artscapeレビュー

さようなら原発集会

2012年08月01日号

会期:2012/07/16

代々木公園一帯[東京都]

代々木公園を中心に行なわれた脱原発デモ。うだるような暑さのなか集まったのは、主催者発表で17万人。知識人や文化人によるスピーチの後、3方向に分かれてデモが行なわれた。
3.11以後、放射能の恐怖と原発の再稼動への危機感から全国各地でデモが拡大しつつあるが、このうねりのなかで明らかになってきたのは、デモが政治的主張をアピールする文字どおりのデモンストレーションの機会であると同時に、民衆による限界芸術が開陳されるある種の「展覧会」でもあるということだ。プラカードや横断幕に描写されたヴィジュアル・イメージはもちろん、口々に叫ばれるシュプレヒコールや鳴り物の数々、そしてなにより17万人もの人びとが一堂に会し、都内の街中を練り歩くという身体表現は、非専門家という群集による限界芸術の現われにほかならないからだ。
むろん、有名性に依拠した表現がないわけではない。今回のデモでは、奈良美智が「NO NUKES」というメッセージを含めて描いた絵画表現をダウンロードしてプラカードに転用した参加者が数多くいたし、奈良自身も集会でわずかとはいえ登壇したほか、デモの一部のコースに重なったワタリウム美術館のウインドーに同じ絵画作品のポスターを掲げた。
しかし、デモとはなによりも無名性にもとづいた文化表現の形式である。あらゆる人びとは本来なにかしらの専門家であるはずだが、同時に、ある局面においては、非専門家とならざるをえない。そのある局面に人びとを直面させながら結集させるのがデモであり、だからこそそこではありとあらゆる知恵と知識が動員されるのである。限界芸術が見るものだけではなくみずから行なうものだとすれば、限界芸術としてのデモを歩道から眺めるだけではあまりにももったいない。プラカードに描いた絵を持ちながら車道を歩き、声を上げ、歌を唄い、ダンスを踊る。限界芸術の展覧会はみずから楽しめるものなのだ。

2012/07/16(月)(福住廉)

2012年08月01日号の
artscapeレビュー