キュレーターズノート

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「コレクション」を考える(2)──「私的コレクション」を「公立美術館」にすること

[2022年02月15日号(志田康宏)]

「コレクション」は変化するものである。内容や規模の変化はもちろんだが、所有者の変移などにより、コレクションの性質そのものが変化することもある。今回は「私的な個人コレクション」がほぼそのまま「公立美術館」になった栃木県内の美術館を紹介し、コレ...

「コロナ禍によって失われつつある大切なことをアートは甦らせてくれる」か?──奥能登国際芸術祭2020+

[2022年02月15日号(赤井あずみ)]

新型コロナウイルスの蔓延による大きな変化のうちのひとつに、移動の制限があることはいうまでもない。一年の暦を展覧会スケジュールで刻んでいる者たちにとっては、この2年間は針を失った時計のような曖昧な時間を過ごしたのではないだろうか。第2波、第3...

「紙破り」の作家、村上三郎の本当の姿

[2022年02月01日号(中井康之)]

村上三郎を知る者の多くは、彼を「紙破り」の作家として認識しているだろう。そして、もちろん「具体」の主要メンバーとして活躍してきたことを。しかしながら、それを越えてより正確な作家像、その芸術の意味を問う者は、残念ながら多くはないと予想するので...

異なる視線をみる試み、あるいは協働と演劇の力学について──原田裕規「Unreal Ecology」

[2022年02月01日号(谷竜一​)]

京都芸術センターでは、さまざまなアーティスト支援のプログラムを実施している。なかでもCo-programは、アーティストの主体的な創造に、京都芸術センターが全面的に協働して展開するプログラムであり、公演・展覧会・その他実験的なものなど、多種...

作品タイトルをあなたがつけるとしたら?──中高生たちが「キュレたまプロジェクト」を通してつくる鑑賞体験

[2022年02月01日号(橘美貴)]

高松市美術館では、昨春公募で集まった中学~高校生が企画した常設展「 キュレたま2021企画 現象~移ろう世界〜 」を現在開催している。このプロジェクトでは、彼らをキュレーターのたまご、略して「キュレたま」と名付け、冬の第4期常設展で現代アー...

「不確かさ」をめぐる問いかけ──山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」

[2022年01月15日号(野中祐美子)]

昨年の9月下旬から12月にかけて黒部市美術館で開催された展覧会「 蜃気楼か。 」を紹介する。 本展は、山下麻衣+小林直人による個展で、そのタイトルからして実に不思議な印象を漂わせるものだが、展覧会鑑賞後改めてこのタイトルに立ち返ると、これほ...

アートを学ぶ、アートで学ぶ──「あいち2022」と「クリクラボ」がひらくオルタナティブ・エデュケーション

[2022年01月15日号(会田大也)]

2022年をほどよい緊張とともに迎えることができた。今年は筆者がキュレーター(ラーニング)を務める国際芸術祭「あいち2022」の開催年でもある。また、来年には開館20周年を迎えるYCAMでも、アニバーサリーイヤーに向けての準備が本格化してい...

人はなぜさわらなければならないのか──「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」の試み

[2022年01月15日号(立石信一)]

2021年9月2日から11月30日まで国立民族学博物館において、「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」という特別展が開催された。本来であれば昨年度に開催する予定だった本展は、コロナ禍の影響により一年延期となり、この時期の開...

海山ののさり(恵み)のなかで託された表現たち──柳幸典《石霊の森》/塔本シスコ展 シスコ・パラダイス

[2021年12月15日号(坂本顕子)]

ハリウッド俳優ジョニー・デップ主演・制作の『 MINAMATA 』、それに続き、原一男監督の6時間12分の超大作『 水俣曼荼羅 』が公開され、2021年後半は、筆者をはじめ世界各地の人々が映画を通して水俣という土地の歴史や現在に触れる機会が...

みんな、かつては版画家だった──教育版画運動と大田耕士旧蔵版画集から考える「私たち」の戦後美術史

[2021年12月01日号(町村悠香)]

一般的に「美術史」と言われるものが、果たしてどれだけ同時代の人の実感が伴うものなのか、自分がその時代に生きていたら見たり参加したりできるものだったのか、疑問に思うことがある。本当にこれは「私たち」の歴史なのだろうかと。近年、フェミニズムやジ...

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