artscapeレビュー

北井一夫「いつか見た風景」

2013年01月15日号

会期:2012/11/24~2013/01/27

東京都写真美術館 3階展示室[東京都]

北井一夫の写真家としての位置づけはむずかしい。1976年に「村へ」で第一回木村伊兵衛写真賞を受賞しているのだから、若くしてその業績は高く評価されていたといえるだろう。だが『アサヒカメラ』に1974~77年の足掛け4年にわたって連載された、その「村へ」のシリーズにしても、いま見直してみるとなんとも落着きの悪い写真群だ。高度経済成長の波に洗われて、崩壊しつつあった日本各地の村落共同体のありようを、丹念に写し込んでいった作品といえるだろうが、北井が何を探し求めて辺境の地域を渡り歩いているのか、そのあたりが判然としないのだ。とはいえ、これらの写真を見続けていると、たしかにこのような風景をその時代に見ていたという、動かしようのない既視感に強くとらわれてしまう。それは怒りとも哀しみともつかない、身動きができないような痛切な感情に包み込まれるということでもある。
北井の写真には、いつでもこのような、見る者をうまく制御できない記憶の陥穽に導くような力が備わっていると思う。僕にとって、今回の展覧会でそれを一番強く感じたのは、「過激派・バリケード」(1965~68)のパートに展示されていたバリケード封鎖された日本大学芸術学部内で撮影された一連の「静物写真」だった。闘争が長引くに連れて、「封鎖の校舎内は、ストライキ学生の衣食住の場所になり、非日常空間から日常生活の場へと変化した」という。北井はそこで目にした「靴」「ハンガー」「トイレットペーパー」「傘」「謄写版」「洗面台」などを、135ミリの望遠レンズで接写している。僕自身は彼より一世代若いので、これらの事物をバリケード内で直接目にしたわけではないが、その空気感をぎりぎり実感することはできる。日常を、その厚みごと剥がしとるような北井の眼差しのあり方が、これらの写真には見事に表われている。それぞれの時代の日常性を身体化して体現できる仕掛けを組み込んでいることこそ、北井の写真の動かしようがないリアリティの秘密なのではないだろうか。

2012/12/07(金)(飯沢耕太郎)

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