2018年10月15日号
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artscapeレビュー

フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク展

2015年06月01日号

会期:2015/04/25~2015/06/30

東京都庭園美術館[東京都]

ケ・ブランリが所蔵する仮面を一堂に集めた展覧会。改装された東京都庭園美術館の本館と新館でそれぞれ作品が展示された。昨年、国立民族学博物館が所蔵する民俗資料を国立新美術館で展示した「イメージの力」は改めて人類による造形の魅力を深く印象づけたが、それに比べると本展はいかにも中庸な展示で、じつに退屈だった。だが問題は、そうした印象論を超えて、ことのほか根深い。
もっとも大きな問題点は、本展の展示方法が、取り立てて工夫の見られない、凡庸だった点。さまざまな仮面は、ガラスケースの中に収められていたため、鑑賞者はそれらについての解説文を読みながら、一つひとつの造形を鑑賞することになる。美術館においては王道の鑑賞法であるが、本展のような文化人類学的な民俗資料を展示する場合、必ずしも王道として考えることはできない。なぜなら、それらの民俗資料は本来的に美術館から遠く離れた異郷の地に存在していたものである以上、美術館でそれらを造形として鑑賞する視線には、その土地に根づいていたものを引き剥がしたという暴力の痕跡を打ち消してしまいかねないからだ。1990年代以降のポストモダン人類学やポストコロニアリズムの功績は、そのような展示する側と展示される側の不均衡な権力関係を問題化してきたが、本展の展示構成はそのような学術的な蓄積を前提として踏まえているようにはまったく見えなかった。問題を問題として認識していない無邪気な素振りが、問題である。
例えば、前述した「イメージの力」展は、まさしく古今東西の仮面を凝集的に展示することで、仮面の造形に隠された妖力を引き出すことに成功していた。それが、展示する側の権力性を免罪することには必ずしも直結しないにせよ、少なくとも本来の文脈を、テキストによって解説するという安易な方法ではなく、あくまでも展示という方法のなかで伝えようとしていた点は高く評価するべきである。言い換えれば、展示という方法の芸術性を存分に引き出していたのだ。だが、本展のそれは、そのような芸術性はまったく見受けられなかった。むしろ逆に、(そのような意図が含まれていたわけではないにせよ、結果的には)この美術館の歴史性が帝国主義的ないしは植民地主義的な視線をより一層上書きしてしまっていたようにすら思える。
その「イメージの力」展の関連イベントとして、2014年4月12日、国立新美術館で「アートと人類学:いまアートの普遍性を問う」というシンポジウムが催された。新進気鋭の3人の人類学者による基調講演に、同美術館館長の青木保や写真家の港千尋がコメントするという構成だったが、何より驚かされたのは、いずれの発表にも「普遍性」という言葉が、あまりにも無邪気に用いられていた点である。人類学は、その「普遍性」を徹底的に再検証してみせたポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズの経験を忘却して、かつての古きよき人類学に回帰してしまったのだろうか。本展の中庸な展示が、そのような「普遍性」の無批判な称揚と同じ地平にあるとすれば、他者への不寛容と攻撃性が増している昨今の社会状況にあっては、十分警戒しなければならない。

2015/05/07(木)(福住廉)

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