キュレーターズノート

美術鑑賞における情報保障とは何か

田中みゆき(キュレーター)

2018年05月15日号

2020年の東京パラリンピックの開催や、国連の障害者権利条約採択に伴う日本における障害者差別解消法の制定など、さまざまな背景が重なり、障害を扱う芸術活動が著しく増加している。そもそも一口に「障害を扱う」と言っても、活動の種類は多種多様で、どういったスタンスから計画されたものなのか、同じように見えても違う場合が多々ある。当事者支援なのか、研究目的なのか、芸術の社会的な役割を模索するものなのか。また、作品をつくる側ではなく、それを鑑賞する側として障害のある人を想定することも忘れてはならない。両方が進んでこそ、真の意味での障害者の芸術活動の参加になるのではないだろうか。そこで今回は、視覚障害を例に、美術鑑賞における情報保障の可能性について考えてみたいと思う。

「きくたびプロジェクト」 横浜美術館 2018年1月14日〜3月4日 [撮影:中島佑輔]

障害を扱うさまざまな芸術活動


障害を扱う芸術活動の種類を大きく分けると、次の5つの方向性に分けられるだろう(もちろんひとつの団体の活動が複数を跨ぐ場合もある)。

①障害のあるアーティストの発掘、育成
美術においては、いわゆる「アール・ブリュット」を中心に福祉施設や事業所との結びつきが強く、それ以外にも作家の発掘は公募が中心を担ってきた。一方、パフォーミングアーツにおいては、カテゴリーの性質上、パフォーマーには注目が集まりやすく機会も増えているが、劇作家や振付家を育成する制度はまだ日本では整っていない。

②障害者による作品の普及・啓発
障害のある人による作品の流通により仕事を生み出す目的で活動するエイブルアート・カンパニーなどの活動はここに当てはまるだろう。彼らの作品を使ったグッズなどの商品を目にする機会も増えている。パフォーミングアーツは、上演における制限や活動の細分化などもあり、普及の段階に至っている作品はまだほとんどない。

③障害者の芸術活動への参加支援
各施設や事業所、NPO団体で行なわれている表現活動である。療養としてだけでなく、障害当事者がその人らしく社会参加する方法のひとつとして芸術が取り入れられている。その人の自発的な創作を重視するため、展示や発表を必ずしも目的としていない活動も多い。

④コミュニティアートの延長としての活動
アーティストが障害のある人とワークショップなどの交流を行い、作品やパフォーマンスなどを制作するもの。アーツカウンシル東京の文化プログラム「TURN」や近藤良平とハンドルズによるダンス公演など、行政主導の活動としても増加している。健常者側からのアプローチとして③と区別した。

⑤障害者との交流を通した芸術鑑賞の多様化
いわゆる一般の美術館や文化施設で最近目にする機会の多い活動だろう。詳しくは次にまとめるが、障害当事者と健常者が共に作品を鑑賞することで(必ずしも芸術についてだけではない)視点や感覚を交換、共有するものだ。わたし自身もここに携わっていると考えている。


⑤の活動を具体的に挙げると、主なものとしては「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」「ミュージアム・アクセス・ビュー」、エイブル・アート・ジャパンによる「美術と手話プロジェクト」がある。また、庭園美術館が継続的に行なう「五感と想像力で歩く建築ツアー」は、障害に特化しているわけではないが、さまざまな障害当事者も参加するインクルーシブなプログラムだ。関西を拠点とする「ミュージアム・アクセス・ビュー」以外の活動には参加してきたが、美術業界ではまだワークショップという枠組みでの活動がほとんどだ(パフォーミングアーツにおいてはそのような試みも非常に少ない)。そんななか、国立民族博物館の広瀬浩二郎氏による「触ること」を核としたユニバーサル・ミュージアムの研究から派生した「つなぐ×つかむ×つかむ 無視覚流鑑賞の極意」(兵庫県立美術館、2016)は、鑑賞者は目隠しをして展示室に入り、中途失明者である広瀬氏本人が展示物を触って認識するプロセスを話す「触るための音声解説」を聞きながら作品を触るという、独特の鑑賞方法をとった展覧会だった。また、昨年「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」が劇団ままごとのメンバーと一緒につくった「きくたびプロジェクト」では、横浜美術館の中で個人のスマートフォンや貸し出される機器を使って音声ガイド(プロジェクトでは“音声作品”と呼んでいる)を楽しむスタイルがとられていた。


「五感と想像力で歩く建築ツアー」東京都庭園美術館(2018年3月22日、4月25日、5月26日)

左:「美術の中のかたち―手で見る造形 つなぐ×つつむ×つかむ:無視覚流鑑賞の極意」展(2016年7月2日〜11月6日) 会場入口 右:同展 関連イベント「触る感動、動く触感――触角人間になろう!」で、触る前のウォーミングアップをする参加者と広瀬浩二郎氏
[写真提供:兵庫県立美術館]

この「音声ガイド」という言葉は、非常に紛らわしい。障害にまったく関わっていない人が最初に思い浮かべるのは、美術館で貸し出されている音声ガイドだろう。1990年代に日本に登場した音声ガイドは、2002年頃から著名人がナレーターを務めることが増え★1、ときに著名人が作家に扮してナビゲートしたり、一緒に鑑賞しているような気持ちにさせたりなど、展覧会のマーケティングコンテンツとして力を入れて開発されている。展覧会によっては入場者の3〜4割が利用するものもあるという。しかしそれらの音声ガイドに含まれるのは、展覧会では伝えきれない作家の人生や時代背景などで、各作品を視覚的に見ることができることを前提としている。つまり、見えない/見えづらい人への「情報保障」という配慮はされていない。

情報保障と鑑賞体験


情報保障とは、「身体的なハンディキャップにより情報を収集することができない者に対し、代替手段を用いて情報を提供すること」とされている。障害補償と情報保障は混同されがちだが、例えば補聴器で聴力を補ったり手話を身につけたり、当事者が自分の障害を改善するのは障害補償、音声での発表の際に手話通訳を用意したりするのが情報保障で、両方は併走するものだ。定義に「代替手段を用いて」とあるように、視覚であれ聴覚であれ、情報をある知覚機能が異なる相手が受け取れるように言語手段(モード)を「置き換える」ということ。置き換えるということは、情報を要約し、抽出し、記号化する作業が伴う。健常者は当たり前すぎて気づかないが、人間がそれぞれの知覚で受け取る情報の量は膨大だ。例えば映像のなかに見えているものすべてを音声ガイドで説明するとしたら、実際の映像の尺よりも大幅に遅れてしまい健常者と同じように物語を楽しめなくなるし、聞こえている音をすべて字幕にするとしたら、画面は文字で埋まり、映像は見えなくなってしまうだろう。大多数の人々が知覚を複合的に使って捉えているものをひとつの言語手段で忠実に置き換えることは難しく思える。それでも、ある状況に置かれた対象のことを伝えるのに必要な要素を見極め、言語を突き詰めれば、モードを絞っても共有されるのだ。こんな話をすると、ジョセフ・コスースの《1つおよび3つの椅子》(1965)を思い浮かべる人もいるかもしれない。


例えばコスースの作品を(生まれつき)見えない人に伝えることを想像してみよう。「展示物が3つ横に並んでいます。真ん中に、木製の椅子が一脚置いてあります。その左側に、その椅子を実寸で撮影した白黒写真が貼られています。右側には、辞書に載っている椅子の定義を文字で打って紙に印刷したものが貼られています」見える人は自然にメディウムを横断する椅子という概念に気づく。しかし、メディウムを視覚的に見た記憶がなく、触ることもできなければ、音声言語というひとつのモードに置き換えられた途端、たちまちどれも「(これまで座ったことのある)一般的な椅子」として思い浮かべられるだろう。そしてこう聞かれるかもしれない、「それの何が作品なんですか?」と。つまり、あの作品がいくら概念を扱っているとは言え、オブジェクトの視覚的鑑賞を前提としていることに気づかされる。

また、「視覚障害者」といっても、どのように“イメージ”を頭のなかに思い描くかはそれぞれ異なる。昨年からわたしが企画している『音で観るダンスのワークインプログレス』(KAAT神奈川芸術劇場)は、3種類の音声ガイドをFMラジオで選びながらダンスを観るという試みである。そのうちひとつはダンサー自身の目線から、もうひとつは観客目線のガイドとして作成した。ダンサー自身によるガイドは、一つひとつの動きの背後にある心情や体に伝わる揺れなどの触感で主に構成されていた。一方、観客目線のガイドは、ダンスを客観的に見て、ダンサーの体の動きをできる限り忠実に説明するものだった。上演後、(視覚の記憶がある)中途失明者からは、動きが想像しやすいという理由で後者(観客目線のガイド)の必要性を強く訴えられた。一方、生まれつきの(視覚の記憶がない)全盲者にはそういった傾向は見られなかった。それは、頭のなかでの“イメージ”の結び方が視覚に基づいているかどうかが大きく影響しているのではないかと思う。


『音で観るダンスのワークインプログレス』研究会の様子 KAAT神奈川芸術劇場 [撮影:西野正将]

では、視覚と切り離せない美術における情報保障は、どのように可能なのだろうか。それには、「美術は誰のためのものなのか」という問いもつきまとう。作品が作家の意図を離れて自由に解釈されることをどれくらい許容できるかというのは、世代やジャンル、作家や学芸員のスタンスでも大きく異なってくるだろう。例えば先ほどのコスースの作品は、時代背景などを丁寧に解説していけば、あの作品を作品足らしめているコンセプトを見えない人も理解することは可能だと思う。しかし、それは本当に視覚のある人が鑑賞するのと同じようにあの作品を「鑑賞」したことになるのだろうか。情報を受け取っただけではないだろうか。そこでは、情報は保障されたとしても、鑑賞は保障されていないのではないか。

情報保障の場から生まれる創造性


先に触れたように、障害当事者との芸術鑑賞はワークショップに基づいたものが多い。それはやはり、健常者と障害当事者という言語手段(モード)の異なる人たちが同じ場に居合わせることで、素朴な言葉の交換を通して互いの“イメージ”のズレを認識し、そのズレの共有がより創造的な鑑賞の場を生み出すためだろう。横尾忠則の《Y字路》を見て「不穏な感じがする」と言うと、見えない人から「なぜそう感じるんですか? ただのY字路じゃないんですか?」と、見えていたら暗黙のうちに共有するであろうことを尋ねられる。そしてその感覚を見えない人にどう伝えられるか、見える人は言葉を重ねていく。そうしているうちに、その不穏さを理解した見えない人から「実はこの路地にはこんな人が住んでるのかもしれない」といった空想や物語が生まれたりする。それは視覚の有無を超えた、他者との協働による鑑賞の醍醐味だ。


一方、当事者がその場にいない、音声ガイドなどのメディアを介した鑑賞ツールの場合、手法は異なってくるだろう。つい数日前、プロデューサーとして関わっている生まれつき目が見えない人が映画をつくるプロセスを描いたドキュメンタリー映画『ナイトクルージング』の音声ガイドを書き終えた。その過程で改めて感じたのは、「映画」というメディアにおいて音声ガイドをつくることの特性だった。つまり、同時性を物理的に共有しないからこそ、鑑賞のなかで同時性を感じさせることが一層重要ということだ。映画の音声ガイドで大切なことのひとつに、「(見えない人が)見える人と同じ場を同じタイミングで共有できること」がある。つまり、笑いを誘う出来事が起こったタイミングでその状況を音声ガイドで説明してしまうと、見えない人は少し遅れて説明を聞くことになる。そうでなく、少し前に説明しておくことで、笑うことを見える人と同時に共有できる(笑うかどうかは個人の自由として)。これは、音声を情報としてではなく、いかに触覚的にその場にいる“イメージ”を浮かび上がらせるものにするかだと、わたしは理解している。

先に紹介した「きくたびプロジェクト」の15ある音声作品には、普段彼らが行なっているワークショップのように、見える人と見えない人の鑑賞を再現したものだけでなく、シュールレアリスムのアーティストたちの関係性をコミカルに再現したドラマや、「シュールしりとり」というシュールに聞こえる言葉を使ったしりとりといったものもある。それら一つひとつには、パフォーミングアーツで培われてきた即興性や見立て、想像力を引き出す手法が、作品先行になりがちな美術の世界に持ち込まれており、興味深い示唆がある。それはつまり、作品鑑賞でありながら、鑑賞者の頭のなかで触覚的な“イメージ”を立ち上げる上演のようでもあるのだ。


「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップの様子」 東京都写真美術館 [撮影:中島佑輔]

ワークショップにはどうしても物理的、時間的制約があることを考えると、音声ガイドによる情報保障は今後ますます研究や開発がなされるべきものだと思う。もちろん最低限の情報保障すらないことが多い現状ではまずそこから始める必要はあるが、情報を得ることと鑑賞という体験は美術においては必ずしも一致しないのではないかとわたしは考える。その問題について考えることは、障害の問題を超えて、鑑賞とは何かということに向き合うことにつながるだろう。そして、ひとつの可能性として、場を同時に共有するための「上演」という考え方は、ヒントになるのではないだろうか。一方、例えば「きくたびプロジェクト」の音声作品は、ひとつが6-7分から、長いと22分に及ぶものもある。上演と捉えると驚く長さではないが、従来の音声ガイドによる美術鑑賞を期待した客層にとっては、非常に長く感じただろう。つまり、音声ガイドはこれまで美術を鑑賞してきた態度によって規定されるし、今後各所で開発が進めば、美術鑑賞の態度を変える可能性も持っているのではないかとわたしは考えている。


音で観るダンスのワークインプログレス ウェブサイト:http://otodemiru.net/
6月3日(日)に「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」メンバーとのトークを開催予定。


★1──著名人のナレーション、スマホとの連携も!? 進化する音声ガイド(日経トレンディネット 2012年4月3日)http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20120326/1040206/?rt=nocnt

音で観るダンスのワークインプログレス セッション1:耳で観ること、目で聴くこと

会期:2018年5月27日(日)13:00〜16:00
出演:平塚千穂子(バリアフリー映画鑑賞団体シティライツ代表) 牧原依里(映画監督『東京ろう映画祭』ディレクター)、岡野宏治(『音で観るダンスのワークインプログレス』2017年度研究会モニター)
会場:KAAT神奈川芸術劇場
神奈川県横浜市中区山下町281/Tel. 045-633-6500
問い合わせ先:KAAT神奈川芸術劇場
参加方法:メールにて受付
申し込みは1通につき1名まで。介助者有の場合はご本人+介助者計2名まで。 oubo(at)kanagawa-af.orgに件名を「音声ガイドセッション申し込み」として、1.氏名(フリガナ) 2. メールアドレス 3. 電話番号(携帯番号でも可) 4. 住所(市区町村まで)5. 介助者の同伴の有無を記入の上、お送りください。
*定員になり次第、締切


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