2017年06月15日号
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artscapeレビュー

遠藤一郎 個展「吉祥寺に潜伏しているというカッパ師匠の部屋」

2015年06月01日号

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会期:2015/05/06~2015/05/17

Art Center Ongoing[東京都]

遠藤一郎の個展。これまで「未来美術家」として全国のさまざまな現場で活躍してきた遠藤の、ある種のターニングポイントとなる重要な個展だった。
展示されたのは、積み上げられた大量のスピーカーとアンプなどを背に、ちゃぶ台の前で佇む遠藤自身。ただし、その姿は、顔面はもちろん手足の先までを緑色に塗りあげ、甲羅を背負ったもの。カッパ師匠が来場者にお茶を振る舞うパフォーマンス作品である。とはいえ、カッパ師匠は何かしらの演芸的なパフォーマンスを披露するわけではない。カッパの姿のまま会場に自然と佇み、来場者と雑談を交わすにすぎない。にもかかわらず、その情けなくも可笑しみのある風情が、なんとも味わい深い。「未来へ」や「GO FOR FUTURE」といった、じつにストレートで実直なメッセージを、並々ならぬ熱量によって発信してきた、これまでの活動からの明らかな方向転換である。
けれども、より重要なのは、その方向性だ。遠藤によれば、カッパ師匠とは愚直でだまされやすく、非力な妖怪であり、じっさい街を歩いていると、自らに注がれる視線には嘲笑や卑下の意味合いも含まれていることが少なくないという。遠藤は自ら、この情けない存在を引き受けたのだ。
思えば、遠藤一郎の名前が衝撃とともに脳裏に刻まれたのは、完成間もない六本木ヒルズに体当たりで突っ込む映像作品を見たときだった。「行くぞ! おい、みんな行くぞ!」と叫びながら、何度も何度も硬いコンクリート壁に激突する。当初はナンセンスな行動を笑っていられたが、次第に様子がおかしくなり、やがて真摯な悲壮感に心を打たれるようになる。自分の肉体を感電させて音を出す過激なパフォーマンスによってノイズ・バンドに参加していたように、かつての遠藤一郎は肉体の全身をフル稼働させることで、すべての神経を剥き出しにするような切迫感と緊張感にあふれていた。
だが、そのような切実な動機は、遠藤に限らず、ほとんどのアーティストにとって、それが切実であればあるほど、やがて自分自身から遠く離れていくことを余儀なくされる。そのとき、失われていく初発の動機を取り戻そうともがくのか、あるいは別の無難な動機に切り替えて乗り切るのか、アーティストのアティチュード、すなわち態度が問われるのは、おそらくこの点である。遠藤が素晴らしいのは、ある程度アーティストとして名を挙げたいまもなお、いや、いまだからこそ、見下される存在に自分自身を徹底的に貶めることを、この作品において見事に体現しているからだ。言うまでもなく、この作品が意味しているのは新たな面白キャラクターの発見などではない。それは、遠藤が、かつてとは違ったかたちではあれ、いまもなお、自分の肉体をある種の「壁」に激突させ続けているという厳然たる事実である。その、きわめて純粋な誠意に、改めて心を打たれた。

2015/05/13(水)(福住廉)

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