2018年10月15日号
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キュレーターズノート

水と土をめぐる自然と人の営み──水と土の芸術祭2018

正路佐知子(福岡市美術館)

2018年08月01日号

この夏、初めて「水と土の芸術祭」を訪れた。新潟市で2009年、2012年、2015年と過去3度開催され、今回が4回目となる。「水と土」という芸術祭の名称は、日本海に面した港町、信濃川と阿賀野川に育てられた田園地帯を有する新潟市の地理的特徴による。初回に設定された基本理念「私たちはどこから来て、どこへ行くのか~新潟の水と土から、過去と現在(いま)を見つめ、未来を考える~」とともにこれまで、水と土とどう向かい合えるかをアーティストや市民と考え、実践してきた。この基本理念をもとに、谷新を総合ディレクターに迎えた今回は「メガ・ブリッジ─つなぐ新潟、日本に世界に─」という新たなコンセプトが設けられている。緑や食といった恵みをもたらし、同時に今夏思い知らされたように大きな脅威であり、長い歴史の中で人々が共存しようと苦闘してきた自然。あるいは、土地と土地を隔て、つなぐ海。会場ごとに「四元素」「環日本海」「ボーダー」「交流」といったテーマが与えられ、水と土をめぐる自然と人の営みに焦点を当てている。

福岡からの距離、公共交通機関では周ることが困難な広域にわたる規模から、これまでなかなか足を運ぶことができなかったが、今回重い腰を上げたのは、公共交通機関を用いて周れるコンパクトな展示になっているという前情報に加え、出品作家のなかに大西康明と山内光枝がいたことが大きい。二人は、2014年に福岡市美術館で開催したグループ展「想像しなおし」の出品作家であり、わたしは展覧会後もその活動を追い続けてきたが、異なるテーマのもとで作家が再び集う機会はそうあるものではない。本稿では大西と山内の出品作を中心に、「水と土の芸術祭2018」の一部を紹介したい。

水にも土にも還ることのない素材とともに

「水と土の芸術祭」メイン会場

大西康明が作品を展示しているのは、メイン会場の万代島多目的広場、通称「大かま」(大かまぼこに由来)である。2012年の水と土の芸術祭で会場として使用されていた万代島旧水揚場が整備され、数カ月前に多目的スペースとして再生した。水産物の荷捌や競りが行なわれていた気配やその痕跡が残る空間に、芸術祭メイン会場ならではの大型のインスタレーションが並ぶ。総合ディレクターによれば、本会場のテーマは、地水火風の「四元素」に設定されているとのこと。会場を見渡すと、各作家にそれぞれの元素が割り当てられているようにも感じられる。

大阪を拠点に、彫刻概念を問い直す作品を国内外で発表してきた大西は、これまでポリエチレンシートや接着剤を素材に、単純な行為を繰り返し、燃焼、重力、結晶化といった自らコントロール不可能な現象を発生させ、繊細かつ圧倒的な造形/風景を現出させてきた。その形は、目には見えない空気をかたどるようなものでもある。今回、大西は日本初発表となる新シリーズを出品している。ポリエチレンシートに熱を当て収縮させるという単純作業(本作でポリエチレンシートを約1000m使用しているという)を延々繰り返すことで、シート全面には、作家いわく「地表のような、恐竜の肌のような」厚みさえ感じさせる表情が与えられている。半透明のシートは、天井から吊り下げられ、出入口が開け放たれた会場で始終風をはらみ、揺れる。薄く軽いこの素材を用いながら観る者にさまざまな風景を想起させてきた過去作と同様、本作も軽やかな素材が、雪山、雲、滝のような雄大なイメージをもたらす驚きとともに観る者を包み込む。現象を生じさせ素材の形を変えるという制作方法は、過去作《vertical volume》の系譜にあるとも言えるが、風をはらみ揺れ、膨らみ形を自在に変える本作は、いま、ここの空気とともにある彫刻、とも言えるかもしれない。

大西康明《untitled》展示風景[撮影:Nakamura Osamu]

大西康明《untitled》展示風景[提供:作家]

初日に行なわれたアーティストトークで大西は、「水と土」というテーマを与えられたとき、自身が使うポリエチレンシートという素材が水にも土にも還ることのない工業製品であることに自覚的にならざるをえなかったと語った。少々ナイーブにも思える大西のこの発言はしかし、人と自然の関係性すなわち人の生活、営みを抜きに「水と土」を考えることはできないという本芸術祭の出発点に引き戻してくれたようにも思われた。というのもこの会場に設けられている「四元素」という観念的なテーマが、アートを詩的な読解のみへと狭めてしまうようにも感じられたからだ。同じ観点から、大西の作品のほかに、水揚場の特徴といえる傾きのある展示空間を巧みに利用し、新潟の記憶を経由しながら、今夏の豪雨災害にまで想像を及ばせる岩崎貴宏の《untitled》、この土地の歴史と人の営みを見つめ取材を重ねたナウィン・ラワンチャイクンの絵画と映像《四季の便り》が印象に残った。

岩崎貴宏《untitled》展示風景

ボーダーを超える

メイン会場から離れた場所に位置する天寿園では、折元立身、潘逸舟、山内光枝の3名の作品に出合える。芸術祭アート・ディレクターの塩田純一はこの会場でのテーマを「ボーダーを超える」ことだと述べているが、折元の作品が起点にあったのではないかと思われる。出品作《Step in》は折元が1980〜86年に世界を旅し、文字通り各所に足を踏み入れたイベントを記録した写真作品で、今回はそのとき履いていた靴も同会場に展示されている。《Step in》にはスリランカ、中国、香港などアジアで撮られたものもあるのだが、会場となった天寿園内「瞑想館」の構造にあわせてだろうか、ニューヨーク、パリ、ローマ、ロンドン、アムステルダムの5都市で撮られた写真が選ばれていた。出品作が欧米に偏ってしまったことを少々残念に感じつつも、自身が立つ場所で一歩踏み出したり何かを乗り越えようとする足先が、社会とわたしの関係やその先を暗示する本作は、力強い。「四元素」というテーマを掲げたメイン会場と比して、天寿園では作家自身の行為・実践と社会の関係に焦点が当てられており、広大な自然のなかで行為をしつづける自身の姿を淡々と追う潘逸舟の映像作品も、あえて特徴を排した風景と交渉する身体のありようから、自然と人間の関係性だけでなく、地政学的な意味での国家間の関係性、情勢をも示唆するものに思われる。また、映像インスタレーション《循環 海から捕獲された涙》と、漢字が刻まれた石の上を歩く《痛みを伴う散歩》は、観る者を傍観者の立場ではなくそのただ中で感じ考えることを求めるものであった。

折元立身《Step in》展示風景

潘逸舟《循環 海から捕獲された涙》展示風景

福岡市を拠点に活動する山内光枝は、60〜70年前の海女の姿をとらえた1枚の写真との出会いから、日本海沿岸の海女文化の発祥地でもある福岡の鐘崎を出発点に、対馬、済州島、釜山、フィリピン・ミンダナオ島など各地をフィールドワークし、海に生きる人々の営みに焦点を当てた作品を制作してきた。今回は天寿園内の茶室と茶寮に、約60分の映像作品《海胎(うなばら)》とインスタレーション《みつち・みずち》を発表している。どちらも新潟市西蒲区にある日本海に面した間瀬地区、および領海問題の前線ともいえる韓国・鬱陵島に通うなかで生まれた新作である。

《みつち・みずち》はドローイングによるインスタレーション。茶室の躙口より腰をかがめ部屋に入り横たわると、天井には波のような、「みつち」「みずち」と呼ばれてきた水神、大蛇の姿のような、宇宙にも思える青黒い渦が巻いている。床にとぐろ状に敷き詰められた砂袋を背に感じながら、古来の人々の水に対する信仰と山内がとらえた新潟の海が重なり、静かに迫る。

茶室に隣あう茶寮では大画面の映像作品が流れる。鬱陵島に向かうフェリーの窓から見た港に始まり、海女への取材を拒否される道程、漁港での仕分け作業、海士とともに海に向かい共に素潜り漁をする様子、間瀬の大巳貴神社での祭事、漁師たちとともに同行する漁へのまなざし。山内の足取りを時系列にたどる《海胎》は、途中、海中を映す画面が不規則に揺れ(しかしこれも撮影する山内が足を取られ溺れながら記録されたものだ)、象徴的な風景と言葉が挟まれるほかは、彼女が出会った人、交わした会話、人々の日常が淡々と映し出されるドキュメンタリー的な手法が取られている。その生活の雑音や日常的な営みのなかに、国家間の緊張感や漁業が直面する問題が時折顔を出し、どきりとさせる。加えて山内の姿や声があちこちに入り込み、映像を撮るまでに作家が各地域の人々との関係を築いた時間を想像させた。

山内光枝《みつち・みずち》展示風景

山内光枝《海胎》ビデオスチール[提供:作家]

水と土の芸術祭2018

会期:2018年7月14日(土)~10月8日(月・祝)
会場:万代島多目的広場(メイン会場)、ゆいぽーと 新潟市芸術創造村・国際青少年センター(サテライト会場)、NSG美術館、砂丘館、天寿園ほか、新潟県新潟市内全域
公式サイト:http://2018.mizu-tsuchi.jp/

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