2018年10月15日号
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artscapeレビュー

梅佳代 展

2013年07月01日号

会期:2013/04/13~2013/06/23

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

凡庸な日常生活にひそむ奇跡的な瞬間。それらを目ざとくとらえるセンスとスピードこそ、梅佳代の真骨頂である。
旧作と新作を合わせた300点あまりの写真を集めた本展には、まさしくそのスピード感あるセンスがあふれていた。被写体当人ですら気がついていないミラクルの瞬間には文字どおり笑いを堪えることができないし、それらを発見した梅佳代の無邪気であるがゆえに冷酷な視線を写真の向こう側に想像すると、よりいっそう笑いが募る。大量の写真を一気に展示すると単調になりがちだが、抑揚のある展示構成によって、それを巧みに回避していた点もすばらしい。
しかし梅佳代の写真は、時としてそれらが笑いを狙っているように見えかねないことから、たんなる「おもしろ主義」として退けられることが多い。事実、小中学生を撮影したシリーズには、子どもたちが積極的にレンズの前でおどけているせいか、ひときわその印象が強い。政治的な抵抗も社会的な批評性も欠落させたまま、非生産的な笑いに現を抜かしたところで、そこにいったいどんな意味や思想があるというのか、というわけだ。
だが、こうした物言いに通底しているのは、自らは何もしないまま、その内なる欲望を写真家に一方的に投影する、ある意味で非常に無責任な態度だ。梅佳代の写真にある奇跡的瞬間が被写体と撮影者のあいだで生成しているように、そもそもあらゆる芸術は表現する者とそれらを受け取る者とのあいだのコミュニケーションである。だとすれば、批評の可能性もまた、送り手と受け手のあいだに内在するのであり、それが開花するかどうかは、受け手による積極的な解釈にかかっている。したがって、たとえ「おもしろ主義」であったとしても、そこに面白さ以外の価値を見出したいのであれば、当人がそうすればよいのである。梅佳代の写真に思想が欠落しているわけではない。それらに思想を読み取ろうとする批評的な働きかけが欠落しているのだ。
梅佳代の写真の最も大きな批評性とは、それらが私たちの視線を決定的に塗り替えてしまった点にあると思う。写真を見ながら会場内を歩いていると、監視員の座る椅子の下に用意された防災用のヘルメットでさえ、なにやら梅佳代の写真のなかから飛び出てきたアイテムのように見えてならない。何より本展を見終わった後、私たちは会場の外の日常的な風景のなかに奇跡的な瞬間を探して視線を隈なく走らせている自分に驚くはずだ。今までは不覚にも気が付かなかったけれど、世界にはおもしろい瞬間が満ち溢れているのかもしれない。梅佳代の写真を経験した私たちにとって、世界はそれまでとはまったく異なる風景として立ち現われるのである。
重要なのは、その視線をもってすれば、世界全体を塗り替えることができるかもしれないという可能性である。それを現実化しうるかどうかは問題ではない。そのような可能性のひろがりを肯定的に受け止めることができる実感があるかないか、焦点はその一点に尽きる。「おもしろ主義」として一蹴することは、もはやできまい。

2013/06/05(水)(福住廉)

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