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クリエイティブの経済性─自覚するインドネシア

本間久美子

2015年03月01日号

 2014年、インドネシア初の庶民派大統領が誕生した。先のユドヨノ政権下で10年間続いた「安定」の時代に終止符を打ち、非・政治エリートの新大統領はどこへ向かうのか。期待と不安に揺れるインドネシアのいまを、「クリエイティブ」と「経済」を繋ぐ視点で捉えたい。果たして「クリエイティブ」は「経済」に翻弄されるのか。あるいは翻弄する側なのか。



Angki Purbandono《Taksi》[ファタヒラ郵便局ギャラリーにて、筆者撮影]

クリエイティブ産業への期待

 経済効果のない「クリエイティブ(インドネシア語ではkreatif)」はこの時代のクリエイティブではない。少なくとも、昨年10月末に発足したインドネシアの新政権にとって、それは自明である。この1月には「クリエイティブ産業庁(Badan Ekonomi Kreatif)」が新たに設置され、クリエイティブ産業に注力すると明言した選挙公約の実現に向けて、早くも動き出した格好となった。
 「インドネシアのクリエイティブ産業が生み出した商品は十分に優れている」→「にもかかわらず、これまで正当に評価されてこなかった」→「その結果、同分野の国内市場は外国勢に占められてしまった」。現状をこのように理解するジョコ・ウィドド新大統領は、同庁の設置によって、インドネシア国内のクリエイティブ産業の高付加価値化を支援し、国内市場のみならず、ひいては輸出品のひとつとして国益に貢献するものへと成長させたい意向である。
 こうした動きには、インドネシアの貿易収支の問題が大きく関与している。近年、日本にとっての有望な海外投資先として注目されてきたインドネシアであるが、2012年以来、過去にない貿易赤字に直面していることはあまり知られていない(2012年に同国初の貿易赤字を経験、以来3年連続で赤字を記録している)。輸出品の約60パーセントを石油・ガス、パーム油、ゴムなどの一次産品に依存してきた結果、高付加価値産業の育成が遅れている。一次産品の国際価格が下落傾向にあるなか、赤字構造脱却のカギとなるのがこの「高付加価値化」なのである。
 したがって、いまやクリエイティブなるものも経済と無縁ではありえず、むしろより高い経済価値を積極的に生み出すことをこそ期待されている。以下、この国のクリエイティブと経済の関係について、ジャカルタ北部の「コタ・トゥア」地区における「ファタヒラ郵便局」の再生を例に探っていく。

経済特区としての旧市街

 コタ・トゥア地区とは、オランダ植民地時代の西洋建築を数多く残す旧市街である。香辛料貿易の港として栄えたスンダ・クラパ港にほど近く、17世紀にはオランダ東インド会社(VOC)の拠点にもなったこの一帯には、本国同様に運河が流れ、跳ね橋がかかり、瀟洒な商館が立ち並んでいた。しかし、かつては「アジアの宝石」と呼ばれたコタ・トゥアも、2000年代に急増した大型ショッピングモールの魅力には太刀打ちできなかった。無論、例にもれず、一部の人々による歴史的建築物の保全活動の類は行なわれたが、いずれもサステイナブルな結果にはならなかった。文化財的価値をいくら訴えたところで(それらが植民地支配の歴史を物語るという複雑さも手伝ってか)、自らの資金を投じて建物を維持しようという所有者はほとんどなかった。また、たとえ物理的に修復されたとしても、現実的な用途のない過去の遺物が再び廃れるのに、さほど時間はかからなかった。「コタ・トゥアはペシミズムと無関心の、そして思考の停止した廃墟である」とは、続いて説明する「ジャカルタ旧市街再生会社」のリン・チェ・ウェイの言葉である。


廃墟と化したコタ・トゥアの歴史的建築物[筆者撮影]

 2014年に設立されたジャカルタ旧市街再生会社(Jakarta Old Town Revitalization Corporation、以下JOTRC)は、コタ・トゥア地区を経済特区として再開発するうえでのイニシエーターの役割を果たす官民によるコンソーシアムである。アドバイザーには元国営企業大臣のソフヤン・ジャリル(現経済担当調整大臣)、Tempo誌(インドネシアで最も知られた政治経済誌のひとつ)の創設者で知識人のムハマド・グナワン、インドネシア建築界の重鎮ハン・アワル、金融アナリストのリン・チェ・ウェイらがいるほか、評議員には国内大手建設会社の役員が名を連ねている。JOTRCがこうした厚い布陣に支えられて誕生した背景には、これまでの都市再生の議論が、結局のところ、具体的インプリメンテーションに落とし込めずに終わってきたことへの反省がある。


ファタヒラ郵便局前に広がるファタヒラ広場の露天商[筆者撮影]

 議論が実施に結びつかなかった理由のひとつが、多様な利害関係者の存在である。コタ・トゥアには政府所有の物件と民間所有の物件が混在しており、そこにさらに屋台商人や路上パフォーマーなどの多様なユーザーが絡んでいる。JOTRCはこうした利害関係者たちの調整を行なう★1。そして、建築やアートのプロジェクト実施にかかる費用を投資家から調達し、資金面でも実現可能なかたちへ落とし込むのである。そのひとつの成果がファタヒラ郵便局ギャラリーである。

★1──ジャカルタ州副知事(当時)は、コタ・トゥアの歴史的建築物を再生する所有者を税制面で優遇するほか、所有者不明の建築については州政府が購入する予定と述べている。

ノスタルジーと経済性


2014年に再生されたファタヒラ郵便局ギャラリー[筆者撮影]


Heri Dono《The Three Donosaurus》[ファタヒラ郵便局ギャラリーにて、筆者撮影]

 これらの旧市街再生プロジェクトの最終的な目標について、リン・チェ・ウェイは「建物のリノベーションではない」と明言している。これに関して、ファタヒラ郵便局の再生を手掛けた建築家アンドラ・マティンは、同郵便局を都市の記憶の一部と位置付けながらも、古い素材と新しい素材、古い構造と新しい構造を並列すること、それらのコントラストを引き出すことにこそ注力したと言う。それはまた、「コタ・トゥアの再生はノスタルジーの態度ではない」というムハマド・グナワンの言葉にも通じている。だが、ファタヒラ郵便局ギャラリーがわれわれに見せてくれるのは、果たしてノスタルジーの否定なのだろうか。これまでの多くの都市再生活動は、ノスタルジーに訴えるあまり、それがまるで経済とは相容れないものかのように扱ってきた。ムハマド・グナワンが否定しているのは、あくまでもそうした態度なのである(なお、同ギャラリーの入館料は約500円と、インドネシア国立博物館の10倍に設定されている)。現代インドネシアにおいて、ノスタルジーと経済は相性がよい。ノスタルジーがもたらす経済効果はいま、同ギャラリーが建つファタヒラ広場一帯へと広がりを見せつつある。


廃墟が生まれ変わったカフェ[筆者撮影]

 2014年、ファタヒラ広場を囲んでいた廃墟と化した歴史的建築物は、次々と生まれ変わった。治安の悪い印象の強かったこの一帯は、それまでは好んで人が集う場所ではなかった。消費活動が旺盛な中間所得層が増えているジャカルタにあっても、経済価値を見出されることなく放置されていたのである。ところがいま、洗練されたカフェやレストランの登場で、自然と人の足が向かう場所になりつつある。ノスタルジーをクリエイティブ産業化することにより、廃墟は経済活動の場へと転じた(週末のファタヒラ広場では、ノスタルジックな再生建築をバックにプロによる写真撮影を行なうというサービスが大流行している)。

 クリエイティブと経済の親和性など、先進国においてはもはや既知の事実かもしれない。ここインドネシアも、特に首都ジャカルタの大都会たる様相は、一見すると先進国のそれと変わらない。しかし、この国のクリエイティブはまさにいま、「経済」を意識し始めたばかりなのだ。産業としてのクリエイティブの裾野は広い。インドネシアのクリエイティブはどこへ向かうのか。ますます目が離せない。

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