キュレーターズノート
バックナンバー
田部光子をひとりの美術家として語り直すために──田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」
[2022年03月01日号(正路佐知子)]
福岡市美術館では現在、福岡拠点の美術家・田部光子(1933年生まれ)の初期から現在までの作品と活動を紹介する展覧会、 田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」 を開催している(2022年3月21日まで)。 開幕以降、さまざまな反応・反響が...
10年目を終える今、災害伝承展示のあり方を考える
[2022年03月01日号(山内宏泰)]
東日本大震災発生10年、そして11年目を迎えようとする被災地、宮城県気仙沼市。2013年4月に公開が開始されたリアス・アーク美術館常設展示『東日本大震災の記録と津波の災害史』の続編ともいえる特別展「東日本大震災発生10年特別企画『あの時、現...
「コレクション」を考える(2)──「私的コレクション」を「公立美術館」にすること
[2022年02月15日号(志田康宏)]
「コレクション」は変化するものである。内容や規模の変化はもちろんだが、所有者の変移などにより、コレクションの性質そのものが変化することもある。今回は「私的な個人コレクション」がほぼそのまま「公立美術館」になった栃木県内の美術館を紹介し、コレ...
「コロナ禍によって失われつつある大切なことをアートは甦らせてくれる」か?──奥能登国際芸術祭2020+
[2022年02月15日号(赤井あずみ)]
新型コロナウイルスの蔓延による大きな変化のうちのひとつに、移動の制限があることはいうまでもない。一年の暦を展覧会スケジュールで刻んでいる者たちにとっては、この2年間は針を失った時計のような曖昧な時間を過ごしたのではないだろうか。第2波、第3...
「紙破り」の作家、村上三郎の本当の姿
[2022年02月01日号(中井康之)]
村上三郎を知る者の多くは、彼を「紙破り」の作家として認識しているだろう。そして、もちろん「具体」の主要メンバーとして活躍してきたことを。しかしながら、それを越えてより正確な作家像、その芸術の意味を問う者は、残念ながら多くはないと予想するので...
異なる視線をみる試み、あるいは協働と演劇の力学について──原田裕規「Unreal Ecology」
[2022年02月01日号(谷竜一)]
京都芸術センターでは、さまざまなアーティスト支援のプログラムを実施している。なかでもCo-programは、アーティストの主体的な創造に、京都芸術センターが全面的に協働して展開するプログラムであり、公演・展覧会・その他実験的なものなど、多種...
作品タイトルをあなたがつけるとしたら?──中高生たちが「キュレたまプロジェクト」を通してつくる鑑賞体験
[2022年02月01日号(橘美貴)]
高松市美術館では、昨春公募で集まった中学~高校生が企画した常設展「 キュレたま2021企画 現象~移ろう世界〜 」を現在開催している。このプロジェクトでは、彼らをキュレーターのたまご、略して「キュレたま」と名付け、冬の第4期常設展で現代アー...
「不確かさ」をめぐる問いかけ──山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」
[2022年01月15日号(野中祐美子)]
昨年の9月下旬から12月にかけて黒部市美術館で開催された展覧会「 蜃気楼か。 」を紹介する。 本展は、山下麻衣+小林直人による個展で、そのタイトルからして実に不思議な印象を漂わせるものだが、展覧会鑑賞後改めてこのタイトルに立ち返ると、これほ...
アートを学ぶ、アートで学ぶ──「あいち2022」と「クリクラボ」がひらくオルタナティブ・エデュケーション
[2022年01月15日号(会田大也)]
2022年をほどよい緊張とともに迎えることができた。今年は筆者がキュレーター(ラーニング)を務める国際芸術祭「あいち2022」の開催年でもある。また、来年には開館20周年を迎えるYCAMでも、アニバーサリーイヤーに向けての準備が本格化してい...