2018年12月01日号
次回12月17日更新予定

キュレーターズノート

交差するアイデンティティと「障害者アート」

田中みゆき(キュレーター)

2018年12月01日号

アンリミテッド・フェスティバルは、ロンドンオリンピック・パラリンピック競技大会に向けた文化プログラムのひとつとして2009年から始まり、2012年のフェスティバルの成功を受けて助成の継続が決まり、2年に1度の開催を続けている。


ブリティッシュ・パラオーケストラ『The Nature of Why』 [photo: Paul Blakemore]

フェスティバルはパフォーミングアーツを中心に、ビジュアルアーツや音楽イベント、映画上映など、さまざまな分野を包括する。会場はサウスバンク・センターという劇場や美術館、コンサートホールが集まった、いわゆるメインストリームのアートシーンでも重要な拠点が使われている。テムズ川沿いに建つ敷地内には噴水やマーケットなど一般市民が自由に使えるスペースも多く、会期中はそういったスペースでくつろぐ市民と共に、普段なかなか見かけないほどの数の車椅子やあらゆる障害のある人たちが行き交う場所となっている。

今回は、2016年のフェスティバルから2回目の参加を経て感じた、イギリスの「障害者アート」の現在地を紹介したいと思う。

障害者による障害者のための障害者のフェスティバル


フェスティバルのもとになっているアンリミテッドは、障害のあるアーティストの作品をコミッションし、イギリスそして国際的により多くの観客に届けることを目的とするプログラムである。Shape ArtsArtsadminという2つの組織により運営されるアンリミテッドは、まさに“障害者による障害者のための障害者の”プログラムで、「disability-led(障害のある人がリードする)」という方針が徹底して貫かれている。プロデューサーのジョー・ヴェレントがろう者であるだけでなく、運営スタッフの最低でも50%以上が何らかの障害を持っており、プログラム内容を決定するパネルメンバーも同様の割合を守ることが名言されている。実際にアーティストやイベントのスピーカーも76%に障害があり、コミッションの公募も障害のある人がリーダーでないと応募することができない。

そうなると、何よりもまず障害のある人が参加するための「アクセス」に力が注がれるのは当然のことだ。例えば予約制だったシンポジウム参加者には、22ページに渡るAccess Statementという資料が予め送られた。そこには、チケットの買い方から会場へのさまざまな行き方、最寄駅や施設のバリアフリー情報、オンラインでの参加の仕方や情報保障の選択肢、会場内で当日実施されるイベント内容などあらゆる実用的な情報などが網羅されていたが、何よりもまず自分たちがどういった方針でアクセスを考えているかが名言されていたのが印象的だった。特に興味深かったのは、障害の社会モデル★1が言及されるなかで、「このイベントを可能な限りアクセシブルにするのは自分たちの責任である」と名言しながらも、「しかし同時に、あらゆる人に完全にアクセシブルな環境をつくることは不可能だとも認識している。ある人のアクセス要件が他の人のアクセス要件と矛盾することがあるし、予算の制約や既存の交通機関の限界もある」と認めている。そこで彼らが考えたのは、自分たちがアクセシビリティについて内容を決めていくプロセスを公開し、半年前から3段階に渡って情報をアップデートしていき、少しでも事前に参加者の要件を把握するとともに、議論する内容のレベルを上げようということだった。日本でもアクセシビリティに関するトークやワークショップは度々開かれるが、すべてのことに対応できないことへプレッシャーや苛立ち、諦めを感じている参加者の様子を目にすることがある。アンリミテッドの正直さと、できていないことも含めた現状を共有し、みんなで良くしていこうというオープンな姿勢は、とても大きなヒントになるのではないかと思う。予算の22%がアクセスに使われたというシンポジウムの後には、アクセスに特化したアンケートが行なわれた。その後、それをもとに「わたしたちの失敗から学び、成功の上に積み重ねていけるように」とAccess Statementのバージョン4がウェブサイトに公開されたのも素晴らしい★2


シンポジウムが行なわれたユニコーン・シアターの一室に設けられた「リラックス・鑑賞ルーム」
会場内では、アクセシビリティの一環として、ビーズクッションやお菓子などが置かれ、より少ない人数でスクリーン越しにゆったりとシンポジウムが見られる部屋が用意されていた。


アンリミテッド・シンポジウム2018 イラストレーションボード [photo: Rachel Cherry]
すべてのセクションはCreativeConnectionという医療や社会福祉関係の話題に強いチームによってグラフィックレコーディングで記録された。

公演では包括できない、障害とアートをめぐるトピック


今年のアンリミテッド・フェスティバルを振り返ると、2年前と比べ、フェスティバルの背後にある障害に対する思考の成熟が見られたと言えるだろう。少なくとも2年前までは公演などがやはりメインとなっていた印象があるが、今年はもはやひとつの演目には収まりきらない大きな社会的課題を、当事者と関係者が共有し、共に次に進むための絆を結ぶような場としてフェスティバルが機能していたように感じられた。

それは、プログラム構成にも大きく反映されていた。前回も今回もブリティッシュ・カウンシルがオーガナイズする交流プログラムに参加したが、前回はそのプログラムの参加者を中心に、アンリミテッドの紹介やアーティストと参加者、参加者どうしの交流を促すような時間が設けられていた。一方今回は、アンリミテッドが企画するシンポジウムが2日間に渡って開催され、そこではもはや公演などよりもシンポジウムが目玉だったと思わざるを得ないような濃い内容が展開された。

今年のシンポジウムのテーマは11ヶ月前に公募され、「障害のあるアーティストがリードする21世紀の芸術において何が語られるべきか?」という投げかけに対し、集まったテーマから投票によって選ばれた。「Art」「Equality」「Attitude」「Future」という4つの大きなセッションに分けられ、それぞれ「障害のあるアーティストはどのようにメインストリームのアート業界を変えられるのか?」「障害──交差するアイデンティティと芸術」「なぜこんなに自分たちの状況は変わらないのか? そもそもいつか変えられるのか?」「新しいテクノロジーはさらなるバリアを生むのか?」というトピックスが選ばれた。



アンリミテッド・シンポジウム2018
セクション2 「平等」のもとに立てられたトピック「障害──交差するアイデンティティと芸術」について話すスピーカーの様子。

なかでも、「intersectionality(交差性)」はシンポジウム全体を象徴するキーワードのひとつだったと思う。「intersectionality」とは、1989年にアメリカの市民権運動の理論家であるキンバレー・クレンショーにより広められた言葉で、フェミニスト研究において用いられることが多く、人種や階級、性別、セクシュアリティなどが組み合わさり個々のアイデンティティが形成されていることを議論する際に用いられる。もともとアメリカにおける女性の参政権運動が白人中心に行なわれていたことに対する黒人女性の位置付けを分析する枠組みとして考案されたものである。そのことからわかるように、個々人のアイデンティティの問題に留まらず、権力と抑圧の関係と切り離せないニュアンスを持つ。つまり「黒人」あるいは「女性」という単一の軸では、黒人女性が抱える多面的な問題、ひいては彼らが経験している重層的な支配や従属構造を捉えられない。「intersectionality」によって捉えられる経験は、人種問題と性差別問題の単純な足し算を遥かに上回るものであるとクレンショーは提唱した。


実際にシンポジウムでは、黒人男性でありクィアの劇場プロデューサーや、黒人女性であり劇場のCEOを務める義足のアーティスト、アメリカで暮らすアジア人女性であり先天性四肢障害のあるアーティストなど、さまざまに周縁化されたアイデンティティを複雑に持ち合わせるスピーカーたちによるディスカッションが行なわれた★3。また、今回のシンポジウムで取り入れられた視覚障害者に向けた取り組みである「各スピーカーは言葉を発する前に自分の容姿を音声で解説する」というルールが、彼らが自分たちの目に見えていない属性を含め、他者に対して自分のどの部分をどう言語化するのかということを強く浮かび上がらせていたのも興味深かった。


また、滞在中に芸術活動を支援する公的機関であるクリエイティブ・スコットランドの障害関係の施策の担当者と話をする機会があった。そこで彼女が口にした非常に興味深かった言葉がある。イギリスよりも遥かに進んでいると多くのイギリス人の友人が言うのを耳にするスコットランドの障害者への文化政策だが、クリエイティブ・スコットランドは、障害のある子どもが人生を通して自分の目標や興味を失わないように、小学校・高校・大学と長期的な視点でメンターし、彼らに必要な教育などについて教育機関に働きかけるような施策を実施しようとしていると言う。理論的にはそうだとしても、それに伴う労力と困難に感嘆していると、彼女は最後に言った、「そうなると問題になってくるのは、障害ではなく階級なのよ」と。


アンリミテッド・シンポジウム2018「ブレイクアウト・セッション」ユニコーン・シアター
すべてのセクションの後には「ブレイクアウト・セッション」が設けられていた。登壇したスピーカーが1部屋ずつに分かれ、参加者は興味のあるスピーカーがいる部屋に集い、より親密にトピックについての議論が交わされた。

「intersectionality」を作品に反映させる難しさ


アンリミテッドの話に戻ると、実際の公演やパフォーマンスについては、正直シンポジウムほどの刺激的なものは多くはなかった。シンポジウムを抜きにして考えれば、さまざまな障害のあるパフォーマーとミュージシャンにより構成されたブリティッシュ・パラ・オーケストラによるパフォーマンス『The Nature of Why』や2014年のアンリミテッドで一躍スターになった、自分の意志とは無関係に言葉を発したり動いたりしてしまうトゥレット症候群をもつジェス・トムによるサミュエル・ベケットの『Not I』については良い評判を耳にすることも多かったし、完成度や障害を通して新しい芸術性が発見される様子は、メインストリームのアートシーンで十分通用するものであると感じた。



ブリティッシュ・パラ・オーケストラ『The Nature of Why』
アメリカの物理学者、リチャード・ファインマンの型破りな好奇心から身の回りの世界の意味を探求するテキストを狂言回しとして進められた、ダンサーとミュージシャン、パフォーマーと観客が一体となり舞台を構成する公演。オーストラリア出身でグラスゴーを拠点に活動する著名なパフォーマーであり振付家のキャロライン・ボーディッチによる振り付け。



ジェス・トム『Not I』 [photo: James Lyndsay]
ジェス・トムは車椅子に乗ったまま宙づりにされ、口だけが露出した状態でパフォーマンスを行なった。トゥレット症候群のため、張り詰めた空気の中で台詞の合間に「ビスケット」だけが延々と繰り返される場面もあった。
これまで見たことがないほど表現力豊かな手話通訳者が瞬く間に流れる台詞を手話で表わしていった。ジェスはあらかじめ世界ツアーを前提にこの作品をつくっており、手話通訳は現地で採用し、一緒に稽古していくという。

他にも重度の身体障害を持つスタンドアップコメディアンが父親としての自分の生活を扱った作品や貧困層にいる障害者の生活を描いたコメディなど、「intersectionality」に触れた内容の公演も見かけられた。しかし、絡み合う要素が多くなればなるほどパーソナルなストーリーに立脚しがちで、必ずしも観客としてはカタルシスが感じられなかったり、普遍的なテーマに落とし込めていなかったりというのはジレンマかもしれない。

一方、エディンバラ・フェスティバルで観たスコットランドを代表するインクルーシブなシアターカンパニーBirds of Paradiseの最新作『My Left/Right Foot - The Musical』は、複雑な概念である「intersectionality」を理屈ではなく巧みにシナリオと演出に取り込んだ公演で、わたしは深く感銘を受けた。

あらすじは、ある演劇祭で受賞するために「ダイバーシティ」と「インクルージョン」を売りにしようと目論む健常者のカンパニーが障害者を仲間に引き入れようとするが、そんなに上手く進むわけもなく……という皮肉たっぷりのもの。1989年にダニエル・デイ=ルイスが脳性麻痺で左足しか動かすことのできない主人公を演じてアカデミー賞主演男優賞を獲った映画『マイ・レフトフット』を題材にしようと決めたカンパニーは、偶然目に留まった同じ建物で働く足をひきずっている雑用係に声をかける。主役を演じようと意欲満々の健常者の役者は「健常者が障害者を演じて賞を獲れなかったことはないだろ?」と言い放ち、その雑用係に演じさせるのではなく、自分が障害者を演じるうえでの助言役として彼を置こうとする。


Birds of Paradise『My Left/Right Foot - The Musical』
[photo: Tommy Ga-Ken Wan]
左:荷車に乗った役者は健常者で、映画『マイ・レフトフット』に登場する脳性麻痺の主人公を演じている。
右:短絡的な健常者に不信感を抱く雑用係(左から四番目)。『マイ・レフトフット』は、自らも生まれつき脳性麻痺で左足しか動かすことのできないクリスティ・ブラウンの自伝に基づいている。

脳性麻痺ならみんな同じと決めつけ、軽度の脳性麻痺の雑用係に何の躊躇いもなく赤の他人の障害者の演技指導をさせようとする健常者に雑用係は困惑する。その一方で、健常者からの扱われ方に悩み、しかし人生の上手くいかなさを障害を理由にしている雑用係の様子を見たカンパニーのメンバーは、「What else are you?(障害を取ったらあなたには何が残るの?)」と彼に問う。障害のある人とない人の創作で生じがちな互いに対する偏見や、障害だけでは捉えられない人間のアイデンティティの複雑さを痛快なミュージカルで描いていた。連日満席が続き、6,000人以上の動員があったという。脚本はカンパニーのアーティスティック・ディレクターであり、自らも重度の脳性麻痺をもち車椅子で生活するロバート・ゲールによって書かれた。さらにわたしは後日、別の場所で開かれたキャバレーイベントで彼がドラァグクイーンとしてパフォーマンスをする姿を目撃し、彼もまた「intersectionality」を体現するひとりだったことに気づかされることになる。

「障害」というラベルはどこまで必要か


「障害者」と言うと、ついつい健常者は「障害」ばかりに気を取られてしまう。それは健常者中心の生活をしていたら普段は見かける機会の少ない要素だ。しかし、そもそも自己とは、単一の要素で成り立っているのではなく、多様な要素が相互に作用し構成されているものだ。最近いたるところで聞く「多様性」も、本来は個々人のなかにすでにあるものではないか。障害のある人はない人同様に一枚岩ではないし、障害のある人のコミュニティのなかにもさまざまな差異があり、わかりあえないところもあり、難しい関係性もある。そのなかにどう自分を位置付けるかは、障害そのものだけでなく、育ちや教育、経済的・社会的環境など外的要因の影響も大きくある。

少なくとも2年前のフェスティバルでは聞くことはなかった「intersectionality」は、イギリスにおいて、社会のなかで周縁化された人たちがさまざまな構造的な抑圧を受けている状況を説明する際に使われることが増えてきていると言う。しかし、ジョー・ヴェレントによると、障害者のなかでもそういった考え方を受け入れる人たちばかりではないという。受け入れることで自分たちの障害という要素が薄まってしまい、あらゆる人たちが自分たちの“領域”に参入してくることに抵抗を示すアーティストもいるようだ。また、障害者による芸術の動向を伝える Disability Arts Onlineに投稿された自閉症のアーティスト、アナ・ベリーの記事によれば、これほど人種や性別、文化、セクシュアリティについて過剰なほどに言及されているアート業界でも、いざそのアイデンティティが障害となると、障害はそれらと対等な受容性や分別、認識を持って扱われているとは言い難い状況に未だあるという★4

障害のあるアーティストの作品を紹介する際に、障害があることを言及すべきか否かについては、日本でもしばしば議論の対象となる。障害がその作品にとってどの程度不可欠な要素かはアーティストによって異なるし、障害があるがゆえに自らその判断を下せないアーティストもいる。そのとき問われるのは、作品に関わる側が作家性のなかにある障害の位置付けと作品との関係をきちんと読み解き提示するとともに、鑑賞者側もそこで提示された作家性と作品の価値をどう評価するかだろう。そこで障害が単独で過大にあるいは過少に評価される要素となるうちは、その作品は「障害者アート」の範疇にある。

4回のフェスティバルを通してアンリミテッドが築いてきた土壌の成熟は、障害者による当事者運動から、アートにおける作家性の定義を揺るがす段階にまで来た。次のフェスティバルが楽しみだ。


アンリミテッド・シンポジウム2018 会場風景 ユニコーン・シアター


★1──障害があることを当事者の身体・知覚・精神的症状に要因があるのではなく、それを障害と感じさせる社会や環境側に要因があるとする考え方。https://weareunlimited.org.uk/social-model-disability-animation/
★2──https://weareunlimited.org.uk/wp-content/uploads/2018/11/Unlimited-Symposium-Access-Statement-Version-Four.pdf
★3──https://weareunlimited.org.uk/unlimited-the-symposium-equality-disability-intersectional-identities-and-the-arts/
★4──http://disabilityarts.online/magazine/opinion/disability-poor-relation-identity-politics/

アンリミテッド・フェスティバル2018

□シンポジウム
会期:2018年9月4日(火)〜5日(水)
会場:ユニコーン・シアター(Unicorn Teatre, 147 Tooley St, London, UK)

□フェスティバル
会期:2018年9月5日(水)〜9日(日)
会場:サウスバンク・センター(Southbank Centre, Lambeth, London, UK)

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