2018年12月01日号
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artscapeレビュー

砂連尾理『猿とモルターレ』

2015年06月01日号

会期:2015/05/23~2015/05/24

卸町イベント倉庫 ハトの家[宮城県]

砂連尾理の公演は、ここ数年、国内の舞台作家の公演のなかで群を抜いて見過ごせないものになっている。それは、彼が障害者とともに踊り、車椅子の老婦人と踊り、東日本大震災の被災地の人々と踊ってきたことと関連はあるけれども、そればかりではない。彼が目を背けないでいるのは、弱さを抱えた者ばかりではない。ダンスそのものにこそ彼のこだわりはある。このことは忘れてはいけない。砂連尾はダンスを更新しようとしている。他ならぬそのことにもっとも強い印象を受けた。冒頭で女(磯島未来)が1人、東北なまりで語りつつ、静かに踊る。はっきりとは聞き取れなかったのだが、どうも、「ここで起きたこと、ここでの死者のありようを確認しなければ……」と語っていたようだった。ほどなくして、喪服姿の男2人が現われる(砂連尾理と垣尾優)。2人は目隠しをして踊ったり、それぞれの動きを瞬時に模倣したり、椅子に腰を下ろし密着しながら互いが独り言を投げかけるような、シュルレアルな会話を行なったりした。ばかばかしくユーモラスにも映るが、立派な大人が血迷っているようにも見える。主としてその行為は、誰かを確認するというよりは、自分自身の身体のありようを確認しているのであり、自分の身体さえ不確かな真っ暗闇で必死に自分を捜している、まるでそんな時間だった。1960年代のポストモダン・ダンスに倣って、このアイディアを「タスク」と呼ぶこともできよう。「タスク」とは、いわゆるダンスに見えぬ日常的でシンプルな行ないをパフォーマーに課して、その行ないをパフォーマーに遂行させるという、非ダンス的にダンスを踊るためのアイディアである。そこには、妙技を披露する身体や、妙技を通して現われるイリュージョン(バレエなら「妖精」などを舞台に出現させるだろう)もない。代わりに、淡々とことをこなすだけの、ゆえに嘘いつわりのない「リテラルな(文字通りの)」身体の行ないが現われる。砂連尾の狙いのひとつがおおよそそこにあるのは間違いない。けれども、砂連尾はその身体の上に、喪服を着た男2人のドラマを据え置こうとするのだ。「タスク」のようなアイディアを通して、ダンサーたちは自分の「身の丈」をあらわにするダンスを踊る。できること、できないことが示される。しかし、そのうえで、2人の男は喪服姿で自分たちの任務を生きようともしている。2人の男の任務とは、要するに、3.11以後の世界を生きる仙台と向き合うことだろう。その難しさ、過酷さ。タイトルの『猿とモルターレ』は「salto mortale」(とんぼ返り、命がけの跳躍)の意味を帯びている。ユーモラスな姿をさらして、失笑も浴びながら、2人はこの不可能のダンスを淡々と踊りつづける。最後には、互いの足の裏を揉み、すると、事前に行なわれていたワークショップの参加者10人ほどが割って入り、大きな塊をつくった。互いの足裏を揉みながら、少しずつ、全体の形が変化していった。互いに足を揉んでいる様に、気持ち良さそうだなと思いつつ、その塊のこう着状態に、つい復興の進展が鈍化している社会の姿を透かし見てしまう。それでも進んでいくのだ。そんな意志を見たような気がした。

2015/05/24(日)(木村覚)

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