キュレーターズノート

フラワーズ──一斉に芽吹く春の花のように

工藤健志(青森県立美術館)

2013年07月01日号

 十和田市現代美術館が開館5周年を迎えた。この美術館のユニークなところは、もともとアートを用いた町づくり事業「Arts Towada」の拠点施設として設置されていること。「Arts Towada」とは、美術館を核として活動を市街地へと広げ、街そのものを活性化させていこうというプロジェクトである。その後、アート広場やストリートファニチャーゾーンが整備され、「Arts Towada」としては2010年4月にグランドオープンを迎えている。つまり、考え方によっては何度も周年事業ができる訳で、同業者としては正直うらやましくも思う次第(笑)。ともあれ、今回は美術館の開館5周年記念展。ただし、本展は「Arts Towada」の活動の成果も充分に踏まえながら、美術館という枠組みを越えて、より大きなフィールドのなかで展示活動が行なわれていた。

 今回のテーマは「花」。十和田と言えば「官庁街通り」の見事な桜並木が有名であり、春になると美術館の周辺も東北の桜特有の淡い色で覆われる。美術館の正面には、チェ・ジョンファによる色とりどりの花に包まれた《フラワー・ホース》が美術館のランドマークとして設置されているが、官庁街通りの別名が「駒街道」であることからもわかるように、この地はもともと馬とのゆかりも深く、この《フラワー・ホース》は十和田の象徴としても機能するものである。とまれ、そうした十和田という地域性を踏まえ、開館5年の節目に「花」をモチーフにした展覧会を仕掛けるのは至極うまづけ、否うなづけよう。
 これまで毎年春に行なわれてきた企画展は、常設展作家の個展として開催されることが多かったが、今回は常設展作家(草間彌生、高橋匡太、チェ・ジョンファ、山本修路)に加え、国内外で活躍する作家(青山悟、安斉研究所、大庭大介、大巻伸嗣、工藤麻紀子、須田悦弘、チームラボ、奈良美智、蜷川実花、藤森八十郎)が多数参加し、美術館内外の至る所でアートの花を咲かせていた。
 その仕掛け方もなかなか巧みで、美術館だけでは展覧会の全貌は把握できず(もちろん参加作家すべての作品も見ることはできない)、観客はマップを片手に「花をさがしにまちにでよう」(ちらしより)とうながされることになる。
 筆者が展覧会を見に行ったのは6月初旬の平日の午後であったが、美術館の展示を見てそのコンセプトを確認してから、十和田の街をのんびり歩き回って作品を探す行為そのものが楽しく、途中で気になった商店や喫茶店に立ち寄ったり、あれこれ考え事をしたりと、豊かな時間の流れを体感することができた。それは、たんなる作品の鑑賞体験を越えた、身体的な経験をともなう「花」をめぐる思考の旅。
 今回もっとも深く考えさせられたのは「花」がテーマに選ばれたことの意味。展示されている花々は、たとえば木下杢太郎の『百花譜』や福永武彦の『玩草亭百花譜』のようなボタニカルなものに対する詩的な感受性と分析的態度の統合、あるいは絵画的な表現と形態学的な記録の止揚といった芸術的命題への回答ではなく、さらには澁澤龍彦の『フローラ逍遥』のような哲学的な観念としての花、すなわち森羅万象のあらゆる偶然や断片から、世界の秩序を体系化しようと試みたものでもない。この展覧会における「花」はあくまでも記号として扱われているものが多かったように思う。

 まずメイン会場となる美術館企画展示室の中央には草間彌生の《真夜中に咲く花》が2点(1点は国内初公開作品)設置され、その周囲に奈良美智の陶の花瓶オブジェ、工藤麻紀子、大庭大介のタブロー、チームラボのアニメーション等が配置されている。しかしその空間に佇んでいても、美しい花々に囲まれているという感覚はなく、むしろそれら「花」が発する現代の問題に意識を支配されるかのようであった。
 まず草間による花のオブジェはどこまでも人間存在を肯定する生命力とエロスの賛歌ととらえてよいだろう。そして、企画展示室に大きく開口された光の降り注ぐ窓辺には奈良の陶のシリーズ《小頭花瓶》が設置され、奈良自身が選んだスターチスなどが生けられている。その外光をたっぷり受ける場所に展示されているのは、本展のために新作を用意した工藤の《あしもとすくわれる》。展示室の窓から見える芝生の緑と呼応しつつ、草花がいっせいに芽吹く春の様子が描かれているが、画面中の少女達は決して春に浮かれてはいない。むしろ、彼女たちは押し寄せる命の力に怯え、不安を感じているようにすら見て取れる。もしかすると、一般的に信じられてきた花=生命=喜びという価値観すらもはや崩壊しつつあるのが現代という時代なのだろうか。


美術館展示風景。草間彌生《真夜中に咲く花》
photo by Kuniya Oyamada

 一方、大庭の《SAKURA》は現代絵画の可能性を感じさせる1点。パール系の絵の具を用いたその凹凸に富む白い表面は、光の反射、観る者の動きによって印象が大きく変化していく。色彩もイメージもけっして安定はしない。咲いてすぐ散る桜の花をモチーフにした、この不確定性を強く持つ作品に接していると、とらえどころのない浮遊の感覚を強く感じる。それもまた価値や思想が劇的に変化する現代という時代を写すものと言えるかも知れない。
 本展のための新作ではないがチームラボの《生命は生命の力で生きている》は花鳥風月という日本の伝統的な画題を、最新のデジタル技術を駆使して再解釈し、そこから日本古来の視覚的美意識や空間の認識方法を探ろうとする作品。その映像は美麗で息をのむ一級のエンターテインメントに仕上がっており、誰しもがその伝統的な日本の美の世界に魅せられていくことであろう。奥行きのない空間にまるで季節の正しい循環を予祝するかのように永遠の回転運動を続ける1本の木……、日本の伝統的な空間認識とともに日本人の時間の流れに対する感覚をも暗示するこの作品は、見る者に「日本」のアイデンティティを無意識のうちに自覚させる作用を持っている。
 このように、ひとつの空間に集められた花は、その記号としての共通性があるのみで、そこから生じる意味性は大きく異なる。美しさや生命力を象徴するモチーフというより、それは「現代」という時代をさまざまに照射しているのだ。
 その大きな企画展示室を抜けた通路と小さな展示室には、蜷川実花がはじめてポラロイドを使って撮影した写真をコラージュした《things》というインスタレーションが設けられ、さらに突き当たりの展示室には高橋匡太の《Scene with flowers》が設置されている。十和田市民から提供された花が写り込んだモノクロ写真が次々にプロジェクションされ、「光の三原色」の特性を用いたラインティングによってモノクロ写真の花に色が与えられていくというインスタレーション。その写真群は、親子、兄弟、友人たちが被写体となったモノクロームの何気ない日常の風景。その光景に添えられた花に「色」が与えられることで、写真という閉じた世界が一気に開放され、そこから無数の記憶や物語が甦ってくる。花を介して見知らぬ他者とのあいだにコミュニケーションが生じるとともに、ふとした「日常」がかけがえのない美しさを有していることにもわれわれは気づかされよう。同時にアートもまた特別な存在ではなく、日常に寄り添ったところに存在するものであることを高橋の作品は静かに主張していた。


高橋匡太《Scene with flowers》
(C)Kyota Takahashi

 こうしてわれわれは、花をとおしてさまざまな思考をし、そして街へと出ることになる。一般的な展覧会の鑑賞行為では展示空間の中でその体験や思考はいったん完結する。しかし、今回は街中に点在する作品を目指して歩く、その「歩く」という行為のなかで体験と思考がさらに深まりをみせていく。それはアートについての考察というより、いまを生きる「私」といまの「社会」、そして相互の関係性についての思索と言えるだろう。そして、その道すがら目にする風景を通して、十和田という街に対する認識も更新されていく。
 そんな街なか展示ではチェ・ジョンファの作品が多く目についた。小学生とのワークショップで制作した花を使った作品、市民との共同制作によるモビール、祭の山車とのコラボレーションによるフラワー・ホース等々。市民参画型の取り組みが多く作品としてのクオリティを問えば疑問符が残るものも正直多いが、むしろこれら作品は「きっかけ」として存在するものととらえるべきだろう。アーティストと市民との交流体験は十和田の未来をつくるひとつのきっかけとなるし、作品を目指して十和田の街を歩く行為じたいが、街を考えるきっかけとなること──。そのことを典型的に示すのが松本茶舗という商店であろう。
 お茶や陶器を販売する店内には数々の商品とともに、これまでの「Arts Towada」の成果が蓄積されている。「栗林隆WATER >|< WASSER」展(2012)の折りには地下倉庫に日本列島を模した栗林のインスタレーション《インゼルン・チャホ》が設置されたり、いまでも「超訳 びじゅつの学校」(2013)での部活動の成果の一端も見ることができる。今回はその栗林作品にチェ・ジョンファがアプローチし、日本列島を桜の花で覆い尽くす《Japan》というインスタレーションを展開していた。
 日本を象徴する桜の花びらで日本列島を包んだこの作品は、3.11以降の状況を踏まえると日本という国のはかなさを示しているようにもとらえられるが、鏡張りの小さな空間によってそのはかなげな表象には無限の広がりが与えられている。韓国籍を持つチェの作品として、そこからポリティカルな意味合いを見出すことも容易であるが、それは「野暮」というべきであろう。むしろ国籍、人種の違いを越え、同じ時代を生きる同じ人間として、幾多の困難をはらみながらも未来に向かっての歩みを続ける日本の永遠性を祝福するもののように筆者には思えた。


松本茶舗での展示。チェジョンファ《Japan》
photo by Kuniya Oyamada

 以上、すべての作家の作品について詳しく触れる暇はなかったが、さまざまな作品をとおして花というモチーフが有する意味の多義性についてあらためて再認識させられたし、なんとなくではあるものの、アートによる街づくりということの意味も今回の展覧会で理解できたように思う。
 十和田の試みは、この秋からは市街地から奥入瀬、十和田湖までをフィールドとした「十和田奥入瀬芸術祭」(2013年9月21日〜11月24日)へと発展していくという。奥入瀬、十和田湖という、かつて戦略的に開発された観光地で、再びアートによる戦略的開発が行なわれることの意味。はたしてどのようなプロジェクトとなるのか、期待は大きい。

フラワーズ──一斉に芽吹く春の花のように

会期:2013年4月27日(土)〜9月8日(日)
会場:十和田市現代美術館、中心商店街全域ほか
青森県十和田市西二番町10-9/Tel. 0176-20-1127

キュレーターズノート /relation/e_00021559.json l 10088793