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燃えるドラゴン──「文化」が熱い九龍半島

太田佳代子

2009年02月01日号

 香港がいよいよ世界のアート地図に乗ることになるかもしれない。かつてビルバオが、バーゼルが、北京がそうなったように。
 いま、香港・九龍半島西部の埋立地を舞台に、大規模な都市開発コンペが行なわれている。テーマは約20の文化施設を集中させた、巨大文化ゾーンのコンセプト・プラン。世界の有名建築家と地元の建築家がそれぞれ構成した12チームが、アート関係者たちをも巻き込んだプロポーザルを競っているところだ。
 これだけだと、よくある都市活性プロジェクトが単にデカいだけの話、と思われるかも知れない。しかし、8年の紆余曲折を経たこのプロジェクトは、グローバル時代におけるアートと都市の新たな関係を示すものとして注目される。というのも、このプロジェクトには初め、欧米アート界のスーパーパワーが押し寄せ、あのアブダビ現象がすわ香港にも到来かと思われたのだが★1、さすがはというべきか、香港市民が欧米勢力をまさに水際で押し返し、文化都市への独自の道を模索しはじめたのだ。その第一歩として行なわれているのが、このコンペなのである。

アジア市場をめぐる美術館の代理戦争

 100万ドルの夜景を誇る香港ヴィクトリア湾は返還後も激しく埋め立てられ、幅はなんと1/3に縮まっているらしいのだが、その更地の一画が、かの巨大文化ゾーンの出現を待つ「西九龍文化地区」(West Kowloon Cultural District=WKCD)である。フェリーターミナルのある尖沙咀(チムサアチョイ)の西側に張り出したウォーターフロントで、面積は40ヘクタール、東京ドーム約9個分の広さだ★2
 香港政府が2002年に打ち出した最初のプランは、ここに3つの劇場とコンサートホール、4つの美術館、美術展示場などをつくるというものだった。えっ、一気にそんなに?!という強気のプランだが、この「美術館」の部分に、グローバル戦略をもつグッゲンハイム美術館ポンピドゥー・センターニューヨーク近代美術館(MoMA)が飛びついた。
 なにしろ、アジア最大のハブ都市、中国への玄関としての戦略的ポジションを誇る香港である。グッゲンハイムとポンピドゥーはちょっとした小競り合いを演じながらも手を組み、香港不動産界の帝王・李嘉誠が率いるディベロッパーグループの傘下でひとつの美術館構想を共同提案することに決定した。一方、慎重路線のニューヨーク近代美術館は、地元運営の美術館にコレクションを頻繁に貸出すオファーを、別のディベロッパーグループに行なった。
 こうして2004年、香港の新ウォーターフロントを舞台に始まった香港ディベロッパー3社の事業入札は、世界の有名美術館の代理戦争ともなったのである。


プロジェクトの敷地周辺/引用出典=www.hab.gov.hk/wkcd/ifp/eng/site.htm

 グッゲンハイム美術館はご存じ「ビルバオ現象」によって、変身願望をもつ世界中の都市に「美術館」=「うちでの小槌」なるモデルを提供し、世界の都市と美術館の提携運営を交渉してきた★3。展示しきれないコレクションを有効利用できるこのグッゲンハイム方式は「コカコーラ工場的フランチャイズ経営」と揶揄されながらも影響力を発揮し、イギリスのテート美術館、フランスのポンピドゥー・センター、ルーブル美術館までもが支店ならぬ分館をつくり始めた。ルーブルは2005年にアブダビ・サーディヤット島への進出を決めたし、ポンピドゥーにとって香港は国外初の分館になっていたはずだ。
 グッゲンハイムとポンピドゥー、そしてMoMAまでもが香港に熱い眼差しを注いだ理由はと言えば、単にディベロッパーが向こう30年の運営赤字を補填するというインセンティブだけではなかったはずだ。中国アート市場の重要度が高まり、中国人アーティストの作品がぐんぐん値を上げ始めたこととも無関係ではないだろう。ポンピドゥー側は「これから20〜30年先、現代アート界における中国の位置は、国際政治における位置と同じだろう」、そして中国の「鼓動を肌で感じたい」とコメントしている。美術館にとっては、コレクションを提供するだけでなく、コレクターとしてもまさに戦略的位置にある香港に居を構えたいということだったのではないだろうか。

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