それはあまりにも重すぎるし、他者を傷つける危険性もあるので、日常生活のなかでは決して安易に語られることはない。でも、そういうことをうまく解きほぐしていくような、表現者同士の信頼できる場をつくっていきたいというのが「r:ead」の根底にあります。
 「r:ead」は、現段階ではとても小さな、テンポラリーな東アジアのコミュニティですが、そこでコミュニケーションのモデルや、対話の形というのをいろいろ実験して、それがいつか何かしらもっとほかの人たちとも共有できるようなアウトプットに繋げられたらいいなと思っています。今はまだ試行錯誤の段階ですが。



★11 おん・ゆうじゅう: 1980- 台北市生まれ、台湾国籍の日本の作家。3歳で来日、台湾語、日本語、中国語が混在する家庭で育つ。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。