キュレーターズノート

人権週間ギャラリー展「いのちのあかし」絵画展/「被災作品公開コンディションチェック展」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2017年01月15日号

 懐かしい豚の絵と久しぶりに「再会」した。京都駅にほど近い、東本願寺しんらん交流館で開催中の「いのちのあかし」絵画展でのことである。同展には、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者でつくる絵画クラブ「金陽会」の作品45点が並び、会場の正面では、大山清長さんの愛嬌のあるちょっととぼけた表情の《奄美の豚》が出迎えてくれる。


「いのちのあかし」絵画展 会場風景
左手前に見えるのが、大山清長《奄美の豚》(1996)。小品から大作まで45点を展示。
[特記以外すべて、撮影=筆者]

 真宗大谷派(東本願寺)解放運動推進本部主催による本展は、同派が国の隔離政策に協力した反省から、ハンセン病問題の啓発や入所者との交流を続け、その活動の一環として、元熊本市現代美術館の学芸員で、ヒューマンライツふくおかの藏座江美理事らの協力で実施されている。

 熊本市現代美術館では、2002年の開館時以来、南嶌宏学芸課長(当時)を中心に、菊池恵楓園との交流や、絵画クラブ「金陽会」の絵画調査をはじめ、全国の療養所との交流・調査を行ない、合計6回のハンセン病療養所に関するグループ展、個展を実施し、『これからのために 菊池恵楓園絵画クラブとの8年間』(2010)などの記録集を発行した。冒頭の《奄美の豚》も、「光の絵画 Vol.1」(2003)と題した小企画展で、来場者の人気を博した作品である。

 だが、その絵が描かれた背景に少し踏み込んでみると、まったく違った印象を持つことになる。例えば、前出の大山さんの作品には、故郷である奄美の風景が、モチーフとして幾度も描かれている。当時、ハンセン病に罹患された方が、故郷の奄美から熊本の恵楓園へ入るということは、二度と戻ることのない“棄郷”を意味した。また、ご本人のお名前も、家族に迷惑をかけたくないという思いからであろう、本名ではない園名を用いられている(何度か呼び名を変えられ、近しい方でも本名は知らなかったという)。

 「光の絵画」展をきっかけに、当館で収蔵することになった大山さんの《裸婦》という作品がある(本展には未出品)。色白でつややかな乳房を露わにした女性像なのだが、その絵を見ると、手の届かないところにあるもの、自分の欲しかったものを、少し恥じらいながらも、キャンバスの上にそっと描いて、ひと時、自分だけのものにしたい、という気持ちが切々と伝わってくる。人間が絵を描き続けてきた根本的な理由を、見る者に思い出させてくれる。


大山清長《裸婦》(1989)(本展には未出品)
[熊本市現代美術館蔵 提供=同館]

 同展に企画協力するヒューマンライツふくおかでは、その後も菊池恵楓園での作品調査を継続し、850点程の作品のデータ化を進めているという。前述の子豚のような懐かしい作品に混じって、調査によって新たに発見された作品も並べられていた。奥井喜美直さんの《家族》もそのひとつだ。奥様の紀子さんとともに金陽会に参加し、セザンヌ風の山々や、白衣の看護師さんと花や鳥を組み合わせたシャガール風の幻想的な作品を得意とする奥井さんだが、この作品ではご夫婦自身と思しき男女と、その中央に、体長の小さな“子ども”の姿が描かれている。優生保護法による断種や妊娠中絶の強制により、入所者の方々は子どもを持つことを許されなかった。その届かぬ思いが、絵の中に宿り、再び私たちの前にぐっと立ち現われてくる。


奥井喜美直《家族》(1991)
調査により新たに発見された作品。

 「ハンセン病元患者の皆さんの絵画展」というと、どこか「自分の無知を糾弾されるのではないか」、そんな恐れを、見る者に与えるのではないかと思うことがある。だが、けっしてそんなことはない。筆者自身も、ハンセン病については恥ずかしながらごく一般的な知識しかない。確かに、いきなり恵楓園やハンセン病資料館を訪ねようと考えるのは、少々ハードルが高いかもしれない。けれども、「ギャラリーに絵を見に行こう」と思うと、比較的気軽に足が向くのではないか。しかも、金陽会の作品は、公募展に入選するほどのレベルの高い技術のある作品から、少々“ヘタウマ”で癒し系の味わい深い作品まで、それぞれのメンバーの個性の数だけバリエーションがあり、見ていて飽きない。まるで自分の祖父母たちの作品を見るような、懐かしさや親しみがあるのだ。

 じつは先日、当美術館に「ハンセン病療養所の方のアウトサイダー・アートを扱った展覧会が過去にあったと聞いて、資料を提供していただきたいのですが」という問い合わせの電話があった。しかし、返事に窮してしまった。私は「世間的に言えば、確かにアウトサイダー・アートだと思うのですが、当時、企画をした人間は多分アウトサイダー・アートだとはこれっぽっちも思っていなくて(もし、そう言ったとしたら「一体あなたにとってのアウトサイダーとは誰か」と烈火のごとく怒りだすであろう姿が、ありありと目に浮かぶ…)、私も多分ちょっと違うんじゃないかなあと思うのですよね。こういうときは、どうしたらいいんでしょうかね…」などと、妙な答え方をしてしまったのだ。

 美術史の末端に関わる人間の態度としては失格なのかもしれないが、作品を見てその背景を知れば知るほど、もう自分はハンセン病元患者の方々の作品を、アウトサイダー・アートとは呼べないのだ。すべてを、何かの美術の流派や型にはめてしまうのではなく、“私”から始まる、自分なりの絵との付き合い方があってもいいのではないか。電話を受けて、改めてそんな気持ちになった。

 ハンセン病療養所入所者の方々の描いた美術作品を“光の絵画”と名付けて美術館に展示した企画者の南嶌宏氏は、入所者の方々を“アウトサイダー”としてではなく、“私の父であり、母”として交流を続けていたように思う。氏は、2016年のちょうど1月に、残念ながら故人となり、また、絵画クラブの皆さんもひとり、またひとりと旅立たれていっている。

 これまで、熊本以外では、なかなか紹介されることのなかった作品が、東本願寺やヒューマンライツふくおかの尽力によって、2017年1月29日まで展示されている。関西方面の方々には、ぜひ足を運んでいただき、その小さな光の一つひとつに目を向けてもらえれば幸いである。


木下今朝義《故郷の社》(2005)
「この山の向こうに木下さんの家があり、お宮参りに朝晩来ていたそうです。『神様しかいなかったからなあ。助けてください、助けてくださいとそればかりだった。カラスが鳴かない日はあってもわしが泣かない日はなかった』と語っていた木下さんが86歳で描いた作品です」と、ご本人に聞き書きされたキャプションが添えられている。

人権週間ギャラリー展「いのちのあかし」絵画展

会期:2016年12月7日〜2017年1月29日
会場:しんらん交流館 1階交流ギャラリー
京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199/Tel. 075-371-9208(代表)

学芸員レポート

 ふと気づくと「熊本地震から何カ月」と、地震を起点に物事を考える癖がすっかりついてしまった。館の内外で地震に関わる報告を行なう機会が増え★1、展示企画も立ち上がりはじめた現在の状況を少し記しておく。

 館内で実施した企画のひとつが「熊本市現代美術館所蔵作品より 被災作品公開コンディションチェック展」(11月9日〜11月27日)という小企画展である。幸いなことに、当館では作品そのものは甚大な被害は出なかったものの、箱に入ったかたちで倒れていたものなどを開梱し、作品の細かな状態チェックを行なう必要があるものが相当数あった。今回は、学芸員による作品チェックを公開するかたちで、3期に分けて58点の展示を行なったが、いずれも、マスコミや市民の反応は大きく、熊本地震を受けて、文化財に対する関心は非常に高まっていると感じた。


「被災作品公開コンディションチェック展」の様子
学芸員の作品チェックの状況を市民に公開するかたちで実施した。

 また、2017年4月には、熊本地震から1年のメモリアルを迎える。その時期に、筆者も「3.11→4.14-16アート・建築・デザインでつながる東北⇔熊本」と題した小企画を準備中だ。アートという側面から熊本地震を振り返ったとき、阪神淡路大震災や新潟中越地震をはじめ、そしてやはり6年前の東日本大震災から、今回の熊本は、大きな教訓やつながり、知恵といった、さまざまなギフトを受け取ったと感じている。そして今度は、熊本が得たものを、まだ見ぬ未来の被災地へ向けて発信していく内容になればと思っている。

★1──三菱地所アルティアムで実施された九州・沖縄の作家を紹介する企画展「Local prospects 2」では、「九州と震災とアート」と題したシンポジウムが行なわれ、筆者も登壇させて頂いたが、ウェブサイトにはそのほぼ全容がわかる詳細な記録がアップされている。http://artium.jp/exhibition/2016/16-07-local2/

熊本市現代美術館所蔵作品より 被災作品公開コンディションチェック展(終了)

会期:2016年11月9日〜11月27日

3.11→4.14-16──アート・建築・デザインでつながる東北⇔熊本

会期:2017年3月1日〜2017年4月30日
いずれも会場:熊本市現代美術館
熊本県熊本市中央区上通町2番3号/Tel. 096-278-7500