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artscapeレビュー

太田遼 武政朋子 箕輪亜希子「From the nothing, with love. ─虚無より愛をこめて─」

2014年07月01日号

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会期:2014/05/21~2014/06/01

シャトー小金井[東京都]

「絵画」や「彫刻」、「建築」を根本的に疑うこと。それぞれのジャンルに内在する文法や文脈を無邪気に踏襲して「新しさ」を吹聴するのではなく、それらを内側から徹底的に再検証すること。昨今あまり見かけなくなった仕事に熱心に取り組んでいるのが、太田遼と武政朋子、そして箕輪亜希子の3人である。
会場に入ると、白い通路が一直線に伸びている。一方の壁にはいくつかのドアが設えられているが、大半はこの会場にはなかったものだ。作品のありかを探しあぐねていると、長い通路を回りこんだところで合点がいった。通路に見えたのは仮設の壁面で、裏側には木材が剥き出しのまま、いくつかの絵画作品が展示されていた。ドアもフェイクだから、もちろん開かない。通常であれば絵画は白い壁面に展示されるが、この場合はむしろ裏と表が逆転しているわけだ。空間の内側と外側を巧みに反転させる太田遼ならではの快作である。
その剥き出しの壁面に展示されていた武政朋子の作品は、一見すると茫漠とした色面が広がる抽象画のようだが、よく見ると不規則な点線が描かれている。これらはもともと武政が描いた過去の絵画作品の表面を削りとり、点によってトレースしたもの。とりわけ際立つ十字のようなかたちは、キャンバスを裏側で支える木枠の痕跡だという。自らの絵画を分解して再構成すると言えば聞こえはいいが、そのような安易な形容を許さないほど強い身体性を感じさせている。文字どおり「身を削る」ような彫刻的身ぶりによって、武政は絵画を更新しようとしたのかもしれない。
彫刻の箕輪亜希子が発表したのは、写真作品。日常的な風景を切り取ったスナップ写真だが、それらの画面は人の顔の造作に見えなくもない。無機的な風景に人の顔を重ねて見る写真は多いが、箕輪の写真はその重複をわずかにずらしているから、たんに偶然の一致を喜ぶような写真ではない。他の作品で陶器を割り、再びつなぎあわせる行程を何度も繰り返しているように、箕輪の関心は「かたち」を疑い、「かたち」を弄り出すことにあった。人の顔に見えなくもない写真作品は、その「かたち」と「かたち」のはざまを写し出しているのである。
もはや既存のジャンルを無批判に信奉することはできないにしても、その圏外に容易には抜け出し難いこともまた否定できない事実である。それゆえ、美術を学んでしまった者たちの多くは、内側に立ちながら、外側へ突き抜ける造形をつくり出すことを余儀なくされる。その際、考えられるひとつの選択肢として、言語化しえない領域に降りる方法があるが、しかし彼らはそうはしない。意味や言葉が生まれる前の状態に立ち返るのではなく、ジャンルを内破する構えをあくまでも自己言及的に保持するのだ。だから彼らがそれぞれのジャンルで何をしようとしているのか、それらをどのように塗り替えようとしているのか、鑑賞者にはよくわかるのだ。ジャンルは作品のつくり手だけで成り立っているわけではないのだから、深みに降りていくのではなく、受け手とともに外側へ向かおうとする彼らの姿勢は誠実であるし、期待が持てる。

2014/05/23(金)(福住廉)

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