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artscapeレビュー

ザ・ビューティフル──英国の唯美主義1860-1900

2014年05月01日号

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会期:2014/01/30~2014/05/06

三菱一号館美術館[東京都]

産業革命によって世界最初の工業国家となったイギリスでは、19世紀には多くの産業においてものづくりの方法が変わり、人々の暮らしかたも大きく変化した。産業と社会の構造転換によって急速に豊かになった階層もあったが、他方で貧しくなった人たちもたくさんいた。労働者の生活水準を巡って、それが向上したのか、低下したのかという議論も始まる。工業化がもたらした国土の変容に対して否定的な評価をする人たちも多く現われる。新しい産業が創り出す商品に対する評価も同様であった。粗悪なイギリス製品、美的水準の低下という印象を決定づけたのは、1851年の万国博覧会である。イギリス産業の力を見せつけるはずの場で人々が見出したのは、皮肉にも醜悪な自国製品であった。工業化がもたらしたさまざまな問題に対する反応があらゆる分野において噴出したのである(近代デザイン運動の発端もここにある)。そこには新興の産業家層をパトロンに得て、伝統的な絵画とは異なる主題、美のありかたを求める動きも現れた。「芸術のための芸術」を求める唯美主義者たちは、そうした文脈のなかで現われ、評価されてゆく。醜悪なデザインは人々の生活全体を覆っていたから、新しい美がカンバスの上に留まらず、家具や壁紙、タイル、インテリア、装身具へと拡大していったのは当然の帰結である。他方で美は個別のものにおいて完結するのではなく、その組み合わせによって最適な効果をもたらすものである。すなわち、重要なのは生活全体のコーディネートなのである。独自の美の基準を持たない新興市民にとって、唯美主義者たちは、その作品にとどまらず、住まいの装飾、ファッション、生活スタイルそのものもまた恰好のお手本となった。その唯美主義者たちの美の源泉はどこにあったのかといえば、それは日本と古代ギリシアであった。醜悪な同時代のイギリスは批判の対象であっても美の源泉とはなりえない。理想となるのは空間的あるいは時間的に遠く離れた様式になる。そしてそれらはしばしば複数が組み合わされて独自の様式となる。19世紀のイギリスにおいて、どういうわけだか、日本は古代ギリシャとのアナロジーによって語られた例が多く見られるという。唯美主義者たちの作品にはこのふたつの様式が大きく影響しているのはそのような理由からである。文学においてもまた唯美主義があった。オスカー・ワイルドはその作品とともに自身がカリスマとなり、称賛もされればカリカチュアライズもされた。その過程でカリスマの名と固く結びついた唯美主義は、やがてカリスマの凋落と軌を一にすることになる。1895年にワイルドが同性愛の罪で収監されると、唯美主義もまた断罪されるべきものとして、勢いを失ってしまったのである。芸術家たちが求めていたのは「唯、美しくあること」であったとしても、市民が求めていたのは、よりどころとなる規範であったのだろう。
 三菱一号館美術館で開催されている「ザ・ビューティフル──英国の唯美主義1860-1900」展では、絵画にとどまらない多様な分野の作品と、さまざまな芸術家やデザイナーたちの仕事が紹介されており、そのことは唯美主義運動の特徴をよく捉えている。他方でわかりにくい部分もある。なぜならば、個々の画家やデザイナーで、生涯にわたって唯美主義と分類される作品を手がけていた人物は稀で、時期によって別の美術運動や社会運動との関わりの方が強調されることも多いのだ。「芸術のための芸術」という理念が共通していたとしても、じっさいの表現の様式や活躍したジャンルも多様であり、運動であったとしてもそれを様式として捉えることは難しい。しかしそれらの背後にヴィクトリア朝のイギリス社会が抱えていた矛盾、諸問題の存在と、それに対する芸術家や市民の反応を考えれば、唯美主義の盛衰、画家たちの関わりかたが意味するところを透かし見ることができるのではないだろうか。[新川徳彦]

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