キュレーターズノート

アート・アーチ・ひろしま2013

角奈緒子(広島市現代美術館)

2013年09月15日号

 ご存知の方も多いと思うが、広島市内には三館の美術館が存在する。広島県ゆかりの作家やアジアの工芸を含む、いわゆる「近代」を取り扱う広島県立美術館、フランス印象派を中心にヨーロッパの近代美術や明治以降の日本の洋画を所蔵するひろしま美術館、そしてヒロシマをテーマにした作品を多く所蔵し、戦後の現代美術の動向を紹介している広島市現代美術館である。この三館はその守備範囲が異なることなどから、暗黙のうちに「棲み分け」が確立されており、それゆえ展覧会の開催に際し、各館の関心の対象が完全に重なり合うという事態は幸か不幸かあまり起こらない。しかしながらこれまでに何度も三館共同による展覧会の開催希望の声が、とくに関係者のなかからあがっていたという。そして今年度、文化庁からの助成を得てようやくそれが実現の運びとなった。

 今夏、広島では「アート・アーチ・ひろしま2013」と題し、広島の地にゆかりのあるイサム・ノグチをキーパーソンに、初めて三館共通のテーマのもと、展覧会を同時期に開催している。文化庁の支援事業の名称「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」にあるとおり、「地域との共働」が必須である「アート・アーチ・ひろしま2013」では、上記市内三館のほか、各方面と共働しながら各所にサテライト会場を設け、展覧会や催事を行なっている。今回はそのうち二つの展覧会を──いずれもすでに終了してはいるが──紹介したい。

アート・アーチ・ひろしま2013

会期:2013年7月20日(土)〜10月14日(月・祝)
メイン会場:広島県立美術館ひろしま美術館広島市現代美術館
サテライト会場:アリスガーデン、市内ギャラリー等

家族の肖像──親密性の美学

 展覧会タイトルにあるとおり「家族」をテーマに、広島在住の三作家──後藤靖香、小西紀行、戸川幸一郎による三人展である。
 キャンバスいっぱいに力強い筆致で対象を描きだす後藤は、彼女の祖母のエピソードに取材した作品《千里行って千里帰る》を発表。作品の画面は、キャンバスという枠の中にとらえられたかのように収まった虎が描かれ、彼女のダイナミックな構図や筆遣いといった特徴が遺憾なく発揮されていた。この作品の背景には、「虎は千里行って千里帰る」という諺と、戦時の出征兵の武運長久、無事帰還を祈願して多数の女性が一人一針ずつ赤い糸で千の結び目をつくる「千人針」のストーリーがある。縁起をかつぎ、寅年生まれの女性のみ年の数だけ結び目をつくることを許された「千人針」には、寅年生まれの後藤の祖母も頼まれてよく針を入れたという、家族に関するエピソードが披瀝される。
 愛する人々の姿を見つめ、とらえ、描き残したいという実直な気持ちから、小西は一番身近な愛する存在である家族の肖像を描き続ける。「家族」とは、その関係の始まりからすでに、特別な理由などなく近しい関係性が構築されている存在であるがゆえに、向き合えば向き合うほど目を背けたくなる側面に気づき、見ることを止めたい気持ちになるのではないかと私などは危惧してしまうが、小西は家族と向き合い続ける。彼の描く家族の肖像からは、家族に対する両親の凛とした責任感や子どもたちの無邪気な表情は伺えるものの、家族に響きわたるような笑いや明るさは伝わってこず、むしろどこか不安そうな憂いをも帯びたかのような面持ちが見てとれる。こうした家族に対する冷静なまなざしととらえ方は、なにがあろうと崩壊することなく、つねに強固に結ばれているという家族との関係への信頼があるからこそ、描きだせる境地なのかもしれない。
 対照的だったのは、自分の家族を描くこともあるという戸川の描き出す子どもや人物の姿である。生来的に「子ども」が持ちうる邪悪さもその表情から伺えるものの、青空や星空といった背景や画面を構成する暖かい色調からは、明るさを帯びた「メルヘン」な要素が感じられた。
 展示の方法について一言だけ苦言を呈するとすれば、ギャラリーを構成する三面の壁面をそれぞれの作家が一面を担当するような展示形式、つまり小さな部屋で三つの個展が催されていたという印象を受けた展示方法は少し残念に感じた。確かに「三人」展ではあるが、それぞれ「家族」へのアプローチの仕方や視点が異なるがゆえになおさら、別の作家同士の作品をあえて併置するなどの工夫があれば一層、展覧会タイトルにある「親密性」とはなにか、または「家族」との関係を深く問う機会になったのではないだろうかと感じられた。

後藤靖香・小西紀行・戸川幸一郎展「家族の肖像──親密性の美学」

会期:2013年8月15日(木)〜9月2日(月)
会場:ギャラリーてんぐスクエア
広島市中区大手町1丁目5-12/Tel. 082-248-4881

建物の生態「共生 擬態 変身 沈黙」

 こちらは、戦前から被爆後にかけて、時の流れとともに、その役割やあり方、または姿を変えながらもなお広島市内に存在する三つの「被曝建物」──広島逓信病院旧外来棟被爆資料室、本川小学校平和資料館、旧日本銀行広島支店──に着目し、その建物に寄り添うように作品を配することで建物と作品との交流をとおして、建物のみならず広島という都市の生態を考察しようという試みである、とチラシを見て私は理解した。過去にもすでに何度か紹介したように、現在、文化活動の拠点のひとつとして、貸し会場として機能する旧日本銀行広島支店には足を踏み入れたことはあったが、その他の二会場については今回初めて訪れる機会を得た。いずれも爆心地から近いにもかかわらず倒壊を免れ、地下室を含む建物の一部がいじらしくも現存する。旧日銀以外の建物は現在、「資料室」として活用されており、建物内の一部、たとえば原爆の閃光によって壁にできた影や燃えて黒くなった跡などをそのまま保存しながら躯体に補強を施し、被爆資料や遺品が当時の様子を語るパネルとともに陳列されている。
 広島逓信病院、元院長の蜂谷道彦氏が被爆体験を残した『ヒロシマ日記』に強く惹かれ、なにが起こるかわからない将来に備えることの重要性を訴えようと試みる丸橋光生は、飲料水、食料、おむつやトイレットペーパー、脱脂綿やガーゼ、包帯、消毒液などを積み上げ、《ひろしま日記の準備》として展示する。これらは日常において不可欠な物品であり、そのため非常時に入手できずに困る物であることは容易に想像できるし、多くの人が知っている。そうすると、これらの物がなぜ作品として提示されうるのかという疑問が生じるだろう。繰り返しになるが、丸橋が提示するのはスーパーなどで購入できる物品そのものである。一般の人が自分の身にも起こるかもしれない非常時に備えて、これらの物を自宅に積み重ねておく行為となにが違うのか、残念ながらその違いが見えてこなかった。たんなる「商品」が作品として提示されるためには、なんらかの仕掛けが必要であろう。もちろんここでは「建物」そのものがその仕掛けと言えるかもしれないが、それだけでは十分とは言えない。
 もう一人、この建物を選んだ長岡朋恵は、旧消毒室にガラス、米、蝋、ロープといった、透明や白いモノを利用してインスタレーションを展開した(《そして、何をみる》)。長岡は、ある場所から受けた印象を、彼女のなかにストックされている数々のモノと直感的にリンクさせることで、表象の対象をイメージとして結実させるという制作の手順を踏む。今回は旧消毒室という場所が、透明と白からなるモノを介し、水や川といった像を結んだと考えられるだろうか。注連縄を想起させるロープ、神へのお供え物として奉納される米といった素材だけでなく、透明なガラスの上に表わされた広島を流れる7本の川をたゆたう水も、「浄化」という言葉を想起させた。人々に魂のカタルシスをもたらす役割こそ、芸術が担うべきであるという期待を込めた解釈かもしれない。


広島逓信病院旧外来棟被爆資料室、入口


丸橋光生《ひろしま日記の準備》(部分)


長岡朋恵《そして、何をみる》


長岡朋恵《そして、何をみる》(部分)

 二つ目の建物、本川小学校平和資料室には、後藤靖香、黒田大祐、入江早耶、石黒健一の4名が展示する。先に紹介した展覧会では、祖母に取材した作品を発表した後藤は、ここでは本川小学校に通っていた祖父の少年期をテーマに、相生橋の上で挨拶を交わす少年と兵士とを表わした(《あいおいばし》)。彼らの穏やかな表情からは、この場所が米軍による爆撃の標的となり惨劇の現場となることなど伺える由はない。黒田は、街路灯やネオンによって灯される広島の夜景を夜空に見立て、星座を見出そうと試みる(《ひろしま座》)。光と光とを結び、形として浮かび上がったのはいかなる物語を付与することもできそうにない、なんでもない形だったという。ヒロシマを雄弁に語る「ひろしま座」はいまだ見つかっていないという意味だろうか。入江と石黒は、「広島/ヒロシマ」と直接的には関連しないような作品を展示。印刷された人物像などを消しゴムで消し去り、その消しカスで消し去れた像を立体で再び出現させるという手法をとる入江は今回、「仮面ライダー」を消滅・再生の相手に選んだ。石黒は、大理石を用いて本物と見紛う電球をつくりだし、ずっと前からそこにあったかのごとく裸電球を吊り下げ、被爆前の部屋の様子を彷彿させる。
 三つ目の会場、旧日本銀行広島支店では、広島に暮らす0歳から100歳までの人々のポートレートを撮影し、映像として発表した西村麻美の《100 years》、祖母へのインタヴューをもとに、見慣れた身の回りのものにまつわるエピソードをインスタレーションとしてまとめた岡田寿枝の《Private Lives》、広島の海、川にしゃがみ、とどまることのない水をひたすら手でたぐり寄せるという行為を繰り返す自身の姿を撮影した友定睦の映像《広島の海》、定められし「運命」に抗うべく、諦めずにがんばる姿勢で「運命」に従うことをやめようと試みる、チームやめようによる映像とインスタレーション《運命やめよう》が展示されていた。


本川小学校平和資料館、入口


後藤靖香《あいおいばし》


黒田大祐《ひろしま座》


左=入江早耶《ライダーダスト》
右=石黒健一《Opposition》


西村麻美《100 years》

 率直に言えば、全体的に完成度の高い作品ばかりが揃っているとは言いがたい展覧会という印象を受けた。また、なぜ被爆建物を会場に選んだのかも正直なところ解りかね、その意図は最後まで見えてこなかった。というのも、選ばれた被爆建物といくつかの作品との関係性、またはそこに展示されなければならないという必然性がどうにも明確に見えてこないからである。最初からどこか腑に落ちなかった、建物のあり様にフォーカスしたかのような展覧会タイトル「建物の生態」がやはり適切ではなかったのか。さらに厳しいコメントを付すならば、建物の持つ力に作品が圧倒されていた嫌いもあった。とはいえ、広島に暮らす作家がヒロシマだけでない、世界中で起こり続ける惨劇について感じ考えていることを、広島を訪れリサーチした作家がヒロシマについて初めて知り考えたことを、真摯に表現しようと試みている。その姿勢を信じ、今後の彼らの活躍を期待しながら見守りたい。
 このアート・アーチ・ひろしま2013、三館での展覧会が終了するまで(〜2013年10月14日)、サテライト会場他でのイベントも続くので、まだご覧いただいていない方はぜひご来広を。

建物の生態「共生 擬態 変身 沈黙」

会期:2013年8月28日(水)〜9月7日(土)
会場:広島逓信病院旧外来棟被爆資料室、本川小学校平和資料館、旧日本銀行広島支店