2017年05月15日号
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artscapeレビュー

畠山直哉『陸前高田 2011-2014』

2015年07月15日号

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発行所:河出書房新社

発行日:2015年5月30日

本書の巻末におさめられた畠山直哉のエッセイ「バイオグラフィカル・ランドスケイプ」を読んで、東日本大震災の過酷な体験が彼に与えた傷口の大きさと、それを契機にした彼自身の変化についてあらためて思いを巡らせた。「大津波によって、僕は自分が、なんだか以前より複雑な人間になったと感じている」と彼は書く。このややシニカルにも聞こえかねない言い方は、当然彼の写真にもあらわれてきている。写真もまた「より複雑」になり「気むずかしい」ものになっているのだ。
一見すると、震災後の故郷、岩手県陸前高田市の風景を淡々と記録し続けた写真の集積のようだが、「20110319」から「20141207」まで、日付が小さく右下に付された写真集のページを繰っていくと、写真家が何を見てシャッターを切っているのか(逆にいえば、何を写さないようにしているのか)、その選択の積み重ねが、息苦しいほどの緊張感をともなって感じられてくる。震災直後の凄惨なカオスの状況は、半年も経つと日常化し、「ほっかほっか亭」や「希望のかけ橋」が出現し、2012年8月には「気仙川川開き」の行事が復活してくる。とはいえ、むろん故郷が震災前に戻ったわけではない。視界には根こそぎすべてが流失してしまった海沿いの土地と、低い土地から移転するために山を崩して造成されつつある空虚な空間が、黴のように広がっている。それらを見ながら、われわれもまた畠山とともに「わからない。わからないけど……」と自問自答せざるを得ない。いや、むしろ「わからない」ことを何度でも確認するために、過去の記録として整理され、忘れ去られていくことを潔癖に拒否し続けるためにこそ、この写真集が編まれたといってもよいだろう。
震災という大きな出来事と畠山自身の「個人史」、それらを「膠着」させ、分かちがたいものとし、彼にとっても読者にとっても「手に負えないもの」として保持し続けようという強い意志が本書には貫かれている。震災が決して終わらない(続いている)のと同様に、この陸前高田を舞台とする「バイオグラフィカル・ランドスケイプ」もまだ続いていくのだろう。それを見続け、考え続けていきたい。

2015/06/24(水)(飯沢耕太郎)

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