artscapeレビュー

チェルフィッチュ『女優の魂』

2012年09月01日号

会期:2012/08/17~2012/08/19

STスポット横浜[神奈川県]

ちょっと不思議な公演だった。『美術手帖』(2012年2月号)に掲載された岡田利規の同名小説を舞台化したという本作は、これまでもチェルフィッチュの公演に出演してきた佐々木幸子のひとり芝居。タイトル通りテーマは「女優」で、主人公は、役を主人公から奪われた女に恨まれ、殺され、魂だけになってあの世に行く。不思議だったのは、女優であるとはそして演じるとはどんなことなのかといった女優論を、女優役である主人公が語りつつ、それを現実の女優が演じるという、輻輳的な状況だけではなかった。いや、確かにそれもまた一興で、「演技とはなにか」を演説しているその女優の演技が実際その演説通りの演技を行なっているのか?なんて問いが生まれるのは、そうした構造が舞台に置かれているからだし、そういう問いが役の女優と演じている女優のあいだの微妙なズレを感じさせるわけで、不思議な気持ちがそうした事態から引き起こされたのは事実だ。しかし、もっと不思議な気持ちにさせられたのは「これはチェルフィッチュの公演なのだろうか」と思わされたことだ。「ズレ」は「チェルフィッチュなるもの」と「舞台上の演技」とのあいだにもあった気がしたのだ。早口でとめどなくしゃべる分、沈黙をともなうあの独特の間がなくなってしまったからか、あるいはしゃべりの雰囲気がたとえば友近を連想させるような独自の魅力を発揮してしまっていたからか、佐々木の演技が「チェルフィッチュそのもの」というより「チェルフィッチュをよく研究したフォロワーのもの」に思えてしまった。演技が下手だということではない。一人二役をこなそうと体をあっちこっちと移動させる振る舞いなど、佐々木の演技には、漫談的面白さが顕著だった。だがそれは「それチェルフィッチュなの?」と目を疑う部分でもあった。会場であるSTスポットの開館25周年記念を飾る「特別プログラム」という名の余興ととらえるべきか、いや、これこそがチェルフィッチュによるチェルフィッチュの正しい活用実例ととらえるべきか、判然としない上演だった。

2012/08/17(金)(木村覚)

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