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あいちトリエンナーレ2013 プロデュースオペラ プッチーニ作曲「蝶々夫人」

2013年10月15日号

愛知芸術劇場 大ホール[愛知県]

あいちトリエンナーレ2013のプロデュースオペラ「蝶々夫人」を観劇した。一言でいうと、(最も)美しい「蝶々夫人」である。音楽布陣が最高とされるポネル演出の「蝶々夫人」の映像を何度も見ていたので、この演目の日本だからこそできる優位性を使い、特に視覚的な面においてはこれをはるかに凌駕していた。卒論で古今東西の「蝶々夫人」の舞台美術を研究した建築出身の演出家・田尾下哲ならではの空間表現である。登場人物が日本家屋の特性を説明する冒頭のシーンでは、見ている前で可動の建具=障子が次々と入り込み、柱が設置される。そして劇中は、物語の展開に合わせて、次々とシフトを変えていく。多層のレイヤーは、日本的な奥行き表現である。が、オペラの舞台の比例に合わせ、垂直に引き伸ばされた巨大な建具、段々になった床面、そしてはっきりした中心軸と奥に向けて傾斜する床は、西洋の透視図法的な空間も想起させるだろう。和洋が出会う演目におけるハイブリッドな空間である。以上で建築的なフレームは完成するが、ここに命を吹き込むのが、女方の歌舞伎俳優・市川笑三郎が振付を担当したことによる、オペラの歌手とは思えない、「日本的」というべき優雅な所作だった。とりわけ、最初の蝶々さんの登場から友人たちが歌うシーンは別格。ほかにも動く絵のような美しいシーンが幾つかあった。第一幕フィナーレの星空に包まれた二重唱。第二幕第一部の黒い床の全域に降り積もる花。そして第一部から第二部への切り替えで、海を眺めて立ち尽くす蝶々さんと夜から朝への時間の変化(この演出なので、ここに休憩を入れないのもいうなづける)。蝶々さん=安藤赴美子も素晴らしい。田尾下の「蝶々夫人」は。この演目に内在するオリエンタリズムへの批判やひねった解釈とも違う。むしろ、日本人も忘れている「日本的」な美はこれだと、ストレートに提示したものだ(たぶん海外はもっと驚く)。舞台の美しさを通じて、物語に没入させ、音楽の美しさを改めて感じさせる演出。通常の音楽ファンのみならず、美術ファンにも建築ファンにも楽しめるような総合芸術としてのオペラは、当初の目的どおり、まさにあいちトリエンナーレにふさわしいものだった。なお、世界には数えきれないほど、トリエンナーレはあるが、オペラも含まれるのはあいちだけである。

2013/09/16(月)(五十嵐太郎)

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