artscapeレビュー

吉野英理香『ラジオのように』

2011年06月15日号

発行所:オシリス

発行日:2011年3月10日

ブリジット・フォンテーヌの名曲をタイトルにした吉野英理香の新作写真集の巻末には、2009年1月から2010年7月までの日記の抜粋がおさめられている。それがめっぽう面白くて、つい読みふけってしまった。かったるいような、妙に冷めたような文体がなかなか魅力的だ。
その2010年1月3日(日)に、次のような記述がある。
「本庄に帰る高崎線の二つ手前の深谷あたりで、車窓に流れる景色を見ながら、写真をカラーにしてみようと思いつく。暗室もいらないし、現像液をつくったり、使用後の液を捨てたり、あの煩わしい作業がなくなることを考えたら、なんて身軽なことか。」
写真家が何かを変えていくきっかけは、こんなふうに何気なくやってくるということだろう。吉野はそれまでのモノクロームフィルムをカラーに変えて撮影しはじめる。日々出会った雑多な場面を積み上げていくやり方に変わりはないが、そこにはどことなく「身軽な」雰囲気があらわれてきている。調子っぱずれの色や形が散乱する画面は、以前のモノクロームのスナップよりも風通しがよく、軽快なビートで貫かれているように見える。
日記と写真を照らし合わせてみると、吉野の、独特の角度を持つ観察眼も浮かび上がってくる。2010年5月29日(土)の記述。豆腐屋で自分の前に並んでいた「白いノースリーブのブラウスを着た女性の、内側に着ているキャミソールの白と黒の紐がどこまでも延々とねじれていく」。この通りの場面が写っているのだが、たしかにそのねじれたキャミソールの紐から眼を離せなくなってしまう。写真と文章をもっと積極的に併置してみるのも面白そうだ。

2011/05/09(月)(飯沢耕太郎)

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