キュレーターズノート

途切れない創作意欲──熊本市現代美術館「蜷川実花展 虚構と現実の間に」/「アートパレード・パレード」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2018年07月15日号

写真家・蜷川実花による過去最大規模の回顧展と、市井の人々によるアマチュア美術の祭典。熊本市現代美術館で同時開催されている対照的な二つの展覧会に通底するものとは何だろうか。同館学芸員の坂本顕子による現場からのレポートをお伝えする。

「蜷川実花展 虚構と現実の間に」

過去最大級の個展

熊本市現代美術館では、「蜷川実花展 虚構と現実の間に」が先日オープンした。同展は、出品点数約500点という、蜷川にとって過去最大級の個展であり、当館を皮切りに全国の美術館を多数巡回する。

会場内は、蜷川が一番好きだという満開の「桜」で始まり、自身を代表する「永遠の花」、父・蜷川幸雄の死と向き合う日々を撮った「うつくしい日々」、目黒川の川面に散る桜の花びらを追った「PLANT A TREE」、写真家としての原点であるモノクロの「Self-image」、花街に生きる芸妓舞妓を撮った「trans-kyoto」、圧巻の著名人約200人の肖像「Portraits of the Time」、近年の映像作品を集めた「Theater」、そして展覧会タイトルにもなった「INTO FICTION/REALITY」という構成である。来場者は思い思いに撮影可能な作品の前で記念写真を撮り、SNSにアップして展示を楽しんでいる。

会場入口の「桜」と蜷川実花

被写体との信頼を築くこと

オープン初日には、蜷川本人によるアーティスト・トークが行なわれた。10代から60代を超える方まで、参加する160人の9割が女性という壮大な“女子会”は賑わいを見せ、事前に受け付けた質問のうち、約20問に答えるかたちでトークが実施された。質問の内容は、蜷川独特の色彩や創作意欲、インスピレーションなどの写真制作に関わるもの、そして、映像・映画に関わるもの、また幼少時や父親の思い出に加えて大きな位置を占めたのが、蜷川自身の「生き方」に関わるものであった。

「迷いや悩みはあるか」「どうしたら全力で突き進めるか」「保守的な自分を変えるには」「苦手を克服するには」「子育てと仕事の両立について」などのいわば“人生相談”ないし“生き方指南”が、若い人だけでなく、蜷川よりはるかに年配の女性からも寄せられていた。この手の質問は、一般的なアーティストのトークではあまり類を見ないが、子育てをしながら表現者として疾走し続ける蜷川は、年齢を問わず、女性たちの憧れのロールモデルとなっている。それらの質問に、ソフトな語り口で、ときに失敗談を交えながら、「前進し、ベストを尽くす」「きちっと働くことが基本」「自由を獲得するために、勇気を持ってやる」「努力を惜しまない」と、一つひとつ誠実に答えていく姿に、感銘を受けた参加者も多かったようだ。

そのなかでもっとも印象的だったのが、被写体となった方から「優しく励ましてくれる、婦人科の先生みたい」と蜷川が言われたというエピソードである。確かに、婦人科診療では、限られた時間のなかでナイーブな悩みを患者が医師に開示する必要があるため、互いの信頼やリスペクトが不可欠だ。蜷川が担当する『AERA』の表紙の撮影時間も正味5分程度だというが、そのきわめて短時間のうちに被写体との信頼を築くことが、写真家の重要な技量であることは間違いない。

蜷川は撮影の際、被写体に「イメージを押しつけない」「追いつめて撮らない」「撮ってよかったという圧倒的な肯定感をもって撮影を終える」「柔らかい気持ちで包んであげる」ことを心がけているという。それは、仕事であるとはいえ、自分の意志とは無関係に、ときにセクシャルなイメージを求められ、その固定化した視線のなかで生きることを余儀なくされる被写体にとって、どれだけ救いになることだろうかと思う。

《earthly flowers, heavenly colors》(2017) ©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

かつての“女の子”の現在

荒木経惟展(2008)、篠山紀信展(2012)、川内倫子展(2016)に続き、蜷川実花という時代を代表する写真家の大規模回顧展を、今回、当館で実施できたことは感慨深い。すべてを世代論で語るわけではないが、奇しくも荒木と篠山は同い年(1940年生まれ)、蜷川と川内も同い年である(1972年生まれ)。荒木と篠山が、昭和から平成を代表する日本の現代写真の二つの頂点であることに間違いはなく、二人がそれぞれ長年審査員を務めた写真新世紀、木村伊兵衛写真賞での受賞をきっかけに、彼らの「娘」というべき世代の蜷川と川内がガーリー・フォトグラファーとして頭角を現したことは興味深いことである。

この平成が終わり、新たな時代を迎える潮目のときに、かつての“女の子”は、成熟した女性へと成長し、その逞しく美しい翼で世界に大きく羽ばたいている。写真家として、ひとりの人間として、自分の生を謳歌していく苦しみと歓び、そして、優しさとプライドが、蜷川の写真には溢れ出ている。私は私、という意思を持って人生を歩んでいく現代の女性たちの先頭に、いつも蜷川実花はいる。

蜷川実花展 虚構と現実の間に

会期:2018年6月30日(土)~9月9日(日)
会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅠ・Ⅱ(熊本県熊本市中央区上通町2-3)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/ninagawamika/

学芸員レポート

「アートパレード・パレード」

蜷川実花展で賑わいを見せる脇のギャラリーⅢ・井手宣通記念ギャラリーでは、「アートパレード・パレード」展が同時開催中である。熊本アートパレードとは、熊本市が主催する、今年で30回目を迎える公募型の市民美術展で、2003年以降は熊本市現代美術館がその運営を担っている。都道府県単位では、いわゆる「県展」などと呼ばれる、地方の美術協会や自治体などが主催し、古いものでは戦前から続く地方公募展が多数ある。おおむねこれらは、出品料を取り、日本画、洋画、彫刻、工芸、書、写真、デザインなどの分野ごとに審査が行なわれるが、このアートパレードが対照的なのは、出品料が無料であることと、平面、立体、映像、書などの最小限にとどめた出品ジャンルをすべて、美術家に限らず、小説家、写真家、ギャラリストなど、毎年異なる審査員1名が審査することだ

いわゆるアマチュア美術の祭典であるが、開館以来、十数年審査に立ち会うなかで、さまざまなドラマにめぐり合ってきた。毎年欠かさず出品を続けてきたが、2016年の震災後、出品が途絶えていた80代の元美術教師の方がいる。地元紙の被災ルポの記事をきっかけに、ご自宅に問い合わせてみると、すでに故人となられていた。ほのぼのとした明るい画面に、戦争体験をそっと溶け込ませる作風で、アトリエを訪ねると、毎年のアートパレードのテーマと審査員、出品作品のタイトルを几帳面な文字でびっしりと記したメモが残されていた。結果的に最後の出品となった作品は、搬入日の前夜に、入院先の病室で急に起き上がって、キャンバスにマジックで描いて仕上げたものだったという。

過去の出品作品のなかから特に印象深いものを紹介する本展では、過去に多数入賞した方14名を選定したが、美大などで研鑽を積み描き続ける画家などがいる一方で、「画廊喫茶」という独特のスタイルで50年以上営業する老舗カフェのママや、家事や子育ての合間にiPhoneで撮影したミュージックビデオを制作する宅録主婦、病気や過労でドロップアウトしながらも絵を描き続ける方、地方の祭礼を徹底的に記録し、Youtubeに500本以上の番組を投稿する元県庁マン、ご当地にちなんだかぶり物をオリジナルで制作し、大小150以上のマラソンに出走した仮装ランナーなど、個性豊かな出品者が揃っている。

蜷川美花展の華麗さとはひと味も二味も違うが、ひとつだけ共通するものがあるとすれば、仕事や子育てなどをしつつも、頭のなかは常に次にやりたいことでいっぱいの、途切れない創作意欲である。アーティストたちはいつもやりたいことを、前につんのめりながら、やり続けて生きている。そんな生への欲望を、ときにうらやましく思うし、人間らしく生きるために、私たちにはやはりアートが必要なのだな、とあらためて思うのは、有名無名を問わず、その途方もない熱量を持って表現する人たちに出会ったときである。



★──これまで、日比野克彦、中島千波、大津英敏、荒木経惟、菊畑茂久馬、会田誠、野田哲也、小山登美夫、鶴田一郎、山口晃、原田マハ、三潴末雄、八谷和彦、ヤノベケンジ、山本太郎の各氏に審査をお願いした。次回(2018年度)第30回の審査員は、都築響一(編集者、ジャーナリスト、写真家)氏で、テーマは「かっこわるいからかっこいい」。応募受付は2019年3月13日と14日。展示会期は3月20日~3月31日である。


G3-Vol.123 熊本アートパレード名品展
アートパレード・パレード

会期:2018年6月13日(水)~8月12日(日)
会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅢ・井手宣通記念ギャラリー(熊本県熊本市中央区上通町2-3)

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