artscapeレビュー

大きいゴジラ 小さいゴジラ

2014年04月01日号

会期:2014/02/25~2014/03/30

川越市立美術館[埼玉県]

映画『ゴジラ』が公開された1954年は、アメリカによる水爆実験「キャッスル作戦」がマーシャル諸島のビキニ環礁で行なわれ、第五福竜丸を巻き込んで被爆させた年である。その一方、同年は当時中曽根康弘らによって原子力研究開発予算が国会に提出され、読売新聞社主催の「誰でもわかる原子力展」が新宿伊勢丹で催されたように、日本の原子力政策の原点が刻まれた年でもある。ゴジラは被爆と原子力の平和利用という矛盾が凝縮した時代に誕生したのである。
それから60年後。ゴジラをめぐる社会状況が激変したことは言うまでもない。美術家の長沢秀之は映画のゴジラを「大きいゴジラ」としたうえで、東日本大震災によって「小さいゴジラ」が生まれたと設定した。本展は、その「小さいゴジラ」という未見のイメージを、美術家や美大生、小学生らが想像的に造形化した作品を一挙に展示したもの。市民参加やワークショップの体裁を採用しながら、そうした限界芸術の地平から現在進行形の同時代性を獲得した、非常に画期的な展覧会である。
窪田夏穂による《デモンストレーション・ゴジラ》は、9枚の短編マンガ。ゴジラの救出を訴える街頭デモをめぐる人間模様を筆ペンで簡潔に描いた。作画には黒田硫黄の影響が少なからず見受けられるものの、熱を帯びたデモ参加者と、彼らに注がれる冷ややかな視線のギャップの描写が生々しい。ここでのゴジラに「脱原発」が重ねられていることは明らかだが、ゴジラの被り物に身を入れることで初めてデモに参加することができた主人公の身ぶりには、正面切って脱原発を訴えることの難しさと、脱原発運動がゴジラのような求心力のある明確な象徴を依然として持ちえていない難しさという、二重の困難が投影されているように思われた。
《日常のゴジラ(2012年の夏)》で野間祥子と藤田遼子が描いたのは、都市の日常的な光景。一見するとなんの変哲もない街並みだが、よく見ると画面の奥のビル群はいずれも奇妙に歪み、傾いている。大きいゴジラは街を滅茶苦茶に破壊したが、まさしく東日本大震災に端を発する放射能汚染がそうであるように、小さいゴジラの脅威は見えにくいということなのだろう。逃げ出してくる人びとを尻目にスマホをいじる人物像は、知覚しえない脅威に想像力を働かすことのない現代人の肖像なのだ。
小さいゴジラを創出する道筋をつけた本展の意義は大きい。時代を正視することを避けるアーティストが多いなか、この経験はひとつの光明である。

2014/03/18(火)(福住廉)

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