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「関東大震災 震源地は神奈川だった──よみがえる被災と復興の記録II」展

2014年11月01日号

会期:2014/09/18~2014/09/30

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

関東大震災の記録資料を見せる展覧会。当時の雑誌、新聞、書籍、錦絵、絵葉書など、約200点を展示した。昨年、同館はほぼ同じ主旨と内容の展観を催したが、今回は昨年に横浜市発展記念館が開いた「関東大震災と横浜」展に貸与していた資料も含めたので、昨年よりバージョンアップされた内容と言える。
あまり知られていないことだが、関東大震災の震源は神奈川県内にあった。家屋の倒壊等の被害も、東京や千葉に比べて神奈川県内が圧倒的に多い。本展で展示された《横濱大地図》を見ると、横浜市の中心部の大半が消失していたのが一目瞭然である。『横浜最後の日』という書籍が発行されたほど、その被害はすさまじかった。
けれども、その一方で見て取れたのは、そうした悲劇的な災害を受け取る民衆の健やかで力強い精神性である。飛ぶように売れたという絵葉書は震災の被害を記録した写真をもとにつくられていたが、あわせて展示されたもとの写真と見比べてみると、絵葉書には瓦礫の山に煙や炎が加工されていることがわかる。迫真性を増すための人為的な操作は、ジャーナリズムという観点にはそぐわないが、民衆の欲望にかなう表現という意味では、ある種のキッチュとして考えられなくもない。民衆は、震災に慄き、震えながらも、同時に、破壊された都市の荒涼とした風景を見たいと切に願っていたのであり、だからこそ絵葉書は加工され、大いに消費されたのだ。
さらに《大東京復興双六》や《番付帝都大震災一覧》などには、震災すらも、双六や番付で表わして楽しんでしまう民衆の姿が透けて見えるかのようだ。後者は、まさしく相撲の番付表のように、一覧表の上部に太く大きな文字で大きな出来事が書かれ、下部に細く小さな文字で小さな出来事が記されたもの。よく見ると、「首のおちた上ノ大佛」や「大はたらきのかんづめ類」といった大きな文字の下に、「まっさきにやけた警視廰」とか「避難民にくはれたヒビヤ公園の鴨」などの小さな文字がある。民衆は、公権力を嘲笑したり生存意欲をなりふり構わず露わにしたりしながら、震災という非常事態をたくましく生き延びていたのだろう。
本展で展示されたおびただしい資料は、同館スタッフの小山田知子の祖父、佐伯武雄が個人的に収集したもの。当時青山に居住していた武雄は所用で出かけた茅ヶ崎で被災したが、その二日後に、息子が誕生した。その一報を受けた武雄は、手紙で「震太郎と名づけよ」と伝えたという。当時、震太郎や震也、震子などの名前は珍しくなかったそうだ。「震」の文字が名前に含まれていることは、現在の感覚からするとかなり奇特に見えるが、おそらく武雄はそうすることで自らが経験した天変地異を後の時代に伝えようとしたのかもしれない。だが、そこには出来事の伝達ばかりでなく、その壮絶な出来事をたくましく生き延びる健やかな精神性も、きっと託されていたに違いない。

2014/09/28(日)(福住廉)

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