キュレーターズノート

「アーツ・チャレンジ2016」「ふじのくに⇄せかい演劇祭2016」

角奈緒子(広島市現代美術館)

2016年03月15日号

 毎度のことながら今年も年度末を迎え、世の中はいよいよ新年度に向けて動き始めている。美術界では、瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレ、KENPOKU ART 2016、さいたまトリエンナーレと、国内外からアーティストを招聘する大型の国際展が目白押しとなる2016年度は、現代美術ファンにとって忙しい年となりそうだ。

アーツ・チャレンジ2016

 3回目のトリエンナーレを8月に控えた愛知では、県民の文化芸術への関心を高め、大規模国際展の開催へ向けて機運を高めていくことを目的に、現代美術に親しみ、クラシック音楽を楽しむなどの機会を県民に提供する「あいちアートプログラム」を、トリエンナーレ開催年の1年前から実施している。
 2007年にスタートし、今年で9回目を迎えた美術作品の公募展「アーツ・チャレンジ2016」もこのプログラムの一環である。今回、私はこのアーツ・チャレンジの審査委員と「キュレーター」を務めさせていただいた。この公募企画は「作品そのもの」だけが審査の対象となるのではない。「愛知芸術文化センター」という巨大な建物の中にあらかじめ設定されているいくつかの展示候補場所から、応募者が自分の作品を展示するのにふさわしい場所を選び、自作の配置までを想定した「展示プラン」として応募されたファイルが審査の対象となる。つまり、場所の特徴をよく捉え、それを生かしながら空間と自身の作品とをうまく呼応させるような展示プランがより望ましいとされる。1992年にオープンしたこの複合施設は、建てられた時代の雰囲気をいまもなおよく伝える、立派というかマッチョな建築物である。端的に言ってしまえば、美術作品の展示が目的とされていない、見た目的にも機能的にも「展示」が難しいと端からわかっている空間での自作展示に果敢に挑む、文字どおりチャレンジングな企画案が期待されている。しかしながら、応募企画は全体的に、特徴的なスペースの特徴に挑んでやろうという意気込みよりもむしろ、おかしな空間だけどそれはそれで仕方がないという、受け身のプランが多かったように感じられた。入選したのはいずれも若手とはいえ、過去に各地で自作を発表した経験のある作家も含む、十分な力をもった12名となった。
 厳密に言えば壁が白くないからホワイト・キューブではないが、いわゆる「ギャラリー」を選んだのは4名。照沼敦朗は《ミエテルカー》と題し、映像、オブジェ、ペインティングで構成されるインスタレーションを発表した。映像作品では、視力の弱い自分の姿を重ね合わせた分身のような存在「ミエテルノゾム」が、タイヤがなく運転手の足で歩行することで走る車「ミテルカー」に乗って、地下のような暗闇の世界へと私たちを誘う。対照的に鮮やかな色彩が目を引くペインティングは、幼少の頃、車のデザイナーになりたいと真剣に思うほど車好きだった照沼少年が描きためていた車のドローイングを、大人になった照沼がなぞり、いまの彼がもちうる技法で描き直したもの。視力が弱いために運転免許の取得すら認められないという苦い経験をもつ照沼の、もって行き場のない苛立ちややるせなさがユーモラスに表わされる。視覚的に情報をキャッチできさえすれば、ものごとを「見えている」ことになるのか、健常者は対象を難なく「見ることができている」という過信によって、逆に見落としていることがたくさんあるのではないか、「見る」ということの本質を考えさせられる作品であった。


照沼敦朗《ミエテルカー》

 普段は貸画廊として機能しているこれらのギャラリーでは、壁へのビス直打ちが許されず、ピクチャーレールとワイヤーでの展示が条件であったが、池谷保はあえてワイヤーを用いず、まるでなんでもない部屋にペインティングが無造作に置かれているという体(てい)で、複数のペインティングからなる《絵画のある部屋》を発表した。おもなテーマは「顔」だったそうだが、特筆すべきは、細い筆を用いて一点一点、絵の具を立ち上げるように置いていくことで画面を構築していくその描法である。「点描」と言ってしまえば目新しさには欠ける印象だが、けっしてたんなる平面的な点ではなく、一定の高さをもった立体物が立ち並んでいると言えばいいだろうか。おびただしい数のカラフルなブツブツに覆われた画面は、ある程度の距離をとると像を結び、人の顔が浮かびあがってくる。


池谷保《絵画のある部屋》

 サイズの大小はあるが、通行人が行き来するイン・ビトウィーンな空間を選んだのは5名。どの作家も各空間の特徴を活かすというよりは、ひそやかな場所や通路に突如、作品を出現させるという仕上がりの展示となった。井原宏蕗の《cycling》は、漆でコーティングした「糞」を素材に制作された実物大の羊、山羊、鹿、ウサギである。黒光りする動物たちの仕上がりはあまりに美しく、さながら工芸作品のようにも見える。体外へ出た排泄物を利用して体を再生するという「循環」のアイデアは面白いが、作家が言うように、作品をとおして食物連鎖や食生産システムといった社会が抱える問題を提起したいのであれば、さらなるひねりや仕掛けが必要だろう。水野里奈は、《繋がりをもって絵画を構築すること—アノ味はこの風景—》と題し、興味深い実験的ペインティングを発表した。ペインティング自体は、水墨画を思わせる大胆な描法と細密画のような細かい描写という、彼女の特徴とも言える両極端な技法を組み合わせて描かれているのだが、今回は「味覚」と「視覚」の繋がりを考察するという、まさに実験を試みた。水野は、それぞれ味の異なる2種類の飴を舐めながら2作品を描き、鑑賞者もまた、同じ飴を舐めながら鑑賞するというもの。味と色、味と線との関係性にはなんら科学的根拠はなく、恣意的なものだとは思いつつも、味覚と視覚の連動の可能性を思わず考えさせられる作品となった。


井原宏蕗《cycling》


水野里奈《繋がりをもって絵画を構築すること──アノ味はこの風景》

 半分屋外のようなスペースをうまく活用したのは2名。比較的大掛かりなインスタレーション《延長された身体》を発表した宮本宗は、今回の入選作家のなかでも、難しい空間をもっともうまく活かすことができた作家の一人だろう。宮本自身の、工事現場での肉体労働を通じて、大型重機であるクレーンを操縦する人間の腕や手がそのまま延長、拡張し、まるで重量物を持ち上げているかのように見えたという経験から着想している。人間が実際にクレーンを操るようにハンドルを操作することで、ワイヤーでその先につながっている「クレーン球体関節人形」が連動して動くというアイデアは、壮大ながらも当初のプランでは相当心許なかった。しかしながら、模型での実験を重ね、失敗を繰り返しながら動力作用を確認していくことで確固たる構造を導き、最終的には無事、実現することができた。


宮本宗《延長された身体》

 全国各地でさまざまな公募展が開催されているが、アーツ・チャレンジの特徴はやはり、特殊な空間をいかにうまく活用しながら自作を実現することができるかという点にあるだろう。こうした性質のプログラムを執り行なう会場としての芸文センターという施設は、大なり小なりさまざまな制約がともないすぎる。サイトスペシフィックな表現実現の可能性は、じつは、この制約によって狭められてしまっているのではないかと、「キュレーター」業務を通じて実感することとなった。つまり、いろんな意味で本当に「チャレンジング」な作品を実現させるために、覚悟が必要なのは作家側ではなく、むしろ主催者側なのだ。

アーツ・チャレンジ2016

会期:2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
会場:愛知芸術文化センター館内12カ所(12階から地下2階まで)
愛知県名古屋市東区東桜1-13-2/TEL.052-971-5511

ふじのくに⇄せかい演劇祭2016

 舞台芸術に目を向けてみると、先日、京都国際舞台芸術祭が開幕したばかりだが、GWには静岡市でふじのくに⇄せかい演劇祭2016も開催される。「五大陸を代表する演劇が静岡に集結」というキャッチコピーが示すように、アフリカ大陸からはウィリアム・ケントリッジ(1955年、南アフリカ共和国生、ヨハネスブルグ在住)の演出作品がやってくる。
 ウィリアム・ケントリッジは、木炭素描をコマ撮りにした「動くドローイング」と呼ばれるアニメーションで、現代アートにおける映像表現を牽引し続ける作家である。映画、写真、版画といった多様なメディアを通じて、社会や人間に対する深い洞察を詩情豊かに描写してきた。南アフリカの歴史と社会状況を色濃く反映している彼の作品ではしばしば、自国のアパルトヘイトの歴史と痛みとが物語られる。今回上演される『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』は、アパルトヘイト後に旧体制の関係者から証言を引き出した「真実和解委員会」の様子を、不条理演劇の祖と言われるアルフレッド・ジャリの『ユビュ王』になぞらえて演劇化した作品で、南アフリカの人形劇団ハンドスプリング・パペット・カンパニーとともに上演される。もちろん日本初公演。お見逃しなく。

ふじのくに⇄せかい演劇祭2016:ウィリアム・ケントリッジ演出『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』

会期:2016年5月3日(火・祝)13:00開演、5月4日(水・祝)14:00開演
会場:静岡芸術劇場(静岡県静岡市駿河区池田79-4/TEL. 054-202-3399)