artscapeレビュー

橋口譲二「Hof ベルリンの記憶」

2011年10月15日号

会期:2011/09/14~2011/09/27

銀座ニコンサロン[東京都]

橋口譲二のひさしぶりの新作展である。もしかすると10年ぶりくらいかもしれない。1990年代の精力的な活動と比較して、その沈黙ぶりが際立っていたのだが、ようやく写真家として新たな領域へと向かう準備ができてきたようだ。とはいえ、今回展示された「Hof ベルリンの記憶」は、純粋な新作ともいいがたい。「ベルリンの壁」崩壊直後の1990年から93年にかけて、旧東ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区とミッテ地区の古びた集合住宅を、6×6判と4×5インチ判のカメラで中庭(Hof)を中心に撮影した一群の写真があり、それに2009~2010年に新たに撮り下ろした写真が付け加えられている。まだ本格的な始動の前の助走という感じなのかもしれない。
会場に入って、以前送ってもらっていた同名の写真集(岩波書店刊)の印象と、やや違っているように感じた。橋口本人に確認すると、やはりプリントを大幅に焼き直したのだという。写真集の時には、中判、あるいは大判カメラの視覚的な情報をどれだけきちんと伝えるかに腐心していたのだが、今回の展示のためのプリントの段階で「これではだめだ」と思ったのだという。もっと生々しく、実際に建物や中庭に向き合った時の感情を出すことをめざすようになった。結果として、プリントの陰翳はより濃くなり、陽が差さない中庭の湿り気を帯びた空気感が伝わってくるようになった。
このあたりには、両大戦と旧東ドイツ時代を生きのびた労働者階級の人々が多く暮らしていたのだが、その歴史の重みが壁に残る弾痕など、建物のさまざまな凹凸や歪みから浮かび上がってくる。写真を見ている時に、しきりに「皮膚」という言葉が浮かんでは消えていた。たしかに橋口がこのシリーズでめざしているのは、都市の表層を、ぬめりを帯びた「皮膚」の連なりとして捉え直すことではないだろうか。やや残念なことに、このシリーズには人間の気配は感じるものの、人間そのものは被写体として登場してこない。次はぜひ、橋口の本来の主題である、より直接的に人間の生に向き合い、寄り添った写真を見てみたいものだ。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

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