artscapeレビュー

瀧口修造とマルセル・デュシャン

2012年03月01日号

会期:2011/11/22~2012/01/29

千葉市美術館[千葉県]

ひとりの美術評論家にとって、ひとりの偉大なアーティストの存在が、かくも大きいということがあるのだろうか。本展でまざまざと感じたのは、なかば呆れた思いも入り混じった驚きの感情だった。本展のタイトルでは、瀧口修造とマルセル・デュシャンが並列の関係に置かれているが、実際の展示を見てみると、両者の関係はむしろ一方に傾いていることに気がつく。デュシャンの《泉》をはじめとする数々の謎めいた作品や往復書簡から浮き彫りになるのは、瀧口によるデュシャンへのあまりにも熱い想いだからだ。それが評論家と美術家の親交というには、度が過ぎていると言わざるをえないのは、デュシャンの別名である「ローズ・セラヴィ」と記銘された瀧口の墓石の写真を見れば一目瞭然だ。瀧口修造といえば、これまで戦後美術を代表する美術評論家ないしは詩人として過剰に神話化されてきたが、瀧口の(こういってよければ)「ミーハー的センス」をありありと浮き彫りにすることによって、瀧口を脱神話化するための糸口を提供したところに、本展の大きな意義があるように思う。もうひとつの発見は、晩年の瀧口が限界芸術を手がけていたという事実。60年代に美術批評の第一線から退いた後、瀧口は数々のオブジェを蒐集するのみならず、自分でもオブジェを制作し、デカルコマニーなどの手法を駆使した平面作品を制作しているが、それらは、誰がどう見ても、限界芸術以外の何物でもない。純粋芸術としての戦後美術を歴史化してきた当事者が、晩年になって限界芸術の境地にみずからたどり着いたという事実は、人は誰もが限界芸術からはじめ、途中で大衆芸術や純粋芸術を経由することはあったとしても、やがて再び限界芸術に立ち返ってくるという人間の性をはっきり裏書きしていると言えるだろう。

2012/01/28(土)(福住廉)

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