2017年11月15日号
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artscapeレビュー

佐藤雅晴「1×1=1」

2015年07月15日号

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会期:2015/04/18~2015/06/13

imura art gallery[京都府]

同じ顔、同じ髪型、同じワンピース姿の2人の少女が並んでこちらを見つめる。椅子に腰かける。それぞれが手にするショートケーキもまた、2つ並んだイメージとして提示される。彼女たちは双子だろうか? そしてあまりにも肌理の整ったこの画面は、デジタル処理を施された写真なのか、精巧に描かれたフォトリアリズム絵画なのか? 近づいて細部を凝視すると、髪の毛や衣服の微妙なディティールから、それが描かれたものであることがわかる。だがツルツルの表面に絵具の物質感はなく、二重の疑問が消え去ることはない。
佐藤雅晴は、デジカメ撮影した身近な風景や人物の写真画像をパソコン上に取り込み、描画ソフトを用いてなぞり直すことで、アニメーションや絵画作品を制作してきた。実在する対象を複写した写真を、さらに描画ソフトでトレースする。この二重のトレースを経ることで、「写真」でも「絵画」でもない、どちらにも定位できない気持ち悪さや違和感がもたらされる。さらに本展では、この違和感をさらに増幅する仕掛けとして、同じモチーフの反復・並列といった操作が加えられた。
細部にいたるまで精巧だが浮遊感の漂う画面は、写真と絵画、現実とフィクションの境界を曖昧化するとともに、写された/描かれた対象も同一性が曖昧になり、幾重もの分裂状態に陥る。佐藤の作品は、表面を写し取り、緻密になぞり直すことで、むしろ写真からリアリティの表皮を剥ぎ取っていくかのようだ。だが、写真画像を加工素材とみなす近年のデジタル処理された写真作品のみならず、彩色写真やピクトリアリズムといった初期写真における絵画との融合の試みを思い返せば、写真と絵画は二項対立的に分けられるのではなく、むしろ写真は創成期から絵画とのもつれた関係のなかにあった。佐藤の作品は、「なぜ写真にリアリティを感じるのか」という問いを改めて喚起する。
また本展では、同様の手法で無人の室内や住宅地の光景を描いたアニメーション作品も展示された。一見、普通の日常生活のワンシーンに見えるが、画面のなかの微妙な揺れや運動の反復が違和感を与える。コンセントを差そうと動く手、室内をパンし続けるカメラ、午後2時46分で止まったまま、秒針だけが動き続ける時計。微妙に揺れ動く画面がループする構造は、震災後の「余震」が終わりのないまま、まだ続いていることを静かに暗示していた。

2015/06/13(土)(高嶋慈)

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