キュレーターズノート

どろどろ、どろん──異界をめぐるアジアの現代美術

能勢陽子(豊田市美術館)

2009年06月01日号

 「どろどろ、どろん」とは、幽霊、妖怪など、異界からの訪問者の到来を告げる、なんともいえない畏怖とおかしみを伝える擬態語である。子どもの頃、怪談話に興奮を覚えながら心底怯えた経験を、誰もが持っているはずだ。「恐いけどみたい」というアンビバレンツな感情は、人間が本質的に持っている欲望と禁忌の複雑な絡み合いそのものである。本展は、「あやしきもの」「いざなうもの」「ばけるもの」「みえざるもの」の章に分け、異界を通して人間の不条理、おかしみを現代美術のなかに読み取り、絵巻や幽霊画、民俗学的資料とともに示そうとするものである。

 「あやしきもの」では、得体の知れないものの存在を感じたとき、まず身体反応として引き起こされる、震えや鳥肌といった皮膚感覚をともなう恐怖が伝わってくる。初めに展示されるのは、江戸中期の広島、三次(みよし)を舞台とした絵巻、「稲生(いのう)物怪録(もののけろく)」である。この物語では、巨大な老婆が長く赤い舌で少年を舐め、女の生首が少年の体をなでる、皮膚感覚に直接ざらりと訴えるような小気味悪さを感じる。それに続くのは、陰刻鋳造により内側から押し出した指の痕跡が、その表面に生々しい震えを生み出す、西尾康之の彫刻である。一つひとつの関節が微細に盛り上がるその屹立した巨大な昆虫の前に立つと、皮膚が粟立つような不気味さを覚える。そして小谷元彦の、半面を骨や筋組織に覆われた能面、またその片側の頭部から長く垂れ下がる毛髪は、幽玄と隣合わせにある情念を顕にする。


西尾康之《トランスフォーム−変態−2》2004年
同《トランスフォーム−変態−1》2004年
同《トランスフォーム−変態−4》2004年、展示写真
©Nishio Yasuyuki、撮影:米倉裕貴、Courtesy of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


小谷元彦《SP extra 畸形脳面集 半骸幽女 双生児(左)》2007年
同《SP extra 畸形脳面集 半骸幽女 双生児(右)》2007年、展示写真
©Odani Motohiko、撮影:米倉裕貴、Courtesy of Hiroshima City Museum of Contemporary Art

 「いざなうもの」では、異界の存在を知らせ、繋ぐ、触媒や磁場となるような作品が紹介される。ここを導くのは、東北地方に伝わる「馬娘婚姻譚(ばじょうこんいんたん)」から生まれた、赤い着物を付けた馬と娘の小さな薄い木片、「オシラサマ」である。それにそこから想を得たという高木正勝の、白い馬に跨った少女の作品《ホミチェバロ》が続く。高木の映像は、異種婚による禁忌が生み出す官能と哀しみを、詩的な美しさのなかに仄めかす。中原浩大の、夕暮れ時に一斉にねぐらに帰るツバメの一連の写真は、他の展覧会でも観たことがあるのだが、ここではまた違うものとして浮かび上がってくる。ひとつとして同じ色のない白、赤、青、黒によるグラデーションをしたその時々の空は、かつて魔が現われると恐れられた「逢魔時(おうまがどき)」の不思議な間を思い起こさせ、空を覆うほどに飛び交うツバメは、この世とあの世を繋ぐ使者のようにもみえてくる。


高木正勝《ホミチェバロ》、2008年、展示風景
©Takagi Masakatsu、撮影:米倉裕貴、Courtesy of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


中原浩大《ツバメ》2006年、展示風景
©Nakahara Kodai、撮影:米倉裕貴、Courtesy of Hiroshima City Museum of Contemporary Art

 「ばけるもの」では、仮面を被り変身することで、異なる力を得、トリックスターとなるものたちが並ぶ。風間サチコの版画では、近代の経済発展の影に隠れた負の部分が、怪獣に肢体を変えて姿を現わす。会田誠の《おにぎり仮面》は、脱力感を醸し出す容姿、家の庭を範囲としたその“小さ過ぎる”旅が、会場にユーモアを漂わせる。現在大学院に在学中の佐藤允は、少年少女を描いた微細なドローイングを切って貼り合わせ、器官、毛細血管、または腫れ物のように見えるそれらが奇妙な顔を形成する、異色のドローイングを展示する。それらは過剰な情念と生命力が出口を見出せないまま噴出したような、奇妙に閉じたエネルギーを感じさせる。
 「みえざるもの」では、江戸時代の幽霊画と、西尾康之の古びた民家や洋館を舞台にした現代の《幽霊》が並び、見えない世界に対する畏怖とそこに向けられる想像力が顕になる。アピチャッポン・ウィーラセタクンの、山深くに伝説の吸血鳥を探すキュメンタリーは、最後までその鳥を見つけ出せたのかどうかわからないものの、得体の知れないものに接しようとするときの恐怖や期待が、その息づかいやじっとりと汗ばむ皮膚感覚とともに伝わってくる。
 最後にこの展覧会を締めくくるのは、小山田徹+Com-pass Caving Unitによる洞窟探索である。細長い通路に並べられた写真や模型の資料は、驚嘆や怖れといった感情からは程遠い淡々としたもので、異界をテーマとした展覧会の終わりとしては、なんだか肩透かしを食らったように感じる人もいるだろう。しかし洞窟は、いまだ地図化されない空間をその内に秘めた、測量という人為から逃れた自由の地であり、ここで最後に現実世界で見知らぬものと出会う旅が示唆されていたようにも思う。


アピチャッポン・ウィーラセタクン《ヴァンパイア》、2007年
©2008 Kick the Machine Films/ LOUIS VUITTON

 日本の現代作家を中心に紹介するグループ展は、どうしてもそのときの潮流に寄り添って、テーマも作家選定も似通ってしまうような印象がある。しかし「異界」をテーマとした本展は、現代美術の作法からはみ出して、恐怖や不気味さを身体感覚とともに伝えてくるような新鮮さがあった。アジアが対象になっているなら、より多くのアジアの作家たちのなかで、その意味を探りたいという気持ちも残った。しかし、この「どろどろ、どろん」という軽妙で不可思議な音ともに浮かび上がってくる作品の不気味さ、得体の知れなさ、おかしさは、逆に現代美術の展覧会から抜け落ちてしまいがちな、人間の生に関わる複雑な襞を見せてくれていたのではないかと思う。

どろどろ、どろん──異界をめぐるアジアの現代美術

会場:広島市現代美術館/Tel.082-264-1121
広島市南区比治山公園1-1
会期:2009年3月14日(土)〜5月10日(日)