キュレーターズノート

超群島──3.11以後、アーキテクト/アーティストたちは世界をどう見るか?

工藤健志(青森県立美術館)

2012年04月01日号

 優雅なファッションブランドが並ぶ表参道の「GYRE」。その3階にあるギャラリースペース「EYE OF GYRE」で「超群島」という展覧会が開催されている。英名は“HYPER ARCHIPELAGO”。副題に「3.11以後、アーキテクト/アーティストたちは世界をどう見るか?」とあることから、「ああ、また理屈をこねくりまわして脳内で遊ぶ富裕(浮遊)層向けの震災便乗イベントね」と当初は皮肉気味に想像していたものの、ゆえあってそのオープニングに参加、展示もじっくりと見て印象が大きく変わったので、せっかくだからちょっと書いてみたいと思う。それにしても、青山とか六本木とか渋谷とか、このあたりの雰囲気にはいつまでも馴染めないなあ。ま、そもそも馴染みたくもないけど(笑)。

 タイトルになっている「群島」という概念ですぐさま思い出されるのは、イタリアの哲学者兼政治家であるマッシモ・カッチャーリの言説であろう。ヨーロッパ統合に対するアンチテーゼとして、さまざまな都市や地方がしなやかに連携する国家モデルを提唱したカッチャーリであるが、それは複数のユートピアがまさに「群島」のように存在するヨーロッパ像をイメージするものであった。ヘゲモニー、中央集権、官僚体制、ひとつの声といった帝国的概念に対抗しうる力、すなわち地方、都市の多様性からなる「群島性」をとおし、「他者への関心」と「ホスピタリティ」を涵養すること。カッチャーリには、彼自身の拠点であるヴェネチアやヴィチェンツァの都市モデルが強く意識されていたようであるが、例えば日本においても本展の出品作家のひとりである磯崎新などはしばしば「群島」という概念を用い、「秋吉台国際芸術村」や「海市=ミラージュ・シティ」といった建築計画にその理念を落とし込んでいる。
 むろん、近代国家体制の矛盾と破綻はすでに火を見るより明らかであろう。本展の監修者である飯田高誉は東日本大震災を契機に、「エネルギー問題やインフラストラクチャーの脆弱性、中央と地方の産業構造の格差や金融資本主義の非対称性、さらに危機管理体制と安全保障問題、そして政治の無力性などが次々に明るみになった。つまり戦後の総括を先送りにしたツケが被災における被害を深刻化している」(同展プレスリリースより)と述べているが、本展はもともと震災前から企画されていたもので、大震災によってそのコンセプトがさらに深化したとのことである。肥大化して制御不能となった近代都市や中央集権的な国家システムを批判的に乗り越えるために、日本の風土、歴史、神話、伝承等を参照しながらその群島性に着目する。そこにインターネットという網の目の情報インフラモデルを重ね合わせ、固い大地と国境線から跳躍し、無数のユートピアを発見するための意識拡張をもたらすという意味においての「超=HYPER」なのである。
 参加作家はスプツ二子!、チームラボ、大庭大介、石井七歩、SAM[井口美香+田尾松太]、キュルルfeat.チハルチロル、dot architects+水野大二郎、403 architecture[dajiba]、mashcomix+TEAM ROUNDABOUT、藤村龍至。いわゆるアーティストだけでなく、建築家が多数含まれているのが大きな特徴と言える。Webという単一のインフラでありながら均質ではない、内的に複数化され、反復−増殖していく空間モデルを参照にしつつ、そこにアクチュアルな強度を与えることで浮かび上がる都市論を提示する展覧会ともとらえられよう。ここでは全作品について触れる暇はないので、展覧会のコンセプトを象徴するいくつかの作品について簡単に紹介しておく。


「超群島」展、会場風景

 まず「超群島」というコンセプトに大きな影響を与えた磯崎新は「神話構造線」というプランを提示。出雲、若狭、熊野、平城京、平安京、伊勢、富士、鹿島という神話構造のなかに福島を位置づけようとする試みである。丹下健三が広島平和公園から南北に軸線を引き、その軸線上にある産業奨励館(原爆ドーム)を象徴化させたように、磯崎は福島を神話化させることで、さまざまな美辞麗句で虚飾された現代社会を動かす「巨大数」がもはや個人の意思では手に負えない暴走状態にあるという現実と、ある「巨大数」の危機に際しても、また別の「巨大数」による欺瞞と悪意が浸食していくことへの警告を発する。そう、磯崎曰く「フクシマで、あなたは何も見ていない」のだ。
 磯崎の作品が本展のコンセプトを示唆するものならば、そのコンセプトを視覚的に提示しているのが大庭大介の「FOREST」だろう。偏光パール絵具を用いて描かれた樹海は、進化するマテリアルを最大限に活用した現代的絵画であり、接近して眺めたときには絵の具のマチエールの魅力とともに無数のミクロコスモスを意識させられ、少し引いて見たときにはそれが森のイメージとなり、さらに引きをとり、視線を左右に動かすとそのイメージが光のなかに溶解、抽象化されていく。そのミクロコスモスの集積による、うつろう森のイメージは確かに情報化社会を象徴しているように思える……、なるほど「クラウドコンピューティングのネットワークと、島々のネットワーク=日本列島を繋げようとしている」(藤村龍至、同プレスリリースより)展覧会の意図がよく読み取れる作品である。
 また、現代が抱える諸問題の考察のための媒質として機能するアーティスト/作品という、現代アートのひとつの主流となっている方法論を用いるスプツニ子!は、現実とバーチャルなコミュニケーションの往復運動から、菜の花による放射能除去をテーマとしたハイヒールオブジェ《菜の花ヒール──Work in Progress》(歩くと菜の花の種が植えられるというもの)を、そのプロセスまで含めて公開。さらに、瑞々しい感覚でとらえられた都市や国家イメージを、儚げで危うさを有する少女性と重ね合わせて表現する石井七歩のタブローなど、アイロニーやアレゴリーよりも、直截的で物語的、それをシアトリカルに提示することで多くの共感を呼び起こそうとする作品が多く見られたが、ある意味でそれは「現代」の時代性を的確に反映しているとも言えそうだ。
 そして最後にもう1点、チームラボの作品について。《グラフィティ@グーグル》と題されたこの作品は、グーグルの画像検索でグリッド状に表示される画像をカンバスに見立て、ゲリラ的に一枚の絵を描いていくというもの。グーグルのサイトを一時的に占拠する、まさに電脳世界におけるグラフィティと言えよう。グーグルの検索アルゴリズムを解析し、意図的に操作するという高度なテクノロジーに支えられていながら、そのイメージは群鴉図という伝統的なモチーフによっている。一つひとつの画像の配置まで正確に計算されているかは不明だが、グーグルの検索アルゴリズムという「他者」にイメージの最終決定権が委ねられていると考えても面白いと思う。表現における主体と他者の関係性、巨大な制度への介入と「巨大数」に抵抗しようとする意思、画像検索結果表示の平面性に投影された日本の伝統的美意識など、チームラボは近代がもたらした固い世界観にさまざまなテクノロジーを用いて揺さぶりをかけ、その奥にひそむ日本の豊かな記憶を呼び起こそうとしているのではなかろうか。
 むろん、「超群島」とはひとつのメタファーに過ぎない。多彩な活動を行なう作家の多様な作品が本展では紹介されているが、それぞれがパズルのピースとして「超群島」という概念を形づくっているわけではなく、むしろ同一性と差異性がゆるやかに交差する「マルチチュード」の総体としてとらえるべきであろう。「検証」や「総括」というよりは、その多様性から思考を空間的に開放していく方法の提案。つまり、限界に達し破綻寸前の現実世界を「群島」という概念によって是正しようとするのではなく、雑多で混沌としつつ、接続も切断も可能な情報インフラを範として世界の多層性、多孔性に気づかせ、見る者それぞれの世界観を刷新するきっかけとなるものが「超群島」なのである。豊かな記憶と声の眠る彼岸の島々へと向かう想像力が、本展からは確かに喚起されよう。


石井七歩《理想惑星 (分岐してゆく)》


チームラボ《グラフィティ@グーグル》

 とは言いつつも、インターネットに代表される新しい時代の情報インフラを、僕は手放しで評価することもできない。Twitter、Facebookやブログもいまのところは企業や著名人、芸能人などの「権力」を保持する装置として機能するか(むしろ身近に感じられる分余計にその効力は増しているかも?)、あるいは誰もが社会に対して意見や主義主張を表明できるメディアとしての特性を無自覚に利用し、自己顕示欲の充足ないしは他者を攻撃、貶めることで現実生活の不満を解消するための場に止まっているのではないか。そもそも「身体と感情と生活を持った個々の人間」という想像力がネット世界では欠落しがちである。もちろんそれはシステムの問題ではなく、使う人間の知性と民度に由来するものではあるが、だからと言ってそこに全幅の信頼を寄せたり、その世界を「約束の地」「理想郷」と単純に煽るだけでは、進歩が幸福と信じられた高度成長期と同様の過ちをまた繰り返すだけであろう。
 先の大震災では1万5千人を超える人間が死んだ。しかし繰り返しテレビ等で流れた映像ではひとつの死体も映し出されていない。1万5千人という抽象化された数字のみでは死をリアルに認識することも、その一人一人の生に思いを馳せることもなかなかに難しい。自我と社会ですら混同されがちな現代社会において、記号から心理的意味を読み取る思考力と想像力、そして他者への思いやりを涵養すること。……この展覧会は「エコゾフィーの実践I」(2008)、「ARCHITECT JAPAN 2009 -ARCHITECT 2.0 WEB 世代の建築進化論」(2009)、「CITY 2.0-WEB世代の都市進化論」(2010)、「第2回堂島ビエンナーレ2011“ECOSOPHIA”〜アートと建築〜」(2011)へと連なる一連の企画の最新ヴァージョンとのことであるが、さらなる更新の際には、ぜひネット社会における自我のありようについて考察をぜひ加えてもらいたい。

超群島──3.11以後、アーキテクト/アーティストたちは世界をどう見るか?

会期:2012年3月11日(日)〜4月16日(月)
会場:EYE OF GYRE(GYRE 3階)
東京都渋谷区神宮前5-10-1/Tel. 03-3498-6990