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artscapeレビュー

岩井秀人×快快『再生』

2015年06月01日号

会期:2015/05/21~2015/05/30

KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ[神奈川県]

多田淳之介原作の『再生』は、同じパフォーマンスを3回繰り返す。90分の舞台。ゆえに30分の同じパフォーマンスを演者は3回行ない、観客は3回見る。この最小限のしつらえに、1回目は戸惑い、2回目は親しみを感じ、3回目は応援したくなってしまう。不思議だ。普通、同じ舞台を3回繰り返したりはしない。音楽だって同じ曲を3回演奏しないだろうし、映画だってそうだろう。演者も観客も〈再生の牢獄〉にいて、3回繰り返すことの退屈と悲惨を共に生きる。いや、快快ら演者たちは10日で10回もこの3セットをこなしていくのだから、30回分の3に観客はつき合ったに過ぎないのだ。などとつい〈過酷なトレーニング〉のように本作を形容してしまうのは、パフォーマンスがかなり激しいからで、アップテンポの曲が大音量で流れるなか、7人の演者たちは緻密に組み合わされたダンスをひたすら踊りまくる。ペットボトルが舞台に転がる。役名は見当たらず、快快ら演者たちはSFアニメのキャラクターのような出で立ちで、絶叫し、観客を煽り、激しくてユーモラスでかわいくもある踊りを踊りまくる。劇場の構造がそう想像させたのかもしれないが、アリ地獄に落ちたアリのような、踊り地獄。長時間踊りつづける舞台ならば、クリウィムバアニーが300分の作品を上演しているし、映画だったら『ショアー』がある。渡辺謙は『王様と私』3時間の舞台をマチネとソワレを合わせ1日で計6時間演じていたらしい。だから90分で疲労しちゃいけないよとも思うのだが、時間が進むごとに疲労が蓄積されていくさまこそ、この作品の構成要素なのである。時間が経過するにつれ、舞台がどんどん有酸素運動の場に見えてくる。1回目はただの混沌としてしか映っていなかった構成が、2回目になると緻密に組み合わされたものであると気づくようになる。そうすると踊りが際立ってくる。テンテンコ(ex.Bis)のゆるいダンスに目が引きつけられる。周りが疲労していくぶん、がんばらないダンスが際立ってくる。3回目は誰のどのダンスも形が崩れ、できない体がむき出しにされる。面白かったのは、二度ほど音量が絞られたこと。絞られると演者たちのぜーぜーいう声があらわになる。いや、それだけではなく、どれだけ音楽がこの場を支配してきたのかもあらわになる。なるほど、この舞台の主役は、演者たちではなく、音楽なのではないか? 律儀に3回繰り返されるのは、なによりも再生装置から発せられる音楽であり、演者たちは音楽に促され踊るのだ。だとすれば、この〈3回の音楽再生とそれに操られた7人の人間たち〉の関係こそが本作の物語なのである。そのリアルでフィジカルな関係性の語りにとって、キャラの立った快快らメンバーは最適な演者だったといえるのかもしれない。けれども、これ、快快の舞台なのだろうかとも思う。彼らほどキャラが光っていなければ舞台の強度は保てないだろうが、快快の魅力の一部しか活用されていないのも事実だ。演者の実存に光を当てるという点は、確かに、一貫して快快が見せてきた部分ではあるけれども。

2015/05/27(水)(木村覚)

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