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artscapeレビュー

岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜

2014年05月01日号

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会期:2014/02/08~2014/04/06

世田谷美術館[東京都]

岸田劉生と、その父吟香および娘麗子、3代をまとめて紹介した展覧会。緻密な研究に基づいた非常に充実した展観で、幕末から明治にかけて文明開化の一翼を担った吟香と、画家そして演劇人としても活躍した麗子の軌跡を、劉生の画業にそれぞれ接続した意義も大きい。
とりわけ注目したのが、吟香。尊皇攘夷の志士にはじまり、左官や泥工の助手、八百屋の荷担、湯屋の三助、芸者の箱丁、妓楼の主人、茶飯屋の主人から、初の和英辞書『和英語林集成』の編纂、液体目薬「精 水」の製造販売および「楽善堂」の開設、『東京日日新聞』の主筆、台湾への従軍記者、訓盲院の設立、中国と朝鮮の地図編集まで、その活動は町人文化とジャーナリズム、そして社会福祉事業を貫くほど多岐にわたる。美作国から江戸、そして上海まで闊歩した行動範囲の広さも考え合わせれば、吟香に明治の文明開化を体現する近代人の典型を見出すことは決して難しくない。
美術との関わりで言えば、書画を嗜み、新聞の挿図も自ら手がけた。また落合芳幾や下岡蓮杖らによって自身が描写されてもいる。さらに高橋由一や五姓田一家と親交を深めたほか、新聞記者としては第一回内国勧業博覧会の記事を29回にわたって連載し、これは本邦初の展覧会批評とされている。また浅草寺で催された下岡蓮杖の興行を「油絵茶屋」と紹介したのも吟香である。美術の近代化に一役も二役も買っていた吟香のバイタリティが伝わってくるのだ。
本展が美術史に果たした功績は大きい。だが、それを踏まえたうえで指摘したいのは、美術史を同時代に解き放つ視点の必要性である。美術に限らずどんな歴史学も自らの研究対象を限定しがちだが、とりわけ美術史はその傾向が強い。けれども、そうした分野の壁を自明視していては、その時代を解き明かすことにはならないし、そもそもいかなる時代にあっても、美術という特定の分野だけに人びとのリアリティが収まるはずもない。
たとえば吟香の活動は美術を含みながらも、大衆文化や政治、地政学、社会福祉、ジャーナリズム、衛生学など広範囲に及んでいた。あるいは吟香という名前にしても、これはもともと深川界隈で名乗っていた銀次が銀公に転じ、さらに吟香と改めた経緯がある。吟香というとなにやら知的な雰囲気があるが、本来的にはいかにも庶民的な名前だったのだ。だとすれば吟香の輪郭が上流社会に属する美術という概念を大きくはみ出すことは明らかだ。
吟香や劉生が歩いていた銀座や築地の街並みを、美術だけではなく、他の文化論や都市論、あるいは庶民のまなざしによってとらえ返すこと。具体的に言えば、それらの街並みを牛耳っていた博徒や侠客などの活動を浮き彫りにすることで、これまでにはない角度から吟香や劉生の身体を照らし出すことができるのではないか。重箱の隅を突くような美術史研究に飽き足らない者は、ぜひこうした視点からの研究を深めてほしい。

2014/04/03(木)(福住廉)

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