artscapeレビュー

蓮沼執太×山田亮太(TOLTA)『タイム』

2012年03月01日号

会期:2012/02/19

KAAT中ホール[神奈川県]

美しいカオス。60分の上演を一言で言えばそうだろう。公演情報からは「音楽家と詩人のコラボレーション」というイメージを強く抱かされたが、ふたをあけてみると音楽演奏と詩の朗読のみならず、演劇やダンスの要素も絡まりあったパフォーマンスが展開された。体育館に似てがらんとした空間の真ん中が舞台の大部分、その周りを観客が囲む。観客の座るあたりに通路が敷かれ、そこでもパフォーマーたちが走ったり詩を読み上げたりするので、客席/舞台の境ははっきりしない。ダンサーや美術作家があちこちで各々の上演を展開する、半世紀以上前にジョン・ケージが行なった公演『無題イベント』にそれは通じていそうだ。しかし、多様な表現が共存するという共通点はあるとしても、明らかに異なるのは各パフォーマーが詩と音楽を手だてにつながっているところだ。そこにカオティックでありながら美しいことの理由がありそうだ。森の路をうろうろしているときのように、あちこちから声が聞こえ、楽器の音が聞こえ、歩いたりポーズをつくったりする人が目に映る。淡々と、結論へ向かうのではない時間が進む。エコロジカルなんて言葉も浮かんでくる中心のない舞台。ただし、でたらめには見えない。そこには、詩による統一があり、音楽による統一があり、詩と音楽との響き合いがある。この美しさはある見方からすれば、反動と映るだろう。演奏の合間にあちこち歩き回りながら、演奏者のみならずパフォーマーたちにも指示を与える指揮者としての蓮沼の立ち位置は、そうした見方からは専制的に見えるかもしれない。終幕の直前、蓮沼は意図的に観客に終幕を意識させつつ、腕を大きく振って拍手をうながすと、観客までも上演の一部にした。こうした振る舞いがいやらしく見えないところに蓮沼の特異性を感じてしまう。その特異性が、各人の即興に任せて生まれるものとは別の、カオティックだが美しい時間を成立させていた。

2012/02/19(日)(木村覚)

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