2018年11月15日号
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キュレーターズノート

時空を超えた詩的な広がり──金沢21世紀美術館「邱志杰(チウ・ジージエ) 書くことに生きる」展

鷲田めるろ(キュレーター)

2018年10月01日号

邱志杰(チウ・ジージエ)の個展が金沢21世紀美術館で始まった。私が邱のことを知ったのは、2015年に金沢21世紀美術館で開催したグループ展「誰が世界を翻訳するのか」展であった。2011年に国立国際美術館で開催された「風穴」展にも出品されているが、私はこの展覧会を見ていない。2015年に金沢で出品されたのは平面作品で、その中に含まれている様々な意味を読み解くところまで至らなかった。


「邱注上元灯彩計画」展、北京民生現代美術館、2018年、展示風景(筆者撮影、以下3点も同じ)

ところが、今年4月、北京のギャラリー街798エリアにある民生美術館で彼の大きな個展を見て、一気に引き込まれた。この展覧会は、明時代の風俗画「上元灯彩図」に着想を得た作品群の全貌を見せるものであった。今回の金沢の個展でもその一部を見ることができる。「上元灯彩図」は手元で見て細かく描かれた街の様子を楽しむような小さな巻物だが、邱はまず、これを壁面に掛ける大きな絵画として拡大模写している。そして、その中に現れる様々な道具に着目し、それを邱独特の方法で現代風にアレンジを加えて立体で制作している。からくり人形のような、動きと素朴さ、ユーモアが魅力だ。


《上元灯彩図との出会い》(北京民生現代美術館にて)


「邱志傑の解釈による上元灯彩図」より《宦官》(北京民生現代美術館にて)


「邱志傑の解釈による上元灯彩図」より《宦官》(北京民生現代美術館にて)

「書くことに生きる」と題された金沢21世紀美術館の個展は、「書」が全体を貫くモチーフとなっている。その中で私が最も惹かれたのは、2つ目の展示室に集められた長江大橋に関連する作品群である。長江大橋をモチーフに描いた《チウ・ジャワへの30通の手紙》を中心に、写真、映像、机の上の書道、床に置かれた秤の上のノートの山などが展示されているが、一見、バラバラである。しかし、よく読み解いてゆくと、いろいろな繋がりが見えてくる。

1968年、南京の長江に巨大な橋がかけられた。上が車道、下が鉄道の2層式の橋で、この長江大橋の開通によって、北京と上海がスムーズに結びつくことになった。それまで中国はソ連の技術的指導を受けながら土木事業を行なってきたが、両国の関係悪化により、中国独自で完成させたのがこの橋である。その点で国家プロジェクトとして象徴的な意味を持っていた。ところがこの橋は自殺の名所としても知られることになった。これまで2,000人以上もの自殺者がいるという。この展示室にある2点の写真は、この橋の欄干に血で書かれた文字である。上の写真は、おそらく自殺者が最後に書いたものだ。かなわぬ恋について詩のように書きつけている。一方、下の写真は、邱が書いたものである。上の写真にある文字を水をかけて拭き取り、同じ位置に、邱が自分の指をカッターで切って「マダカスカルの首都はどこだ?」と書いた。思いつめた元の詩に対して、ばかばかしいまでに唐突な質問である。邱は、こうした質問を投げかけることで、周囲が見えなくなって自殺へと向かう人に対し、その自己陶酔的な面も否めない物語を脱臼させることで、自殺を思いとどまらせようとする。


左から:《チウ・ジャワへの30通の手紙 目の前を過ぎる雲のように儚いものでもあるが、万物でもあった》2009、紙、インク 作家蔵 《チウ・ジャワへの30 通の手紙 九死に一生を得ていた》2009、紙、インク 作家蔵 《チウ・ジャワへの30 通の手紙 一つのリンゴに何本の木があるか数えよ》2009、紙、インク 作家蔵 (提供:金沢21世紀美術館)

同じ《マダカスカルの首都はどこだ?》というタイトルの平面作品は、「誰が世界を翻訳するのか」展にも出品されていた。その後金沢21世紀美術館のコレクションとなったこの作品は、エンボスをかけて立体化した赤い紙がこの作品の支持体になっているが、赤い色とエンボスの形状は、長江大橋の両端にある三紅旗のモニュメントに由来する。橋にあるのは、布でできた旗自体ではなく、旗を象った立体的なモニュメントである。こうした二重性への着目に、邱らしさを感じ取ることができる。ただ、このような長江大橋に関連するいくつもの要素は、平面作品単体だと分かりにくく、2015年のグループ展では実は私もとらえきれていなかった。今回の個展のように、長江大橋に関する複数の作品が組み合わさることで少しずつ読み解くことができた。

同じ展示室の中央には机が置かれ、その上に、朱色で「想一想死不得」という文字の輪郭が刷られた手本が何枚も広げられている。これは「もう一度考えよ、死んではならない」という意味で、20世紀前半の中国の教育家であり詩人でもあった陶行知の書である。南京の北東にある長江に突き出た崖に建てられた碑に刻まれている。この場所は、かつて自殺者が多かった。そのことを知った陶は、木の板にこの言葉を書きつけ、自殺を思いとどまらせようとしたのだという。現在の石碑は失われた木の代わりに建てられたものである。この言葉は、人の生死を左右するような真摯な呼びかけではあるが、肉親や親しい友人に向けて書かれたものではない。会ったこともない、現れるかもわからない未来の自殺者に向けて書かれたものだ。文字はそもそも、見ず知らずの人の間でも交わされうるコミュニケーションの手段だが、それが、「木片」に書かれて、あるいは「碑」として刻まれて、公共の場所に置かれることで、この側面が強調される。邱が《マダカスカルの首都はどこだ?》の平面作品で、橋のモニュメントに着目したように、ここでも「書」をモニュメントや公共彫刻につなげて考えているように感じられる。

朱色の手本のうち1枚は途中まで黒い墨でなぞられている。陶は邱が生まれるずっと前に亡くなった、会ったこともない先人だ。言葉を使って積極的に自殺を止めようとした先人の行為を、文字をなぞるということによって倣おうとしているように見える。そして、ここでもまた興味深いのは、先人の書いた文字を横において直接真似るのではなく、間に何重にもコピーが介在していることである。すなわち、元の木片の上に墨で書かれた文字、それを石碑に彫り込んで置き換えた碑、それを写し取った拓本、そこから起こした朱の木版画の版木と朱で刷ったもの、と何度もネガポジや左右を反転させながら複写されている。邱がわざわざ版木を机の上に並べておいていることや、《マダカスカルの首都はどこだ?》の平面作品のようにエディションやシリーズで展開する作品も多く作っていることと考え合わせると、複写という点で邱が書を版画やコピーという他の美術の技法とつなげてとらえていることが感じられる。

長江大橋のプロジェクトが、今回の企画展のテーマである「書」の中に置かれることによって、様々な意味を含み込んだ《もう一度考えよ、死んではならない》や《マダカスカルの首都はどこだ?》といった作品の中で、文字の側面が強調されて浮かび上がっていた。そしてそれを通じて、逆に「書」というテーマの解釈も豊かになっていた。

個々の作品に関する説明はこの2つにとどめるが、展覧会では、他にも国境をモチーフにした観客参加型のインスタレーションや、空想的な地図と文字を重ね合わせた作品などもあった。全体として、中国、東洋の長い伝統文化に対峙しながら作品を作っていること、社会をリサーチしてそれを表現するだけではなく、想像力をもって跳躍するものを含んでいること、そして社会に対してアクションを起こすものであることが感じられた。時空を超えた詩的な広がりのある展覧会だった。もっと広い展示空間で見てみたいとも思った。


邱志杰(チウ・ジージエ) 書くことに生きる

会期:2018年9月8日(土)〜2019年3月3日(日)
会場:金沢21世紀美術館(石川県金沢市広坂1-2-1)

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