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ウィーン工房1903-1932──モダニズムの装飾的精神

2012年01月15日号

会期:2011/10/08~2011/12/20

パナソニック電工 汐留ミュージアム[東京都]

ウィーン工房は、「総合芸術」を掲げ、建築家のヨーゼフ・ホフマン、デザイナーのコロマン・モーザー、そして実業家のフリッツ・ヴェルンドルファーによって設立された企業である。デザイン運動の文脈では、アーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴して職人技術の復権を目指し、デザイン、生産から流通まで、すべての過程にデザイナーとクラフツマンの双方が関わる工芸家集団の誕生、ということになろうか。思想的な側面では、ものづくりに対する姿勢・思想や、アドルフ・ロースによってなされた批判との関連で論じられよう。しかし、今回の展覧会はそのような文脈とはまた異なる視点からウィーン工房を取り上げている。すなわち、工房の経営体制と彼らのものづくりとの関係、その変化が主題である。
 展覧会は、経営体制の変化がデザインに及ぼした影響を明らかにする。大きな変化はふたつ。ひとつはモーザーの脱退(1907年)。これは工房経営の資金繰りに窮したヴェルンドルファーが、資産家の出身であったモーザーの妻に多額の貸付を依頼したことにモーザーが憤慨したためであるという。その結果、工房の特徴であった幾何学的な文様が失われ、花などの装飾的要素が増えていったとされる。もうひとつは1914年。ヴェルンドルファーが経営から離れ、新たな出資者を得て工房は有限会社へと移行。工場生産品を重視し利潤を追求する企業へと変化するなかで、女性向けの服飾製品、装飾品作りへと進出する。その後、経営を軌道に乗せるためにさまざまな努力がなされたものの、1929年の世界恐慌を経て1932年に閉鎖を余儀なくされるのである。工房のつくりだすものが時代によって変遷した理由は、直接的にはデザイナーや職人の異動によるものかもしれないが、デザイナーや職人が代わった原因は経営体制の問題であったことが示される。
 図録に寄せられたエルンスト・プロイルの論考「ウィーン工房の経営史──波乱の末のアンハッピーエンド」は工房の財政状況を詳しく描いている。ウィーン工房は30年ほどにわたって経営を続けた。これは短い期間ではない。しかし、質の高い職人によるものづくりに対して、長期にわたり経営を成り立たせるほどの需要があったかというと、けっしてそうではない。それどころか、最初からビジネスになるような十分な需要は存在しなかったし、彼らが市場や顧客を十分に理解していたとは言えないことを指摘しているのである。ものづくりの理想は何故に破綻してしまったのか。ウィーン工房の失敗に学ぶことは多い。[新川徳彦]

2011/11/23(水)(SYNK)

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