キュレーターズノート

疾走する中国──的|芸術中心での「越後正志:中国製造」展

鷲田めるろ(キュレーター)

2018年05月15日号

3月に北京に新しいアートセンター「的|芸術中心(de Art Center)」がオープンした。若手キュレーターの夏彦国が立ち上げたスペースだ。場所は紫禁城からも近い中心部である。若手と言っても夏は、その前は北京有数の現代美術館「紅磚美術館(Red Brick Art Museum)」の館長を務めていた。私は、昨年12月に初めて夏と出会い、韓国のキュレーターのコウ・ウォンソクとともに「学術委員」という立場で新しいアートセンターを構想した。そして夏によるオープニング企画に続く、2回目の展覧会を企画した。4月に始まり、現在開催中である。

北京のアートスペースに関わったことは、私にとって大きな刺激となった。まず驚いたのはスピード感である。12月に会って、3月や4月に展覧会をしたいと言う。聞けば、予算もまだ当てがないとのことである。日本の美術館なら翌年度の展覧会の予算をその前年度の秋に提出するというスケジュールなので、秋にはある程度予算規模やその収入源が見えていないと展覧会をすることは難しい。しかし、「お金のことはなんとかする」と夏は言う。だが、それほど大きなスペースでもなさそうなので、最悪すべて自費でまかなう覚悟でその話に乗ることにした。結局予算に関しては、スペースの運営自体を2年間はサポートしてくれるスポンサーが見つかり、私の企画展については、北京の国際交流基金が共催で入ってくれることになった。小米(シャオミ)の機材協力を得、また、記録についても専門の会社が協力してくれた。最初は夏個人のスピード感なのかと思ったが、どうやら美術業界全体、社会全体がこのスピードで動いているようだ。


図1 オープニングトーク「越後正志的在地実践」(2018年4月22日、的|芸術中心)、左から越後正志(アーティスト)、筆者、夏彦国(的|芸術中心主宰)[撮影:ARTEXB 提供:de Art Center]

アーティストは越後正志を選んだ。昨年、富山のギャラリー無量で個展を企画した作家である。日本の作家であること、輸送をしないこと、売り物の絵画でないこと、の3点が夏からのリクエストだった。日本の作家であることは、オープニングの3企画で夏が中国の作家、私が日本の作家、コウが韓国の作家の展覧会をするという枠組みを定めたことに由来する。輸送に関しては、輸入の際に止められるなど、あまり輸送に信頼性がないというのが理由だ。絵画でないことに関しては、北京でギャラリーが乱立してすでに絵画があふれていることから、非営利の新しいスペースとして他と差別化を図ることを狙った。私としても、初めての北京で、何か北京と関わるものを作りたかった。越後は、現地制作のできる作家で、海外経験も長くタフさがあり、誠実である。日本の感覚からすると非常に短い時間で、予算も分からない状態でよく引き受けてくれたと思う。


図2 展示風景[撮影:ARTEXB 提供:de Art Center]

次に驚いたのは、SNSの使い方である。北京ではあらゆる支払いが電子化しており、スマートフォンは必須というほど普及しているが、SNSは微信(WeChat)が一人勝ちの状況である。日本がまだ、FacebookやTwitter、LINEなど複数のプラットホームに細分化しているのとは対照的である。Googleなど西側諸国のサービスへのアクセスが制限されていることも一つの要因であると思われるが、それがSNSという範囲を超えて、支払いの手段(WeChat Pay)にもなっているという理由もあるだろう。微信上で音声メッセージを送り合うため、電話もメールもあまり使っていなかった。また、中国にはもう一つ、微博(weibo)というtwitterに似たサービスがあり、以前はこちらも盛んに使われていたが、最近は微信に移行しているようだ。夏も2年ほど前は微博を使っていたが、最近はほとんど使っていないそうである。そして、驚くべきことに、使わなくなったという夏の微博には、50万人のフォロワーがいる。日本とは桁が違う。越後展のオープニングのトークをウェブ上でライブストリーミングしたが、それも4,000人以上の視聴者があった。10年ほど前、日本でTwitterやUSTREAMのサービスが出てきた頃の盛り上がりに似ているとも感じるが、その頃、小さなアートスペースからライブストリーミングをしてもせいぜい視聴者は二桁程度であった。にわかに信じがたい数字であるが、もし本当だとしたら、勝てる気がしない。なお、ウェブサービスへのアクセス制限については、若い世代を中心に、VPNをかませるなどして、GoogleやFacebookにもアクセスしているようであった。


図3 展示風景[撮影:ARTEXB 提供:de Art Center]

ウェブに関してもう一つ面白かったのは、自分の名前の表記である。私の名前「めるろ」はフランスの哲学者メルロ=ポンティからつけてもらったもので、漢字がない。日本では苗字も含めて相当珍しい名前なので、名前で検索したときに、同姓同名の人とまぎれることがまずない。逆にネガティブなことも残りやすいのかもしれないが、今のところはありがたいことだと思っている。しかし、当然中国では「めるろ」は検索できない。「Meruro Washida」というローマ字ならアイデンティファイできるが、「鷲田」という漢字を見て、「Washida」という日本語読みは分からないし、覚えてもらえない。日本で「ツァイグオチャン」よりも「サイコッキョウ」の方が覚えやすいのと同じである。そのため、心機一転、「鷲田梅洛」を名乗ることにした。メルロ=ポンティが中国語で「梅洛-龐蒂」と表記されるので、それを頂戴した。今後名前をつけるならば、音読みの漢字の名前をつけるのがよいと思った。もう一つは、日本語の漢字と簡体字、繁体字の問題がある。つまり「越後」を「越后」と表記するかどうか。中国の検索エンジン「百度」で試してみても、検索結果は同じではない。苗字は仕方がないとしても、名前をつけるとしたら、日本語・簡体字・繁体字が同じ文字から選ぶのがよいだろう。


図4 展示風景[撮影:ARTEXB 提供:de Art Center]

そして、もう一つ興味深かったことは、政府への配慮である。展覧会をつくる過程で、政府批判と捉えられかねないことを注意深く避けることが随所に見られた。今回の越後の作品には直接的に中国政府を批判するような内容は無い。作品は、越後が長く使ってきた作業着がいずれも中国製であることから、それを中国に持ってゆき、すり切れて空いた穴をアートセンターの近くの、北京への移住者である仕立て屋に直してもらうというという内容であった。アーティストである越後自身の移動、衣類という製品の移動、仕立て屋の移住、仕立て屋の息子のアメリカへの移住など、様々な移動がテーマとして重なり合う作品である。ここで、仕立て屋という繊維業の人が選ばれているのには二つの理由がある。一つは、日本との関係である。中国、日本、韓国という枠組みの中で、ただ、キュレーターとアーティストが日本人であるということ以外に、作品に日本が関係する要素を入れたかった。日本の日常生活に浸透している中国製品の一つに衣類がある。前回のキュレーターズノートでご紹介した、現在金沢21世紀美術館で開催中の「TO&FRO」展とも関連するテーマであり、日本、特に私が拠点都市、越後の出身地である北陸と中国の関係を重ねるために、是非、繊維と絡めたかった。もう一つは、北京のリサーチの過程で知った、北京の都市政策に関することである。北京では、地方からの移住者によって都市が過密状態にある。彼らは北京の経済活動を支えている。北京であれほど食べ物のデリバリーサービスが発達していること一つとっても、人件費の安い彼らの存在なしにはあり得ないだろう。しかし、過密が劣悪な都市環境をもたらしている面もあり、当局は状況の改善を図っている。そのような背景のもと、最近話題になったのが、昨年11月に起きた大規模なアパート火災を機に、市政府が違法建築の取り壊しを行なったことである。この地域には北京に出稼ぎに来た人たちが多く住んでおり、なかでも縫製業の人が多かった。このような二つの要素を背景に、縫製業に携わる人々と作品を作りたいと考えた。そのため、この作品は、直接政府の政策を批判するようなものではないが、間接的に社会問題に触れるため、作品を構想する段階の話し合いで、政府批判とも取られかねない方向に行くことを注意する意識が夏に見られた。もちろん夏も一概にそれを否定する訳ではないが、そのことがどのような事態を引き起こすかについて無知な我々に教えてくれた。それは私にとって新鮮な経験であった。

スピード感あふれる社会と、組織を辞めて自分のアートセンターを立ち上げた夏の仕事ぶりに大いに触発された。


図5 展覧会スタッフ集合写真、「的|芸術中心(de Art Center)」前にて。後列左から4人目夏彦国、5人目高橋耕一郎(国際交流基金北京日本文化センター所長)、6人目筆者、7人目越後正志[撮影:ARTEXB 提供:de Art Center]

「越後正志:中国製造」展

会期:2018年2月22日〜6月30日
会場:的|芸術中心(北京市张自忠路3号 段祺瑞执政府旧址)
主催:的|芸術中心、国際交流基金北京日本文化センター