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artscapeレビュー

牧野邦夫─写実の精髄─展

2013年07月01日号

会期:2013/04/14~2013/06/02

練馬区立美術館[東京都]

現在の「現代アート」には、圧倒的に「過剰」が足りない。画家・牧野邦夫(1925~1986)の絵画を見ると、思わずそんな嘆息を漏らしたくなる。情熱、技術、視線など、あらゆる点で行き過ぎているのだ。そのような常軌を逸した過剰性が、私たちの眼を釘付けにするのである。
本展で展示された、およそ120点あまりの作品の大半は、油彩による写実画。しかし、より正確に言えば、写実の技法を用いた幻想画というべきだろう。技法的には写実的に描きながらも、画面の随所に幻想的な主題が織り込まれており、そのことが絵画全体の性格を決定しているからだ。神話的な世界に投入した自画像や、建造物や植物にまったく脈絡なく挿入した人面などは、その幻想性を高める例証である。あるいは、こうも言えるかもしれない。牧野は写実に始まり、写実を極め、やがて写実を超えてしまったのだと。
そのように牧野を駆り立てたのは、いったい何だったのか。それは、おそらく現代美術の歴史に名を残す功名心などではなかった。なぜなら牧野の絵画にも言説にも表われているのは、あまりにも純粋なレンブラントへの憧憬ないしは衝動だからだ。それ以外は皆無であると断言してもいいほど、牧野はレンブラントに傾倒していた。この世にはいないレンブラントに手紙を書き、あまつさえその返信もレンブラントになりきって書いたという逸話は、その度を超えた情熱を如実に物語っている。
多くの近代美術家は、近代と伝統、ないしは西洋化と土俗土着の問題で思い悩んでいた。すなわち、近代芸術の理想と土着的な現実のあいだを縫合するには、あまりにも双方はかけ離れていたため、作品として結実させることが難しかったのである。西洋彫刻では筋骨隆々とした肉体が造形化されていたが、現実の風土においてはむしろ薄弱の身体でしかない。ところが、レンブラントしか見ていなかった牧野にとって、そうした問題に優先順位が置かれていたとは到底思えない。なぜなら、牧野が描く身体像はいずれも西欧人のような厚みがあり、そこには現実を必ずしも反映していないという後ろめたい影は微塵も見当たらないからだ。建物や風景を描いた絵画ですら、肉厚の身体のような量塊性がある。
この極端に偏った過剰性は、たしかに西欧芸術を崇拝する典型的な奴隷根性の現われだが、だからといって決して非難されるべきではない。しばしば引き合いに出される牧島如鳩もそうだったように、西欧だろうと土着だろうと、より徹底して、より過剰に、より大袈裟に表現したからこそ、あのような優れた絵画が生まれたのは否定できない事実だからだ。第一、どこかで過剰にならなければ、いったい何がおもしろいというのか。

2013/06/02(日)(福住廉)

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