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近代日本の学びの風景──学校文化の源流

2012年11月01日号

会期:2012/10/01~2012/12/01

学習院大学史料館[東京都]

教育制度の確立は近代国家形成の根幹であり、それゆえ明治政府は1872(明治5)年には学制を発布し、全国民への統一的な教育の普及を目指した。江戸時代からすでに寺子屋のような教育の場が存在したことは、新しい制度の急速な普及に資したことは間違いない。ただしその学びの空間、風景は大きく変わっていった。本展は、学習院所蔵の資料による解説を中心に、明治期から昭和初期にかけての初等教育の場の形成をたどる。最初に取り上げられているのは、教室の風景。寺子屋の畳の部屋から机と椅子を使用する教室へと変わっていったことが示される。児童の姿も変化する。小学生の通学鞄として用いられるランドセルは、兵士が用いていた背嚢を転用したもので、これを最初に採用したのは学習院であった。授業には教科書が用いられるようになり、教師は地図や歴史を記した大きな掛図や、物産標本などの実物資料を用いて授業を進めた。また、試験、成績評価(通信簿)の存在も近代教育の特徴のひとつである。運動会、学芸会、遠足などの行事も、地方や学校によって違いはあるものの、明治20年代から30年代にかけて形成されていったという。学業優秀な児童を表彰したり、運動会競技の順位に応じてメダルを授与する習慣も現われる。技術の変化などによって使用される教材は変わってきているが、基本的な初等教育の風景は、このころに形成されたものといってよいだろう。他方で、明治になって学校制度や学びの場は大きく変化したが、教材となる掛図などには錦絵以来の木版画技術が用いられ、標本づくりや褒賞メダルの制作には職人たちの技巧が凝らされていた。すなわち、学校制度を支えていた文化は必ずしも江戸期と明治期とで断絶していたわけではないという指摘は、とても重要であると思う。[新川徳彦]

2012/10/16(火)(SYNK)

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