2019年03月15日号
次回4月3日更新予定

フォーカス

12人の移動するアーティスト

2017年01月15日号

2016年は新しい芸術祭がいくつもスタートし、芸術祭が乱立した年だと記憶されるでしょう。多くの来場者をカウントした一方で、芸術祭を開催する意義や必要性、方法についてもさまざまな問題提起がなされました。 2017年初頭のフォーカスは、芸術祭での制作や出品のみならず、国内外のいくつもの場所を移動しながら活動しているアーティスト12人に「移動」をテーマにアンケートを行ないました。この一年、アーティストはどこで何を見つめ、何に耳をすませていたのでしょうか。そこにはアートと旅の関係の原点に立ち返る出来事がありました。

執筆者

ミヤギフトシ山内祥太下道基行赤岩やえ榊原充大毛利悠子篠田千明鈴木昭男松原慈山川冬樹荒神明香田村友一郎

設問

1.生地/2.現在拠点としている場所/3.2016年に移動した場所/
4.一番印象に残った場所は?そこでの出来事を教えてください。 

ミヤギフトシ(現代美術作家)


生地

沖縄

現在拠点としている場所

東京

2016年に移動した場所

沖縄、長崎、北海道、愛知、京都、大阪、香川、山形、福島、静岡、ブリスベン、香港、マカオ、マニラ、台湾

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


山形

 2016年を振り返って真っ先に思い出すのはなぜか、ひとり旅で訪ねた山形の温泉旅館の窓から眺めた雪山の風景だった。それまで温泉に苦手意識を抱いており入ったこともなかったのに、2015年ひょんなことから(多分疲れていた)ひとりで鬼怒川温泉に行ってみたら案外楽しくて、それから時間をみつけては温泉地に出かけるようになった。今年行った場所のうち静岡(伊豆)、福島(磐梯熱海)、山形(瀬見)はどれも温泉旅で、伊豆に関しては三度も行った。思えば、撮影やリサーチなどの目的を持たない旅をするという発想を長いこと持っていなかった。

 北海道・網走で遭遇した春の吹雪、小琉球と呼ばれる台湾の小さな島、マカオの黒沙海灘で見たどこまでも茶色に広がる海など、遠いところへ来たな…と撮影旅で感慨にふけることも何度かあったけれど、南国育ちの自分にとって、どこまでも雪で白く染まった世界はいつでも新鮮に映る。向かう途中で乗り換え予定だった在来線が運休になり、山形新幹線の終着駅まで宿の方が車で迎えに来てくれて、車窓から見た雪国の日常(除雪機、消雪パイプ)。たどり着いた温泉地を少し歩いて見つけた小さな居酒屋の前を何度か行き来して勇気を持って入ってみたり、旅館でテレビを見ながら酒を飲み、ぼんやりと窓の外の風景を眺める。こんなに近い場所に自分の知らなかった世界があるのだ、と今更ながらに気づかされた。

 基本的に、作品の大枠を決めて撮影に出かけ、撮った映像や写真を見てテキスト(物語)を考えるというプロセスを踏むことが多い僕にとって、予備知識もなく大きな目的もなく出かけた場所で見た風景は新鮮で、眺めているだけで物語が立ち上がってきそうな気分にさせられる風景も多かった。まだ知らぬ物語を予感させる風景は遠近関わらず広がっているはずで、もっとたくさんの土地をぶらりと訪ねてみたいと、そのような小旅行のたびに思う。

みやぎ・ふとし
現代美術作家/1981年沖縄県生まれ。東京都在住。自身の記憶や体験に向き合いながら、国籍や人種、アイデンティティといった主題について、映像、オブジェ、写真、テキストなど、多様な形態で作品を発表。近年の主な展覧会に、「あいちトリエンナーレ2016:虹のキャラヴァンサライ」(愛知芸術文化センターほか、2016)、「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(森美術館、2016)、「他人の時間」(大阪国立国際美術館、クイーンズランド州立美術館ほか、2015-16)などがある。文芸、美術媒体への寄稿も行なっている。

山内祥太(現代美術家)

生地

岐阜

現在拠点としている場所

横浜

2016年に移動した場所

香川県(女木島)、青森県(青森市)、長崎県(佐世保市)、福島県(いわき市)、ポーランド(ヴロツワフ、ワルシャワ)など

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。

女木島

 女木島(瀬戸内国際芸術祭)で滞在制作のため東京から4tトラックをレンタルし、木造船を丸2日間かけて運搬した(滞在中にも撮影で使おうと考えていた)。しかし、女木島滞在が始まった次の日にオトシ(女木島特有の局地的な強風)によって、船が粉々になってしまった。「終わった」と思った。とてもショックな出来事だった。しかしどうしてだろう、周りにいた人は皆笑っていた。笑っていたというか、割とラフな感じで「ドンマイ」って感じだったように思う。それもショックだった。

 その事件が発端で芸術祭での作品は、船が壊れてしまったこと自体が自然と作品のテーマになっていった。映像のなかでオトシが鬼に変わったのである。(女木島は鬼ヶ島の舞台である。)制作中に起きる、予期せぬ事件は意外性を生み、作品に潤いを与える。壊れた様を見たとき、本気でショックを受けていなかったらあの出来事は事件にはなっていない。しばしば行なうことだが、作品を制作している段階や完成したあとに逆の状況を想像する。つまり今回でいうならば「壊れていなかったら」ということ。事件が起きていなかったら、瀬戸内海に木造船を浮かばせることができていたのだろうか、海を渡ることができていたのだろうか──と、ありとあらゆることを妄想し、断念し、作品に接続する。

 決定的だったのは「宙に10mくらい上がって地面に叩きつけられた」とあとで教えてくれた住人がいたことだった。その信じられない事実は、木造船が壊れてしまってからのすっぽり空いた時間を補うというより、むしろ時間を膨張させ、作品をつくるモチベーションへと変化させた。もし木造船が壊れる光景を私自身が観てしまっていたのなら、今回の作品はできていなかっただろう。観ることができなくてよかったのだ。壊れてしまってよかったのだ。ここで初めて、想像力が必要になってくる。創らなければ圧倒的事実に押しつぶされてしまう。

 物事の節目や瞬間を目撃することはとてつもなく重要なことだが、悲しいことに私にはそれを予知して先回りする能力はない。だから想像するしかない。想像して時間を巻き戻す。そうやって私は「女木島」を目撃した。


やまうち・しょうた
東京藝術大学映像研究科メディア映像専攻卒業。瀬戸内国際芸術祭2016、WROビエンナーレ(ポーランド)などに出展。おもな受賞歴は、「MEC Award 2015/大賞」「高松メディアアート祭/審査委員特別賞」「平山郁夫文化芸術賞」など。学生時代に彫刻と映像を学び、近年は3DCGとクロマキー合成を使用した映像作品を制作している。

下道基行(現代美術家)

生地

岡山

現在拠点としている場所

愛知

2016年に移動した場所

岡山(岡山、津山)、富山(黒部)、埼玉(浦和)、神奈川(葉山)、大阪、小笠原諸島(父島、母島)、青森(十和田、弘前)、長崎、沖縄(沖縄本島、宮古島、多良間島)、シンガポール

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


愛知

 今年は国内の旅/移動が多かった。それは展示や取材など自分の活動もそうだけど、2年ほど前から始めた2つのグループでの活動が原因だったのではないかと思う。ひとつは、オランダ在住のサウンドアーティストのmamoruさんとの「旅するリサーチラボラトリー」というプロジェクト。昨年は北海道、今年は小笠原諸島の父島と母島を旅した。これは毎回いろいろな目的を持ち、旅をしながらさまざまなフィールドワークと調査を行なう活動(主催:東京文化発信プロジェクト室)。もうひとつは、長崎在住のファッションデザイナー?の山下陽光さんと東京在住のフリーの編集者の影山裕樹さんと行なっている「新しい骨董」という活動。これは路上で拾ったゴミをネットで販売したり、路上で変な呑み会を行なったり、(お金と物質の交換ではなく)文字と文字との等価交換のメルマガ「月刊新しい骨董」を発行したり。両方ともさまざまな場所でバラバラに生活するメンバーたちとインターネット上や移動のなかで行なう活動である。

 そういう意味では、現在拠点にしている、妻の実家である愛知はとても重要な場所だと感じている。当たり前だが、愛知の家があるから、あちこちへの移動が安心して可能になっていることをいつも感じている。なんだか特に好きでもなかった愛知だけれど、移動もしやすく、妙に住みやすい。移動が多いからこそ、最近では愛知での生活が妙に印象深く際立って感じる。
 震災後に移り住んだのでもう4年。自分の意識の中心がどんどんと東京中心でなくなっていく感覚も面白い。さらに、あいちトリエンナーレが3年に1度開催されることもあってか、いろいろな国の友人たちが遊びにきてくれたり、移住してくる友人も少なくないし、いろいろな交流も盛ん。そう考えると、移動から帰ってくる拠点のはずの愛知での生活のなかにも「居ながらの旅」が多く存在していることに気がつく。それはかつて大阪で宿の管理人をしていた頃、日々色々な土地からやってくる客によってもたらされるさまざまな情報を楽しみにしていたときのようだ。

 ということで、今年「一番印象に残っている場所は?」という質問の答えが「現在拠点としている場所」というひねくれた答えになってしまった……。


したみち・もとゆき
1978年岡山県生まれ。2001年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。日本国内の戦争の遺構の現状を調査する「戦争のかたち」、祖父の遺した絵画と記憶を追う「日曜画家」、日本の国境の外側に残された日本の植民/侵略の遺構をさがす「torii」など、展覧会や書籍で発表を続けている。フィールドワークをベースに、生活のなかに埋没して忘却されかけている物語や日常的な物事を、写真やイベント、インタビューなどの手法によって編集することで視覚化する。

赤岩やえ(exonemo)(アーティスト)


生地

福岡

現在拠点としている場所

ニューヨーク

2016年に移動した場所

ニューヨーク、ボストン、東京、福岡

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


にほん in ニューヨーク

 ニューヨークは、いろんな国の人や情報があふれ、世界の縮図とも言われています。街を歩くだけで世界旅行をしている気分にもなれますが、引っ越して来たばかりの頃、思った以上に日本の存在感がないことにちょっと寂しい思いをしていました。ですが、あったんです。そこかしこに日本、みんなの手の中に「Emoji=絵文字」がね。
 私、文章書くのが苦手なもんで、手軽に感情表現できる絵文字にはかなり頼ってまして、こっちの人とのやりとりでもよく絵文字を使います。ニューヨークに越してきたばかりの頃は、絵文字群の中に、日本ならではの🎒や📛や🍢や👺や🍥や🎏や🔰などを見つけては、じ〜んわり海の向こうを思い出したりもしていました。
 海外では知らない人も多いのですが、絵文字は日本生まれ。Unicodeに組み込まれたことで、れっきとした文字としての地位を確立し、全世界へ拡がりました。ガラケーという不自由な物質から解放された絵文字は、インターネットの海を渡り、言葉の壁を越えたビジュアル言語として、世界中の人の表現や感情に変化をもたらしました。日本の文化から染み出たものが、ここまで広範囲に影響したのは近年あまりないんじゃないでしょうか。クールですね〜ジャパン。そんな絵文字ですが、2016年、日本がそのクールさに気づく前にMoMAにコレクションされましたー! へー!
 MoMAは、新しい時代のクリエイションを日常の中から発掘し収集するのに意欲的です。過去には、auのデザイン携帯もコレクションしています。日本から世界、そしてアメリカに渡った絵文字は、MoMAによって厳重に保管され、未来へ伝えられるでしょう。そして、私が死んでも💩は残るでしょう。(注:収蔵されたドコモのセットに💩は入っていません)
 はたして100年後、ガラスケース(何の因果かまたガラケー)に入れられた絵文字は、未来人にどんなメッセージを伝えるのでしょう。


写真:exonemo『ASCII写経』
2016年2月14日に行なわれた観客参加型パフォーマンス。コンピュータが生成するランダムな般若心経の文字を無心で書き写すことにより、コンピュータと人間の身体を通した💩が物質世界にひねり出された。https://www.youtube.com/watch?v=h5lZvk8jEY0
(PROGRAM_B|SCREENING/LIVE/TALK Sprout:レンズ系とジェネ系の世紀、ふたつの黎明 #3/2nd SESSION:「インターネットで越えられない境界」、東京都庭園美術館)

あかいわ・やえ
アートユニット「エキソニモ」メンバー。1996年よりインターネット上で作品を発表し始め、2000年以降は、実空間でのインスタレーション、ライブパフォーマンス、イベントプロデュースなども手がける。2006年に、アルス・エレクトロニカのNet Vision部門でゴールデンニカ受賞。2012年に立ち上げた「IDPW」が主催するイベント「インターネットヤミ市」は、現在まで世界15都市で開催されている。2015年より、ニューヨークを拠点に活動中。

榊原充大(RAD、建築家/リサーチャー)

生地

愛知県半田市

現在拠点としている場所

京都

2016年に移動した場所

 福岡県福岡市、山口県山口市、兵庫県神戸市、大阪府各所、奈良県斑鳩町、京都府各所、愛知県名古屋市と新城市と岡崎市、石川県金沢市、東京都、神奈川県川崎市。

 『LOG/OUT magazine』★1の刊行記念ツアーで広島県広島市、宮城県仙台市、静岡県浜松市へ。

★1──建築的視点から都市や社会や政治を批評するオランダの建築雑誌『ヴォリューム』の序文翻訳と訳者解説をまとめた書籍。

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


愛知県岡崎市

 写真に写る橋の新設や「中央緑道」の再整備などを含む5カ年計画のまちづくり「おとがわプロジェクト」2年目の2016年から「プロモーションディレクター」として関わっています。

 普段は「建築家/リサーチャー」という肩書きで活動しているので、前提として僕は「アーティスト」ではありません。普段は、企業、施設、地方自治体などで「建築や都市に関わりそうだけど誰に頼んだらいいかわからないこと」に困っている方から相談を受け、適切なアウトプットを探りながら解決を目指すような仕事をしています。2008年には、建築の異なる専門性を持ったメンバーと協働する、RAD(Research for Architectural Domain)というインディペンデントプロジェクトを立ち上げました。

 岡崎市での仕事は、すでにプロジェクトに関わっていた人からのつながりで、「広告代理店に頼らないまちづくりプロモーションの体制をつくりたいのだがどうしたらいいか?」という現地のまちづくりNPOからの相談からスタートしたように記憶しています。「シティプロモーション」という言葉もよく耳にするようになりましたが、建築や都市ないしはまちの魅力をいかに他者に広く伝えられるかがミッションだ……と最初は思っていました。この都市で責任を持って新しい事業や取り組みを始める人が増えている現在、そんな「プレイヤー」の数をいかに増やしていけるかが重要だと思っています。

 僕はこの場所で、行政とNPOとクリエイター含む各種専門家とのあいだに立って、しかるべき枠組みを構築しその実現のためにチームをつくるような役割を担っています。何者か分かりにくい僕のような人間に予算と役割を確保できる、ということは地域の価値だと思います。行政の中やそこに近いところに熱意のある人がいることのおかげであり、人的資源の価値を強く感じます。

 奈良県の斑鳩で継続している、地域の記憶を地域の人々が持っている古写真とそれをきっかけにした昔語りを通して蓄積する事業も、地域の図書館の多大なる貢献あってこそ。お金がある、人口が増えている、歴史がある、名所が多い、そういう定量的に測れる都市の価値ももちろん大事だと思いますが、ある人の「移動」の前提となるまちをつくる、いわば「発注側」としての地域の価値がこれから一層重要になると思っています。


さかきばら・みつひろ
1984年愛知県生まれ。2007年神戸大学文学部人文学科芸術学専修卒業。建築に関する調査、取材、執筆、物件活用提案、アーカイブシステム構築等、編集を軸に事業を行なう。2008年に建築リサーチ組織RADを共同で開始。寄稿書籍『レム・コールハースは何を変えたのか』(鹿島出版会、2014)、制作書籍『LOG/OUT magazine ver.1.1』(RAD、2016)。京都精華大学非常勤講師、京都建築大学校非常勤講師。

毛利悠子(アーティスト)

生地

神奈川

現在拠点としている場所

東京

2016年に移動した場所

展覧会で行ったところは、台湾(台北、台中)、名古屋、ロンドン、ニューヨーク、インド(コチ)。リサーチでは滋賀、北海道の札幌から音威子府まで、パリ、ベルリンなど。

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


コチ

 訪問した目的は、コチ=ムジリス・ビエンナーレ2016への出品のためで、4月に下見に5日間、12月に設営のために3週間滞在しました。コチの歴史はとても古く、大航海時代にポルトガル、オランダ、イギリスといったさまざまな国の植民地だったことが影響し、いろんなデザインの建造物が入りみだれ不思議な風景をつくっている街です。
 ここでの設営は本当に大変でした、、。人生最大の展示室(廃墟)だったうえに、現地の設営スタッフは地元の大工さん、電気工事屋さん、学生という、人数はたくさんいても、ほとんどの方は普段美術のお仕事をしているわけではないので、全ての工程をチェックしなければいけない状況でした。日本の場合、インストーラーは打ち合わせ、制作、設営、なんとなくの掃除、すべてを一人でこなしてくれますが、インドでの作業は、オーガナイザーにオーダー→職人のボスに話が伝わる(ここで再度わたしからも説明する)→ボスからの指令(ここで再度わたしからも説明する)→作業(ここで再度わたしからも説明する)→インストーラーは言われたことだけをする→掃除やペンキ塗りはわたしから他のボスに頼む必要がある(以下繰り返し)という流れで、ひとつのことをするのに何度も何度も確認をしなければいけませんでした。
 人生初のインドでの設営はひどく疲れましたが、食べ物は美味しく、人々はとても穏やかなので、不思議と爽快感が残る体験だったと思います。帰国前日に、道を歩いていると突然、バーン! と大きな爆発音がして、テロかと思い驚いて音が鳴ったほうに目をやると、電柱上にある剥き出しのトランスにカラスが留まって感電し、死後硬直したままボテッと落ちていきました。あまりのショックに呆然としていると、まわりにいたオート三輪の運転手たちがこちらを見て笑いながら「よくある、よくある」と手をふるような愉快な街。来年、もう一度行こうかと思っています。
 それから、今年は台北と台中を展覧会のために4度訪れました。仕事の後の台湾フードとマッサージがたまらなかったです。

写真:毛利悠子《calls》、Kochi Muziris Biennale 2016


もうり・ゆうこ
1980年生まれ。日用品と機械とを再構成した立体物を環境に寄り添わせ、磁力や重力、光など、目に見えない力を感じ取るインスタレーション作品を制作する。2015年、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティとしてニューヨークに滞在。同年「日産アートアワード2015」でグランプリを受賞。2016年夏から秋にかけてロンドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、カムデン・アーツ・センターにて滞在制作。2016年、第65回神奈川文化賞未来賞を受賞。近年の主な展覧会に「Form of the Daze」(Jane Lombard Gallery、ニューヨーク、2016年)、「Circus without Circus」(Project Fulfill Art Space、台湾、2016年)、「六本木クロッシング2016」(森美術館、2016年)、ヨコハマトリエンナーレ2014など国内外多数。東京の駅構内の水漏れの対処現場のフィールドワーク「モレモレ東京」を主宰。 http://mohrizm.net/

篠田千明(演出家、作家、イベンター)


生地

東京

現在拠点としている場所

バンコク

2016年に移動した場所

ロンドン、サラマンカ、ジャカルタ、ベルリン、東京、京都

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


サラマンカ、ジャカルタ、バンコク

 サラマンカに2月に初めて行った時、キッチンに大きな生ハム原木が置いてあって、いつでも食べ放題だったんだけど、サラマンカはイベリコ豚の産地で、どこ行ってもハモン(生ハム)まみれで、それでこれいくらで買ったの? って友人に聞いたら、クリスマスプレゼントに電話会社から友人を紹介してくれたお礼のギフトボックスが送られてきてそれに入ってた、というので驚いた。プラスワインも3本ついてたって。
 ジャカルタで伝統舞踊のショーケースを屋外で見た。順々にインドネシアの色んな地域の伝統舞踊が披露され、あるチームが出てきた時に、それまで静かに見ていた2000人ぐらいの観衆が一気にウワーーーっと歓声をあげて盛り上がり始めた。人気のあるチームなのかと思ったら、男性が女性の格好をして演じるチームで、LGBTに対し強い圧力のあるインドネシアでは、その頃テレビなど公の場で異性装をしたタレントも出演禁止になっていた。ただし、伝統芸能ならば、いい、と。
 そのチームはレディー・ガガをかけて、ノリノリで観客を煽り、最後には観客席から小さい男の子が出てきてパフォーマーに耳打ちをし、メンバーが慌てて退散する、という小芝居ではけて、大盛り上がりだった。
 やっちまったもん勝ちの上演の強さ、それから何をどんなに規制されても、その抜け道になりうるタフさ、それを求める観客をあらためて感じて嬉しかった。

 今年の7月にスマフォを買ったので、サラマンカもジャカルタも写真がなくて、この写真はつい最近戻ってきたバンコクの激安古着マーケット。友人にいい古着があると連れて行ってもらったんだけど、今年唯一のショッピングだったかもしれない。どうしよう、買おうかな、買わないかな、と迷っても、値段で迷うことはありえないので、欲しいのかどうかが本当に問われる。10バーツ(30円)でカシミアのピンクのシャネルの半袖ニット(サイズぴったり)があって、もちろん買ったけど、価値とは何か、哲学しながら、合計7着ぐらい買いました。ここの市場にあった魚のスープもうまかった!

しのだ・ちはる
演出家、作家、イベンター。世界を思考・指向・嗜好し、人・物・出来事をcompose(配置・作曲)する。1982年東京生まれ。2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで、中心メンバーとして主に演出、脚本、企画を手がける。以後、バンコクを拠点としソロ活動を続ける。近年は『四つの機劇』『非劇』と、劇の成り立ちそのものを問いながら作品を制作している。最新作はチリの作家の戯曲を元にした『ZOO』。

鈴木昭男(サウンド・アーティスト)


生地

旧朝鮮平壌の官舎

現在拠点としている場所

京都府京丹後市

2016年に移動した場所

東京、鎌倉、横浜、京都、ニューヨーク、神戸、城崎(兵庫県)、和歌山、ハノイ、豊岡(兵庫県)、札幌、ロンドン、リスボン、ベルリン、ワルシャワ、ストックホルム、岡崎(愛知県)など

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。

鎌倉

 今年の1月末に、開館の1951年から数々の素敵な展覧会を開催してきた神奈川県立近代美術館鎌倉館が幕を閉じることになり、惜しまれながらクロージング・レセプションが執り行なわれました。小生、光栄にも締めくくりで音のパフォーマンスを正面玄関階段の空間でできたこと。若い頃、よくデートをした美術館でもあり寂しくもありました。

すずき・あきお
サウンド・アーティスト。1941年生まれ。60年代より自然を対象に音の「自修イベント」を始める。70年代に創作した音器「ANALAPOS」で南画廊・東京にて個展以来、コンセプチュアルな音のパフォーマンスを展開。87年、ドクメンタ8(カッセル)に出場、東経135度最北の丹後にて自然に耳を澄ます「日向ぼっこの空間」を遂行。90年代よりサウンドインスタレーションの他、ベルリンでのフェスティバルをかわきりに、「自修イベント」の延長上の、巷に耳を澄ます「点音(oto-date)」を世界各地で展開してきている。

松原慈(建築家/美術家)


生地

東京

現在拠点としている場所

東京、フェズ

2016年に移動した場所

フィレンツェ、サンフランシスコ、カーメル、名古屋、瀬戸、マラケシュ、ブルターニュ、アブダビ、軽井沢、タンジェ、パリ、ロンドン、サハラ砂漠、ほか。

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


サハラ砂丘

 「あなたみたいに移動ばかりの人は、1年がすぐに過ぎるでしょう」と言われることがある。ひとつの場所に長くとどまらないと、時間は早く過ぎるのだろうか?
 勘で、だいたいどこに何時何日滞在する必要がある、という感覚がある。時機や滞在日数を弾き間違えたと感じることは滅多にない。いつからか、そんな時間感覚を内側に感じるようになった。移動が中心のようでいて、実際には、いま、ここ、が大切になる感覚でもある。

 2016年の旅で新しく身につけたのは、土の感触。裸足で歩いた場所が極端に多い。カーメルの自然保護区でわざわざ靴を脱いで歩いたり、マラケシュの地下遺跡、ブルターニュやタンジェ近郊の砂浜、瀬戸の陶磁美術館庭園、愛知県美術館の床も。地面と足の接触に意識を向け、以前よりずっと足に敬意を払うようになった。その過程で《休息化石》を知った。生き物の遺体自体も化石になるが、生き物の生きた痕跡も化石になる。休息化石とは、生き物が一定時間滞在した痕跡が化石として残ったものを指す。何かがそこにいた、存在の痕跡。
 移動ばかりするタイプの野生動物が、移動や狩りをしていないときは何をしているかというと、何もせず寝て休んでいる。ただし、明日の昼までここでぐっすり寝ていようとか、野生動物はうかうか考えないので、干渉されればあっさり寝床を見限る。自分の安全と目的を果たせない場所には命もないのだ。

 サハラ砂丘の頂上で、その日は誰の足跡も見当たらない。まっさらな頂点に着いて足下を見ると、私の前にまだ新しい小鳥の足跡がある。足跡を目でたどると、数歩先に小さな白い糞。その先隣には小鳥が体を砂に預けた跡がある。その先に足跡はない。去った小鳥の横に座ると、砂粒の集まりに預けた自分の重みとぴったり同じだけの力で支えられてここにいると身体が感じる。同時に、私たちはここに永遠にはいないとわかる。砂嵐で明日にはきれいに消えてしまう、私と小鳥と砂の上の痕跡に。

まつばら・めぐみ
1977年生まれ。建築家/美術家。2002年より建築スタジオassistantを有山宙と共同主宰。assistantでの活動のほか、個人による作品制作を行ない、建築を土台に、インスタレーション、パフォーマンス、テキストなどの手法を交差させ、存在/不在のバランスを問いかける。近作に《接触化石》(あいちトリエンナーレ、2016)、《君も雛罌粟/われも雛罌粟》(マラケシュ・ビエンナーレ 6、2016)、《It is a garden.》(Yerba Buena Center for the Arts、2016)、建築作品に《33年目の家》(奈良、2013)、《It is a garden.》(長野、2016)など。2012年からモロッコと日本を拠点に活動している。
http://megumimatsubara.com
http://www.withassistant.net


山川冬樹(ホーメイ歌手/現代美術家)


生地

ロンドン

現在拠点としている場所

東京

2016年に移動した場所

国立療養所大島青松園(香川県高松市)、松野町(愛媛県北宇和郡)、ウランバートル(モンゴル国)、福島第一原子力発電所(福島県双葉郡)、六ヶ所村(青森県上北郡)、青森県八戸市、四万十川流域(高知県)、群馬、新潟、愛知、ベルリンほか。

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。


大島

 目的地が「場所」でなく「人」……そんな旅もあるのではないでしょうか。いろいろ訪れた場所のなかで、やはり福島第一原子力発電所への視察は強烈な印象として残っているのですが、ここでは瀬戸内国際芸術祭で発表した作品『歩みきたりて』をめぐる旅について書きたいと思います。
 瀬戸内海に浮かぶ「大島」と呼ばれる小さな島で、昨年私は新作を制作・発表しました。大島は島全体が国立のハンセン病療養所「大島青松園」となっており、ここにはかつてハンセン病を患った人々が強制収容され、治療を終えた後も不当に隔離されてきた歴史があります。1996年のらい予防法廃止によって隔離政策は過去のものとなり、大島に入所されている方々もいまでは自由に島を出入りできるようになりましたが、基本的に外から島に立ち入るには園の許可が必要で、さらに離島という地理的条件もあって、大島はいまだに閉ざされた島のままと言えるでしょう。
 「隔離」という言葉を象徴するかのような、この重い歴史をもつ島で、新作を制作・発表することは大きな挑戦でした。自分は“アーティスト”としてここで何をすべきなのか? 悩み、自問を繰り返し、その末に出てきた私の答えは「旅」でした。単に目的地として大島へ旅をするのではありません。私自身が媒体となっていくつもの境界線を越えながら、この閉ざされた島を別の場所と想像的につないでいく、そんな作業としての旅です。
 旅のきっかけとなったのは、大島に生きた「政石蒙」という歌人との運命的な出会いでした。政石は1923年に愛媛県は松野町に生まれ、15歳の頃に発病。自らの病を誰にも知られないうちに死のうと1944年軍隊に入隊、満州に派遣されるも戦地で終戦を迎え、結局生きてソ連軍の捕虜となりモンゴルに抑留されました。そして抑留中にハンセン病であることが発覚。捕虜収容所の外れに建てられた隔離小屋にたったひとりで隔離され、その極限的な孤独と絶望のなか、草の茎で地面に文字を書きつけ、初めての短歌を詠んだといいます。そして1947年になんとか復員していったん帰郷するも、翌年大島青松園に入所。以後、2009年に85歳でこの世を去るまで大島で短歌や随筆、文芸作品を書き続けました。
 政石の作品に初めて触れたとき、私は彼が隔離されていたモンゴルの大地で政石その人に出会ったかのような錯覚を覚えたのでした。いま「錯覚」と書いてしまいましたが、それは現実としか言いようのないような確かな体験だったのです。そして自らの肉体が存在している場所と、意識のなかで想像的に体感された場所との間の距離を解消しようとする力が自然に湧いてきて、私は歴史に埋もれた政石の命のかけらを拾い集める旅に出ることになりました。彼が生涯の大半を過ごした大島にはじまり、故郷である愛媛県松野町を訪れ、親族の方に会ってお話を伺い、遺された遺品から彼が抑留されていた場所を突き止め、モンゴルへ飛び、現地の人々に助けられながら歌人「政石蒙」が誕生した隔離小屋があった場所へと辿り着き、そこで彼の作品を私の声で朗読しました。そして大島に戻り、かつて入所者たちが暮らした寮をギャラリーに改装し、そこに一連の旅の成果と記録をインスタレーションとして展示することで、はるばる大島まで展示を観に訪れた観客の旅路と、政石が辿った人生の旅路とが出会うための場所を創りました。
 私をこの旅へと突き動かした力は、政石を文学へと向かわせた力と本質的に同根だと思っています。政石がモンゴルで故郷の松野を想うとき、あるいは大島でモンゴルを想うとき、隔離によって肉体の自由を奪われても、その意識は隔離小屋や閉ざされた島を飛び出して、山も海も越えて鳥のように旅をしたはずです。隔離は政石の場所と肉体をめぐる意識と現実の間に果てしない距離をつくり出しましたが、彼はその遥かなる隔たりを越えんと生涯文学に打ち込み、遂にはその作品に触れた私に旅をさせるに至ったのです。つまり私の旅は、政石のなかにずっと潜勢しながら封じ込められていた力が、私の肉体を借りて現勢化したものだったのだと、振り返ってみるとそう思えてなりません。

やまかわ・ふゆき
現代美術家/ホーメイ歌手。1973年ロンドン生まれ。声と身体を媒体とした表現で、音楽、現代美術、舞台芸術の分野で活動。心臓の鼓動の速度や強さを意識的に制御し、それを電子聴診器を用いて光と音に還元するパフォーマンスや、骨伝導マイクで頭蓋骨の振動を増幅したパフォーマンスで、ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめとするアート・フェスティバル、フジロック・フェスティバルなどの音楽フェスティバル、国内外のノイズ/即興音楽シーンなど、ジャンルを横断しながらこれまでに15カ国でパフォーマンスを行なう。また、ひとりで同時に2つの声で歌うと言われる、アジア中央部の伝統歌唱「ホーメイ」の名手として知られ、2003年ロシア連邦トゥバ共和国で開催された「ユネスコ主催 第4回国際ホーメイフェスティバル」では「アヴァンギャルド賞」を受賞。
現代美術の分野では、マスメディアと個人をめぐる記憶を扱ったインスタレーション《The Voice-over》(2008、東京都現代美術館蔵)、「パ」という音節の所有権を、ひとりのアートコレクターに100万円で販売することで成立するパフォーマンス《「パ」日誌メント》(2011〜現在)などを発表。ハンセン病療養所(瀬戸内国際芸術祭2016、大島青松園)や帰還困難区域(Don’t Follow The Wind展/グランギニョル未来のメンバーとして)での長期的な取り組みもある。2015年横浜文化賞 文化・芸術奨励賞受賞。

荒神明香(現代美術作家)


生地

広島

現在拠点としている場所

埼玉県北本市

2016年に移動した場所

香川県(小豆郡)、岡山県(岡山市)、新潟県(新潟市、三条市)、長野県(大町市)、宮城県(石巻市)、大分県(別府市、大分市)、東京都、埼玉県(さいたま市)

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。

別府

 印象に残った場所はたくさんありますが、幼少期より双眼鏡を覗いて風景を見るのが好きで、双眼鏡越しの風景を写真で撮っていたのですが、最近またハマり始めています。今年はいろんな風景に出会い、そのことを思い出してから、よく双眼鏡を持ち歩いていました。遠くにあるはずのものが目の前に迫って見えることが、いつ何度見ても怖くて身体がどこにあるのかわからなくなる感覚が面白くやめられません。この写真は別府の風景を写真に撮ったものです。

こうじん・はるか
1983年広島生まれ。2009年東京芸術大学先端芸術表現科を修了。アメリカ、ブラジルなど、国内外で作品を発表。日常の風景から直感的に抽出した「異空間」を、美術館等の展示空間で現象として再構築するインスタレーション作品を展開。2013年より現代芸術活動チーム「目【め】」を結成。現在、瀬戸内国際芸術祭「犬島 家プロジェクト」、上越新幹線「現美新幹線」車内にて常設展示中。「目【め】」としての活動に、2014年「たよりない現実、この世界の在りか」(資生堂ギャラリー、東京)「おじさんの顔が空に浮かぶ日」(宇都宮美術館館外プロジェクト)など。

田村友一郎(現代美術家、映像作家)

生地

富山

現在拠点としている場所

熱海

2016年に移動した場所

仙台、大阪、京都、城崎、山口、横浜、光州、ソウル、名古屋、博多、岡山、富山、栃木

一番印象に残った場所は? そこでの出来事を教えてください。

富山

 ここ数年は、ヨーロッパ、アジアと忙しく飛び回っていたような気がします。2016年は、日本に腰を据え、学生時代を過ごした横浜、そして生まれ育った故郷である富山での作品制作が印象に残っています。それは、なんというか原点を見つめよというような、もしくはやり残した宿題をやれというような声ならぬ声によるものだったのかもしれません。そのなかで、自分の原点である富山では、同じく富山出身の藤子不二雄A先生と仕事ができたのはなによりの出来事でした。作品では、高校への通学で毎日使っていた地元の小さな駅に、藤子不二雄A先生による『まんが道』の印象的なひとコマを、美術館とは別に設置しました。『まんが道』の主人公の2人、藤子不二雄Fこと才野茂と、藤子不二雄Aこと満賀道雄が、漫画家になるために東京へと上京するときのシーンです。富山を離れる夜行列車の窓から何気なく外を見つめる2人、その外には富山特有のベタついた雪が降っています。高校時代、私鉄の車窓の外にひろがる田んぼを見ながら、僕はなんとなく東京への憧れを持ちはじめていました。ただ、東京へ出て行く術を知らなかったあの頃、唯一『まんが道』が、それを知る手がかりでもありました。そこには、同じ歳頃の高校生が、同じ富山で思い悩み、夢を叶えるべく上京を決意し、果ては東京で活躍する様が書きつけられていたからです。それはまさしく、僕らにとってバイブルと言えるものでした。同郷の仲間たちと『まんが道』を貸し借りしたのは、きまってこの私鉄の車内でした。高校も3年生になり、自分は東京の大学へ行くことを決めました。受験シーズンが押し迫るころ、私鉄の車窓から見える立山には、うっすら雪が積もりはじめ、窓につく雨は、いつのまにか雪へと変わっていたことを、この駅に来ると思い出させてくれます。どんな旅にも出発地点があるように、僕にとっての出発地点はここなのです。


たむら・ゆういちろう
1977年富山県生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒業。東京藝術大学大学院映像研究科修了。2013年、文化庁新進芸術家海外派遣制度によりベルリン芸術大学・空間実験研究所に在籍。近年のおもな展示に、MOTアニュアル「風が吹けば桶屋が儲かる」(東京都現代美術館、2012)、メディアシティ・ソウル(韓国 2014)、「BODY/PLAY/POLITICS」(横浜美術館、2016)など。近年は、場所に関するアプローチに着目し、場所のコンテクストと自らの経験を独自の方法で接続し、新たな風景を生み出す傾向にある。映像、インスタレーション、パフォーマンスなど表現形態は多岐に渡る。

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