キュレーターズノート

「川内倫子 川が私を受け入れてくれた」「江上茂雄 展」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2016年01月15日号

 熊本市現代美術館では、写真家・川内倫子の九州では初めてとなる大規模個展「川が私を受け入れてくれた」が2016年1月23日からスタートする。阿蘇の野焼きの写真を中心に構成された《あめつち》をひとつの核として、初期の《花火》や《うたたね》から、《Cui Cui》、《Illuminance》など、18年間にわたる活動のなかで制作された代表作を再構成するシリーズ、そして本展のために制作された熊本市民とのコラボレーション作品《川が私を受け入れてくれた》を含めた、約150点による壮大な展観だ。


無題《Illuminance》シリーズより(2007)
発色現像方式印画、1016x1016mm、
東京都写真美術館蔵
©Rinko Kawauchi

 《あめつち》で川内が撮影を行なった熊本の春の風物詩「阿蘇の野焼き」を実際にご覧になったことのある方は、どのくらいいるだろうか。野焼きとは、世界農業遺産にもなった阿蘇の草原を維持管理するために、毎年3月末に行なわれる公役である。近年、担い手が減ってはきているものの、人々の手によって長きにわたり草原は守られてきた。野焼きは、牧野の外側への延焼を防ぐため、輪地切りを施し、エリアを区切ってその中に火を放つ。一歩間違えば死者も出してしまう、たいへん危険な作業でもある。枯草に覆われた牧草地は、しかる後に燃えつき、黒い大地となる。そして初夏には、緑の草が芽吹きはじめ、青々とした牧草に覆われた美しい草原へと還るのだ。
 川内が野焼きの撮影をしている様子を、そっと覗きにいったことがある。同伴した担当学芸員からおおまかな場所を電話で聞き、カーナビで見当をつけて近くまで行ってみるのだが、牧草地にはあたり前だが住所がないし、撮影場所付近に駐車スペースが必ずあるわけでもない。野焼きのごおっとした熱と立ち込める煙、そして燃えあがる草々が、パチパチと爆ぜて、黒い粉雪のようにあたり一面に舞い上がるなか、極めてシンプルな装備で、その一連の流れと呼応するように、どんどんと傾斜地を移動しながら、川内の撮影は続けられていた。反対側の斜面から、ブリューゲルの風景画の中の人物のようにも見えるクルーの動きを見つめていたことを、ふと思い出した。
 その後、東京都写真美術館で実際に見た「照度 あめつち 影を見る」(2012年5月12日〜7月16日)は、それまで見たどんな野焼きの写真とも違っていた。野焼きは九州の写真家にとって、定番の題材であり、私自身も幼いころから目に馴染んだ光景のひとつである。しかし、その安易な先入観は完全に覆され、まったく新しい風景としての阿蘇がそこにはあった。今回、本展の核のひとつに、この《あめつち》が選ばれたことにより、その新しい阿蘇の姿を、熊本や九州の方たちと共有できる。そのことが素直に嬉しい。


無題《あめつち》シリーズより(2012)
発色現像方式印画、1480x1850mm、
東京都写真美術館蔵
©Rinko Kawauchi

 そしてなにより、今回の企画の目玉は、熊本での撮り下ろし作品《川が私を受け入れてくれた》である。本プロジェクトは、本展のプレイベント「あなたの熊本、わたしたちの時代」として、「ずっと大切にしてきた熊本にまつわる記憶の風景と場所」について、国外や県内外を問わず思い出の場所とエピソードを公募したものであり、川内がその応募者の想いに寄り添って、その地を撮影するというものである。
 じつを言えば、私も学芸員という立場は抜きに、熊本市民の1人として、エピソードをひとつ投稿してみた。本当に川内に撮影してもらえるのか、ドキドキとしながら日々を送っていたが、無事採用の運びとなったと伝え聞いて「やった!」と小さく喜んだ。エピソードの公募は、2014年秋から2015年初夏まで、3期に分けて行なわれ、締切終了後に各期2-3日の行程で撮影が行なわれた。川内は公募用参考作品も含めて、応募39件中、31件を取材したという。

──さて、川内は、熊本県下の〈誰かの場所〉を、事前に地図で確認し、その場所に向かい(多くが地名を聞くのも初めてである)、その地へ立つ。川内は指示された場所周辺に到着したのち、辺りを散策し、再びその場所のための小話を読みなおす。川内は、その時に巡り合った景色のなかで、小話の一片に共鳴するようなリアリティを川内自身の中に感知したら、撮影を行うと言う★1

 撮影自体は上記のような手順で、かなりタイトなスケジュールのもと、静かに進められていった。作品においては、撮影する場所だけでなく季節や時刻も重要であるため、かなり綿密に行程を組み立て集中して行なわれたようだ。川内は撮影そのものについて、下記のように語っている。

──「エピソードは個人の体験として読みます、それをそのまま撮影したら証明写真と変わらないので、どこにフォーカスするかは現場で決めます、これを続けることで、自分の中に何か発見できたらいいと思います」★2

 展覧会オープン前の本日(2016年1月5日)の時点で、作品のプリントはまだ美術館に届いていない。しかし、カタログのゲラというかたちで、自分のエピソードを元にした川内の写真を目にする機会があった。
 私の投稿したエピソードは、熊本市の動植物園のレトロな観覧車をテーマにしたもの。いつ取り壊されてもおかしくないような古いものなのだが、動植物園の近くを車で通り過ぎると、江津湖という湖ごしにその観覧車が目に入ってくる。すると、小さいころのピクニックやボーイフレンドとのデート、結婚してわが子と乗ったなどという、自分のさまざまな記憶と「ああ、今日も誰かの楽しい思い出が生まれているのかも」という思いが重なり、ほっとするような、なんとも言えない気分になるというものだった。
 観覧車がなくなってしまわないうちに、この風景を撮ってみたいと漠然と思っていた。けれども撮影の技術やタイミングがない。そんな私のささやかな思いに、川内は真摯に寄り添ってくれ、その期待を上回るものを見せてくれた。何気ないけれども、私にとってのかけがえのない風景に、確かな輪郭を与えてくれたのだ。学芸員をそこそこやってきたが、風景の写真を見て、こんなに感動したのは、正直言って初めてかもしれない。


無題《川が私を受け入れてくれた》シリーズより(2015)
作家蔵
©Rinko Kawauchi

 ゲラをめくっていくと、これは熊本のあの祭り、あの海岸、あの桜、あの坂道、あの教会……といろいろな場所が思い浮かんでくる。しかし、さらにページをめくっていくと、その具体的な場所の固有名詞は、いつのまにか溶けだしていき、個人の思い出を超えた普遍的な記憶の光景として存在しはじめる。これらは、間違いなく熊本で撮られた写真なのだが、ここにもまた、私の見たことのない熊本があった。
 早くプリントを見て、展示室の中に身を沈めてみたい。そして、大切な人たちとともに作品を見つめて、この記憶を分かち合いたい。この《川が私を受け入れてくれた》は、国や時代を超えて人々と共有することのできる、心の故郷の光景そのものなのだろうと思った。

★1──冨澤治子「川内倫子作品論、新作《川が私を受け入れてくれた》を中心として」(『「川内倫子 川が私を受け入れてくれた」展カタログ』、2016)より。
★2──テレビ・インタビューに答えた川内の発言より、前掲論文に記載。

川内倫子 川が私を受け入れてくれた

会期:2016年1月23日(土)〜3月27日(日)
会場:熊本市現代美術館
熊本市中央区上通町2-3 びぷれす熊日会館3階/Tel. 096-278-7500

学芸員レポート

 「川内倫子 川が私を受け入れてくれた」と同時期に開催で、ぜひご覧になっていただきたいのが、ギャラリーIIIで2月14日まで開催中の「江上茂雄」展である。


「江上茂雄」展チラシ

 江上茂雄は、画業90年、2014年に101歳で亡くなった、アマチュア画家である。15歳から三井三池鉱業所建築課に勤め、休日にクレパスやクレヨンを用いて地元大牟田、荒尾の風景を描いた。定年後は、水彩による現場写生画を約30年間、ほぼ毎日続け、約2万点にものぼる作品を残した。60代以降、約40年を過ごした熊本においても「知る人ぞ知る」画家であった江上だが、本展ではその膨大な作品のなかから、たいへんささやかだが、約30点の作品を紹介している。
 江上については、当サイトで高知県立美術館の川浪千鶴企画監兼学芸課長がレポートされたとおり、福岡県立美術館での竹口浩司学芸員の2013年の企画展「江上茂雄──風ノ影、絵ノ奥ノ光」は、その全容を明らかにするものであった★3。そして、その展覧会に先立つかたちで、ご家族や地元の若手デザイナーやアーティストらの有志によって自費出版された『江上茂雄作品集』、及びアートスペース・テトラで開催された展覧会が、福岡を中心に江上氏の存在を人々に印象づけることとなった。私も話には伝え聞いていたが、作品を実見する機会に恵まれず、出張帰りに無理やり滑り込んだのを覚えている。江上の先達としての敬すべき来し方と作品の質量に瞠目し、そしてなにより「絵に励まされた」ことがいまだに忘れられない。学芸員を始めとして、多くの方が一人の画家の人生や作品に向けて、愛情と尊敬をもって接していたことも印象をさらに強いものにした。


街なかで屋外写生をする江上茂雄
撮影=山本直也

 「僕はこの人のことをまったく知らなかった。熊本の絵描きとして、とても恥ずかしいと思った」。江上茂雄展のオープンを案内した、ある熊本のベテラン画家はこう言った。じつは、熊本市では意外なほど知られていないのも事実である。その理由はいくつか考えられるが、世界産業遺産にも登録された万田坑を持つ荒尾・大牟田地区は、炭鉱文化をもとに、博多の町人文化や城下町熊本とは異なる独自の文化圏を持っていた点や、いわゆる特定の流派やグループに属さず、独学で、しかも紙にクレヨンやクレパスといった「ポピュラーすぎる」素材を用いた点で、見逃されてきたとも言える。
 福岡県美の企画展の翌年、江上は惜しまれつつこの世を去った。同年に、荒尾市総合文化センターと万田炭鉱館、今年に入ってからは広島市現代美術館の「ライフ=ワーク」展と、展示の機会が細く長く続いている。本館もささやかであるが、そのリレーの走者の1人となって、バトンを受け取り、次へとつないでいければと企画をさせていただいた。
 川内倫子がいわば外からの視線で、新しい風景としての熊本・九州を映し出したとすれば、江上茂雄は一人のローカルな生活者としての視点を、極限まで徹底し、継続していくことで、それを内破し、日々更新していくような絵画表現を獲得したのかもしれない。この機会に、二つのまったく異なる視点からの風景表現を見比べてみることを、強くお勧めしたい。

★3──同展は、「江上茂雄展──百一賀、小さな私の毎日」(田川市美術館)、「江上茂雄の世界──ふるさと大牟田の情景」(大牟田市立三池カルタ・歴史資料館)と同時開催された。

江上茂雄 展

会期:2015年12月5日(土)〜2016年2月14日(日)
会場:熊本市現代美術館
熊本市中央区上通町2-3 びぷれす熊日会館3階/Tel. 096-278-7500

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